バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

クジラ釣りの終わり(下)

国益とは何か:捕鯨からの撤退

捕鯨は先進国でも立場が分かれている問題であり、模擬討論の議題として提示されることもあります。バカ田大学は学問の場であり、特定の政治的主張は控えるべきなのですが、反対賛成双方の主張を掲げたので、最後に私の立場として、商業捕鯨からの撤退と伝統捕鯨の保護を主張します。

1:捕鯨は「日本国」の伝統ではない

捕鯨とは、保護や文化だと一律に語られていますが、そもそもは偶然に座礁したクジラを食べていたのであり、捕鯨の習慣が長年続く地域も全国に数カ所だけです。日本は水産資源に恵まれた国ですが、潮の流れや海底地形によって地域で取れる海産物は全く異なり、クジラが回遊しない地域には当然捕鯨の習慣はありません。

捕鯨は暖かい海に面した特定地域の伝統であり、日本全体の文化ではない」ことを起点とします。

2:クジラを獲るほど赤字になる

日本の捕鯨船が大型化し南極海商業捕鯨を本格化させたのは、戦後の食糧難で鯨肉の需要が高かったからです。クジラは極地の冷たい海で豊富な餌を食べて脂肪を蓄え、出産や子育てで日本近海の回遊を終える頃には、体重が半分に落ちるとほど痩せています。だから地球の裏側までクジラを追っていたのですが、最盛期には鯨肉市場が確保されていたので、遠洋捕鯨でも採算が取れました。

水産庁は毎年調査名目で数百頭のクジラを捕獲していますが、クジラを食べていた世代も高齢化し、日本の一般消費者はクジラを食べる機会がほとんどありません。鯨肉は僅かな流通量が食肉市場に出て、料理店や居酒屋、食品加工に卸されます。食卓に上る肉というより嗜好品であり、一般消費者にとって食べなければ困るものでもなく、飲食店が売らなければ困るわけでもありません。

商品としての価格決定力がなく、商業捕鯨を黒字化するためには漁獲量と消費需要の双方をあげる必要があります。ですがこの2つはともに難題です。クジラ漁をする国は少数であり、鶏肉や牛肉などの家畜と異なり国際取引市場がありません。クジラの食習慣のある人々も少数派であり、他国にとっては捕鯨の漁獲量をあげるメリットがない。IWCの枠組みを離脱して捕鯨を行えば、日本政府は国際社会で孤立します。クジラは野生動物であるため、漁獲高に応じて流通量や価格が安定しません。肉も血の臭いが残っているため、専門店でなければ美味しい調理が難しく、一般家庭の食卓に上がることはまずありません。いくら捕鯨しても採算が全く取れないため、調査捕鯨水産庁の予算で実施されています。大手水産会社は鯨肉の扱いをやめたため、国が出資した業者が引き継いでいる状態です。

3:水産庁のクジラ釣り

捕鯨に関連した予算とはもとは国民の税金であり、何らかの形で還元される必要があります。しかし調査捕鯨は何の利益も研究成果もあげないまま、さらに鯨食を国民に広げる見通しも立たない。採算割れの赤字を流している省庁の事業が、国際社会の顰蹙まで買っているという状況なのです。多くの日本人には捕鯨のメリットがない状況において、未だに捕鯨を続ける理由は何か。それは水産庁の慣習だとしか考えらません。

一般の企業でもそうですが、かつては主力だった事業が採算割れとなった場合、事業からの撤退を決めることは極めて難しくなります。やめるだけなら事業設備と商品在庫を処分するだけですが、携わってきた人間は反対します。自分のこれまでの成果を否定される上に、未体験の業務をゼロから始めなければなりません。だったら先行きが暗くても現状維持が楽だと考えてしまう。

国税という予算があらかじめ与えられている省庁は、事業予算の獲得こそが成果であり、事業が赤字を出し続けていても職員の給料は下がりません。そのため新しい事業を始めることには熱心でも既存事業から撤退するという発想がないのです。日本の国家予算は総額100兆円を超え、半分を国債でまかなっている状況です。財務省は各省庁の予算要求を厳しく査定しており、無駄な事業は削減するよう求めています。

現代の日本人にとって捕鯨とは生きるための漁業というより釣りのような遊びに近い。遊びのために国家予算が使われており多くの国民に還元されていない。商業捕鯨は省庁の予算獲得を巡る悪しき伝統であり、捕鯨からの撤退手続きは「やめること」が極端に苦手な日本の行政にとって先進モデルになります。

 

種の保存、残虐性、伝統文化、他国の利益、政治問題など様々な主張が入り乱れている捕鯨問題ですが、クジラの生息数はあくまでも推定値です。海はどこまでも広く、人間からは海上に浮上したクジラしか分からない。世界中の海を回遊しているクジラたちを一頭ずつ数えることは不可能です。日本政府が主張の根拠としている生息調査も実態を反映してはいません。

人間は遊びで釣りをする場合、釣った魚は食べる分だけ殺し、食べられなければ放流します。人間が他の生物を殺して良いのは、殺さなければ人間の生存が脅かされる時だけです。生命とは道具でも玩具でもありません。クジラたちは国家間の意地の張り合いの犠牲となっており、水産庁の調査捕鯨とは国税を食うだけのクジラ釣りなのです。

 

4:商業捕鯨の廃止と伝統捕鯨の保存

国際捕鯨委員会は、公海上の大型クジラの規制をしており、各国沿岸部の小型クジラについては各国の自主規定に委ねています。南極海での調査捕鯨は既に難しい状況ですが、日本の排他的経済水域内での捕鯨は可能であり、IWCはこれまでに何度も日本政府に妥協案を提示しています。

日本政府としては、南極海北極海での捕鯨は全面禁止に合意して、代わりに国内沿岸部の捕鯨は認めるよう交渉するのが良いでしょう。和歌山県太地町をはじめ、捕鯨を続けている地域は残っていますが、漁業は全体的に規模が縮小しており、漁師は後継者不足が深刻です。

太地町の総人口も3000人を割り込み、数年後にはイルカ漁の伝統どころか自治体が消えるとも危惧されています。文化としての捕鯨は後継者不足によって存続が危うい状態であり、わざわざ規制をしなくてもクジラが乱獲されることはないでしょう。国内にはホエールウオッチングを観光化している自治体もあるため、沿岸部捕鯨は国も積極的に支援できません。水産庁捕鯨事業から撤退し、捕鯨に伝統的価値があるかを文化庁が判断した上で補助金を交付します。捕鯨を擁護している和歌山県が地方交付金から予算を出しても良いし、クラウドファンディングを利用して、全国の捕鯨支持者から寄付を募ることが最も公正だと思います。

海上の調査捕鯨は商業目的ではなく、学術目的に限定し、環境省と海洋研究機関が引き継ぎます。個体を生かしたままの調査を原則とし、各国と協力してクジラの生態解明と海洋汚染の実態を調べます。

終わりに:クジラを殺したのは誰か

近年、捕獲して解体したクジラの胃の中からは、大量のプラスチックゴミが出てきています。私たちの生活に欠かせないプラスチックですが、自然界で分解しません。海に流れ出たゴミは潮の流れに乗って世界中に運ばれています。日本の海岸には中国や東南アジアからのゴミが漂着し、アメリカの西海岸には日本からのゴミが漂着します。クジラ類は海水ごと魚を飲み込んで食べるので、海水と一緒に飲まれたプラスチックは胃の中に蓄積し、腸を詰まらせることもあります。保護対象であるかに関係なく、プラスチックは全てのクジラたちの体内に溜まっていく。今やクジラたちの脅威は銛を打たれることではなく、プラスチックが胃腸に詰まることなのです。

この問題には捕鯨国、反捕鯨国の立場は関係ありません。世界中の海は潮流で繋がっており、どの国も大量のプラスチックを消費しています。しかし海洋汚染は、見えにくい問題である上に先進国、途上国関係なく全ての国と地域が協力しないと意味がありません。地道な作業ですが、プラスチック汚染を止めなければ、クジラだけでなく、アザラシやウミガメ、多くの魚類が絶滅の危機に瀕します。日本も反捕鯨国も捕鯨問題で外交の意地を張っている場合ではないのです。クジラたちを守るために、国際会議の議題は海洋汚染とし、プラスチック規制の枠組みを制定する。次の世代にも美しい海を残すために、新しい問題に取り組みましょう。

 

 

 

クジラ釣りの終わり(中)

日本の立場

1:食料資源の確保

古来より日本人にとってクジラ肉は貴重なタンパク源であった。終戦後の食糧難の時代、クジラを食べて生きてきた。飽食の現代にあってクジラ肉は嗜好品の扱いであるが、地球規模でみた場合、異常気象などで食糧に乏しい国々は多い。我が国の食糧自給率は低く、特に食肉は多くを輸入に頼っている。食糧安全保障の観点から、クジラを食肉の選択肢として国民で提供することは必要である。

2:資源管理の観点

20世紀中頃までの捕鯨によって、大型のクジラ類は絶滅危惧となったが、逆に小型のクジラ類が生息数を増やしているのは、調査から明らかである。大食漢であるクジラは、世界中の人間が一年間で漁獲する魚と同じ量を数日で食べてしまうという試算もあり、エサとなる魚たちを人間をはじめ、保護対象のクジラやペンギンなども食べられなくなる可能性もある。体格の大きなクジラは天敵生物がおらず、増えた種の数は餌がある限り減ることはない。増えすぎた生き物を人間が間引くことが本来の資源管理であり、南極海の調査捕鯨の目的である。

3:文化の保護

日本で本格的な捕鯨が始まったのは江戸時代からであり、クジラの回遊する沿岸部ではクジラ組という捕鯨船団が漁を行った。日本の捕鯨は「クジラの命をいただく」という精神性があり、肉だけでなく骨や皮も全て利用してきた。現在も和歌山県太地町をはじめ、伝統的な捕鯨を続けている漁師は各地に残っており、捕鯨の一律禁止は地域の伝統文化を衰退させる。

アラスカ州グリーンランド先住民族には、保護対象のクジラの捕獲も認められている。極地に生きる人々にとってクジラ肉は重要な食糧だったが、食品の流通が進歩した現代では、クジラ漁をしなくても食べていける。にも関わらず先住民が漁を行うのは、それが民族のアイデンティティに関わる伝統文化だからだ。他国の人間には奇異に見える習慣が、その地の人々の個別性であり、文化の衰退は地域の消滅につながる。日本の消費者は、クジラを食べなくても生きていけるが、捕鯨に携わる漁師や食肉業者、料理店は職を失う。日本人は様々な動植物を食材としてきた。世界的に日本食がブームだが、日本食の素晴らしさは使う食材の多様性にある。クジラ漁の禁止は食材の一つが消えることであり、食の豊かさを失うことだ。

4:内政不干渉の観点

ゴキブリが絶滅に瀕していた場合、歓迎する人は世界中にいるが問題だと考える人は誰もいない。ゴキブリも命ある存在だが、人間にとってはテリトリーを脅かす害虫だからだ。人間は個々の生き物の価値を勝手に決めている。

自然保護団体や動物愛好家にとって、クジラは保護の象徴動物になりやすい。人間に危害を与えず、姿や行動が魅力的だからだ。保護団体はスポンサーから資金を集め、世論の注目を集めるためにその活動には分かりやすい理由が必要になる。グリーンピースシーシェパードのような保護団体が捕鯨への過激な抗議活動を行うのは、「国家の悪政から罪のない動物を守る」という正義のヒーローでありたいためである。国際的な非政府組織は、政府では立ち入れない国際問題の場で活動する動機があり、公海を泳ぐクジラたちを身を呈して守ることは、国際世論へのイメージ戦略である。

海洋生物の絶滅は乱獲よりも環境汚染によって引き起こされており、海洋環境の改善に地道に取り組むことが必要だ。しかしこうした活動は成果を示すことが難しい。「クジラは海の生態系の頂点であり、日本は捕鯨を続けることで海洋環境を乱している」という主張は、大衆に分かりやすく支持を受けやすい。反捕鯨国の立場とは、クジラという象徴を用いて外交上の優位を確保しようとする政治的な面が強い。

捕鯨問題とは、資源管理や種の保存問題ではなく、各国政府が国民の支持を取り付けるための政治問題になっている。日本は南極海の調査捕鯨において国際捕鯨委員会の漁獲枠を長年守ってきた。小型クジラの資源量が増えていることが提示されているのにも関わらず、捕鯨の一律禁止が採択されたことは、クジラ漁の是非は環境科学的な根拠とは無関係な政治問題であると考えざるを得ない。政治問題は他国の内政干渉に当たるため、日本国政府として妥協しない。

クジラ釣りの終わり(上)

地球上で最も大きな生き物であるクジラ。人間との関わりも深く、古くから重要な食肉でした。日本は長年クジラ漁を続けていますが、捕鯨の是非は欧米の国と立場を異にしている問題の一つです。9月15日、IWC(国際捕鯨委員会)の会合で、日本側の捕鯨提案が否決されたことで、政府はIWC自体の脱退を検討していると報じられています。

家畜の肉類や魚と異なり、鯨肉は現代の消費者には馴染みない食材です。なぜ日本政府は、各国と溝を深めても捕鯨を続け、欧米各国は禁止を求めているのか、クジラを巡る問題を考察していきます。

 

クジラの生態

クジラは魚類ではなく、海に生息する大型哺乳類です。太古のクジラは、カバやゾウの仲間であり、水辺での生活から沖海に出て行き、泳ぐに適した体型に進化したと考えられいます。イルカとクジラは、学術上は同じクジラ類であり体長3m以上をクジラ、それ以下をイルカと呼んでいます。

大きな身体を維持するために大食漢であり、オキアミイワシを求めて世界中の海を回遊しています。中型クジラは群れで行動し、水中を伝わる音でコミュニケーションをとっています。クジラの歌の研究から、クジラたちは群れの中に役割分担のある高度な社会性と知能を持っていることが分かっています。

夏には餌の豊富な北極海南極海で脂肪を蓄え、冬から春先には、出産と子育てのために暖かい南国の海に回遊してきます。生き物の行動範囲は一定に限られることが多いのに対して、クジラたちの行動範囲は地球規模であり、生態調査がとても難しいのです。広大な海にある種のクジラが何頭いて、何年生きることができるのか、クジラの生態は謎に満ちています。

 

捕鯨の歴史

家畜の食肉が普及する以前、人間は常に飢餓との戦いであり、タンパク源を探していました。縄文時代貝塚からは貝や魚以外にもイルカの骨が出土しており、北極圏やニュージーランド先住民族もクジラ漁の伝統があります。とはいえ昔の漁船は小さく、大型クジラを取ることはできません。まれに海岸に打ち上げられたクジラを食料にしていました。

江戸時代には沖合のクジラを漁船団で湾内に追い立てる巻き網漁が普及します。黒潮の流れとともにクジラが回遊してくる南紀地方(和歌山県)や房総半島(千葉県)にはクジラ漁を生業とする漁師たちが現れます。

明治時代に船のランプとして鯨油の需要が高まると、日本と欧米諸国は世界中の海で捕鯨を始めました。この頃の遠洋漁船は大型化し、ノルウェー式のクジラ銛を搭載した捕鯨船は、一度に大量のクジラを捕獲できました。クジラは群れで行動する習性があり、毎年の回遊ルートも大体決まっています。膨大な数のクジラたちが制限なく乱獲され、20世紀中頃には大型のクジラは殆ど取れなくなりました。

太平洋戦争、第二次世界大戦を経た各国は食料事情に厳しく、巨大な肉の塊であるクジラは国民たちの命の糧でした。日本国内でも、昭和時代の学校給食はクジラ肉が定番だったのです。やがて飼料作物の大量生産が可能になると、牛や豚など家畜の数は爆発的に増え、食肉が一般消費者の食卓に上ることも普及しました。クジラは野生動物であり、肉には血の臭みが出てしまいます。餌から調整出来る家畜とは異なり、一般消費者のニーズが離れていったことから、クジラは人類の主食から外れました。また、石油精製の普及により、鯨油の需要も減っていきます。欧米各国は経済的、社会的に豊かになるにつれ、環境保護活動に目を向けるようになり、絶滅危惧となっていたクジラはまさに保護すべき対象でした。

国際捕鯨委員会は、本来クジラを食料資源として、持続可能な捕鯨をするために各国が毎年の漁獲量を調整するための組織です。委員会にはクジラ保護に熱心なオーストラリアやアメリカなど反捕鯨国も参加しており、商業捕鯨そのものを一律禁止するように求めています。日本、アイスランドノルウェーなど捕鯨推進国との立場は長年食い違ったままです。

 

捕鯨国の立場

1:種の保存の観点

クジラは現在84種近く確認されているが、最近になって新種だと判明したクジラも多く、生態は謎に包まれている。20世紀中頃まで、人類は世界中の海で捕鯨を行い、シロナガスクジラを始めとする大型のクジラは、種の生存が危ういほど数が減っている。人間はこれまで、旅鳩やドードー鳥、ステラー海牛など、多くの生き物を食料として絶滅させてきた。現代でもトラやサイなど、一部の人間の嗜好品として殺されることで絶滅に瀕している生き物は多い。人類の活動によって絶滅危惧される生物は数万種ともいわれており、この地球に生きるものとして過剰な活動は控えるべきである。特にクジラは、一度に数百の稚魚が生まれる魚類とは異なり、一頭ずつしか生まれず、成体になるまで数年はかかる。今は数が増えているといっても、一度数を減らせば回復は難しい。クジラの分類も未解明な領域が多く、数の多いクジラであっても、群れごとにDNAが異なる亜種がいる可能性も高い。よって捕鯨はクジラの種類に関係なく一律に禁じるべきである。

2:知性の観点

クジラやイルカは、音で群れのコミュニケーションをとっているが、音は複数の音階を組み合わせで出来ており、人間の言葉と同じ働きをしている。脳の容量も発達しており、野生のイルカが人間に慣れているなど、適応性も高い。クジラたちは人間と同じような心を持っていると考えられ、銛を打って殺すことは残虐かつ野蛮な習慣であり、文明国が行うことではない。

確かに人間は家畜を殺しているし、野生の鳥や魚を採っている。大豆製品などの植物性タンパク質を取れば栄養は足りており、全ての食肉は嗜好品だといえるかもしれない。だが、人間が好み、忌むのは理屈ではない感情の問題だ。ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラム教徒は豚を食べない。食肉を巡る文化や考え方の違いは大きく、それは科学や理屈の話で覆せることではない。

確かに牛や豚、鶏も心を持った生き物であり、屠殺は残酷だ。大抵の屠殺は人目を避けて行われている。だが、文明社会において肉を好む人はいても、ペットを食べようとは思わない。ペットたちは人間とともに生活しており、飼い主の人間には心で通じる友だちだからだ。ダイバーを始め、海を愛する人々にとって、人間と一緒に泳ぐイルカたちは、単なる動物ではなく種を超えた友人なのだ。彼らを守りたいからこそ、捕鯨は虐殺だとして抗議している。

3:国益の観点

オーストラリアは、親日国として日本との経済的結びつきを強め、資源や穀物を大量に輸出している。日本からは自動車を輸入している他、人の交流も活発であり、観光、留学、駐在など多くの人々が関わっている。両国の関係性はこれから益々重要になるが、棘となっている外交問題南極海捕鯨船だ。

オーストラリア大陸にはコアラやカンガルーなど固有種の有袋類が生息しており、貴重な生物資源として保護されている。海洋にはサンゴ礁の海が広がり、これら豊かな自然環境はオーストラリアの観光資源でありかけがえない財産である。夏に回遊してくるクジラたちも保護対象の生き物であり、国民に愛されている。しかし日本は調査名目ですぐ隣の南極海捕鯨を行っている。確かに排他的経済水域の外で行う公海上の漁であるが、クジラたちは南極海と大陸の近海を回遊しており、保護対象のクジラが捕獲されているのが実態だ。

日本近海にもクジラは回遊するのに、地球の裏側までクジラを追う必要がどこにあるのか。我が国の生物資源を奪われている状態であり、国民感情を損なっているこの問題には断固として対処する。

 

 

 

謝ることを誤らないために

「コペル君、キミは間違ってるぜ。友だちが許してくれるかどうかなんて考えてはいけない。キミは大切な友だちを裏切ってしまった。キミが苦しんでいるのはそのためだ。だったらキミはキミ自身であるために、大切な友だちに謝らなければいけないのだよ。」

吉野源三郎著「君たちはどう生きるか

 

「ごめんなさい」は難しい

「成功する方法」に対して「謝罪する方法」はあまり人気がありません。

誰だって自分の非を認めることは苦痛です。謝ることは面倒である割に相手が許す保証もない、自分にメリットがないと考えがちです。

しかし謝罪と償いをしなければ相手との縁は確実に切れる。法律に触れていれば社会的立場を抹殺されます。生きている限りミスはつきものですが、迷惑をかけた相手に対する謝罪は、私たちが社会集団を作る上で不可欠である大切な作法です。

小さな子どもでも出来る謝罪ですが、歳を重ねた大人ほど謝罪が出来なくなり、対応を誤って相手の心に油を注いでしまう。何故謝罪は難しく、大切なのかを考察します。

 

1)自分が「悪い」とは

私たちは日常生活を送る中で、仕事や家族、友人関係などの様々な人間関係をつくっています。そうした場面では、故意や過失も含めて他者を傷つけることが避けられません。

満員電車で肩がぶつかった、相手の一言にカチンときたなど、些細なことは日々起こります。ですがその些細なことに相手からの「ごめんなさい」がなければどうなるか。一言の謝罪で済むことが喧嘩に発展し、お互いに譲らない状況になれば障害事件になってしまいます。相手との対立から引き下がることを「鞘を収める」と言うように、誰かを傷つけるとは、相手に対して刃を向けている状態だと解釈されます。そうなれば相手も刃を向けざるを得ない。だからこそ他者に迷惑をかけたかなと考えた時点で、一言の謝罪が必要です。

この場合の迷惑とは、正義や理屈の話ではありません。自分にとっては正しくても、相手が不愉快に感じたことは「悪い」ことであり謝罪が必要なのです。自分が謝るのは理不尽に感じますが、ここで謝罪するかは相手との関係を続ける価値があるかで決まります。

 

2)誰に謝っているのか

謝罪の目的は、他者との余計な対立を避けて今後も関係を続けるためにあります。そのため謝罪の仕方は、自分と相手との関係性で変わってきます。仕事の上司やお客さんであれば、相手の立場が上であるために謝罪を急がなければ、自分に不利益が返ってきます。逆に自分の立場が上である場合、例え自分に非があっても特に不利益は被りません。下の立場の人に謝ることが出来るか、そこに人としての在り方が問われています。一方でプライベートな関係、友人や恋人、家族の間では、相手に与えた迷惑と、自分が被る不利益が曖昧です。そのため謝罪の必要性に気付かぬまま、相手を深く傷つけてることもあります。

 

3)何を誤っていたのか

謝罪が必要な場合は、他者が不利益と感じるかどうかです。自分の行為は他人にどう影響したのかを考える、他者の気持ちを推測する能力が必要になります。ですが他者の心の中は、その人にしか分かりません。相手の態度と言葉から探っていくしかないのです。何を怒らせてしまったのか大体想像はつく。けれど間違っていることもある。謝る対応を誤る可能性は常にあります。

単純に誰かとぶつかった場合を想定してみると、相手はダメージを負っていますが、自分も同じだけ痛い思いをしている。思考が自分の苦痛で満たされれば、次には相手に対する怒りが湧き起こり、とても謝る気持ちにはなれません。相手にダメージを与えた状況は、自分自身もダメージを負って冷静でいられないことが多い。自分の心が怒りと混乱に満ちている状態で、他者の立場を想像することは出来ない。「ごめんなさい」の一言が言えないのです。

 

4)謝罪とは技術ではなく、心の姿勢である。

相手の怒りを和らげるには、迅速な謝罪と説明、補償の方法を提示する必要があります。ですがこれらは「上手な謝罪」の技術論であり、相手の許しを目的としています。

ビジネス上のやりとりでは金銭的な不利益が明確になるために補償がなければ、相手も引き下がれません。逆を言えばどれだけ話が拗れても最終的には金を積んで解決できます。

一方でプライベートな関係では、不利益と補償の関係は明確ではなく、感情のもつれを丹念にときほぐすことは難しい。謝って許してもらえるかは分からず、自分がどこまで非があるかも良く分からない。そもそも謝る必要があるのかと考えてしまう。友人、恋人、家族関係ですら、本来は別々の考えを持った他人同士であり、人間関係はそうしたすれ違いから壊れるのです。

一度失った信頼は戻らず、離れた心は元に戻らない。時間は遡れず、死んだ人は永遠にお別れとなる。たとえどれだけ謝っても許されないことは生きる上で沢山あります。そこでは謝罪の技術論は通用せず、上手く謝ろうとする気持ちが現れるほど相手の心に油を注ぎます。

 

5)許さないとしても謝ることの意味

相手の許しが得られなければ、謝罪は無駄なのか。冒頭に挙げた台詞は主人公の少年が叔父さんから「謝るとは自分の誤ちを認めることであり、自分自身が正しく生きようとする心の態度」なのだと説いています。誰に褒められなくても、許しを得られなくても自分の誤ちを正そうとする心の態度こそ、人が人間として在ることの証です。私たち人間は、自分の得になることは行い、損をすることはしたくありません。けれど時には何の得にもならなくても、謝ることがある。これは必要だからではありません。外部からの強制で謝ったところで心の態度には反映されません。ただ自分の心に嘘をつきたくないという在り方の自覚なのです。

生きていれば誤ちをおかす。その時に謝るのは自分の誤ちを正すという心の決意の問題です。誤って、謝って、また誤って、そして謝る。それを繰り返すことでしか、生きかたを正すことは出来ません。生きかたを誤らないために、私たちは許しが得られなくても謝るのです。

 

 

 

 

お金の使い方

イソップ寓話「石持ちの男」

コツコツと貯蓄に励んで老年を迎える頃には、一廉の金持ちになった男がいた。彼は長年かけて貯めた金を誰にも盗られない場所を考えに考え、結局は壺に入れた金貨を道端の土深くに埋めておいた。そうして毎日、壺が無事なのか見に行き、自分の全財産があることを確かめると安心するのであった。

毎日同じ場所を見回りに行くのだから、道行く人々には老人が大切な物を隠しているのはバレバレであった。案の定すぐに土が掘り返され、ある日老人が見に行くと壺を埋めた場所は盗掘された後であり、男は全財産を失った。

一生の苦労を一瞬で失ったことに絶望した老人は、道端でいつまでも泣いていた。道行く人々は彼を心配して、何を嘆いているのかを尋ねる。隠しておいた全財産を失った。嘆かずにいられようかと言う男に、その辺の石を埋め戻して、毎日見回りに来れば良いではないかと人々は答える。

老人「馬鹿にするな!石コロが金の代わりになるか!何にも使えないではないか!?」

人々「でもあんたは、金すら使おうとせずに隠しただけだろう。あんたにとってのお金は自分が安心するためのお守りだったんだ。お金は誰でも交換する価値を保つために金貨で出来ている。自分の安心のために一生隠しておきたいなら、財産は金貨も石コロも変わらないだろ。」

 

 

お金の誕生

給料が足りない、月末はお財布がピンチ、お金持ちが羨ましい、と私たち現代人の悩みとはお金の問題とは切り離せず、誰もがもっとお金があれば幸せになれるのにと考えています。

世の中は金じゃない、とは言え実際には金がものを言う。お金がない故に惨めさと不幸を嘆く人もいれば、使いきれない資産を得ても幸せを感じない人もいる。

私たちの社会生活に欠かせないお金が,何故幸福と不幸を呼び込むのか?そこには人間は何故お金を使い始めたのかという根源を探る必要があります。

 

通貨の誕生:古代編

人間がお金を使い始めたのは、紀元前4000年前のメソポタミア文明だといわれています。中東イラクの首都バグダッド近郊は、遥か古代よりチグリス川が広大な湿地帯をつくり、灌漑技術がない時代でも麦の栽培が出来る土地でした。この大地で人類最古の農耕が始まり、それまで狩猟民や遊牧民として放浪生活をしてきた人間は一つの土地に留まっても食料を得られるようになります。

 

一般に野菜や肉などの食品は生体から切り離すとすぐに腐敗して,栄養を貯蔵できないという問題点があります。またエネルギー源である炭水化物が少ないため腹を満たしてもすぐに空腹となります。そのため遊牧民たちは羊などの家畜を生きたエネルギー貯蔵庫としたのです。

一方で麦を始めとした穀物は炭水化物であり収穫した後に保存が効きます。そのため生命活動に必要なエネルギーを貯蔵できるという特性があります。収穫した麦が多ければ、それだけ長期間食べる心配をしなくても良い。一生を飢餓との戦いに費やし,一日中食料確保を考えてきた人類が「余裕」を手にしたのです。人間の脳は炭水化物を分解したブドウ糖を唯一のエネルギーとしており,糖分と穀物なくては思考力が上がりません。思考の大半を今日の食料確保に費やしてきた人間は、思考と生体活動に費やすエネルギーを安定確保したことで、余裕が出来た思考は様々な欲求に向かいます。

 

衣食住という言葉があるように、着るもの,食べ物,住環境の快適性は人間の欲求の基本です。麦と同じく栽培していた麻からは、麻糸の繊維がとれ,布を織ることが出来ます。それまで毛皮を着ていた人間が、通気性の良い衣類を手に入れることが可能になりましたが、麻布の製造は住民全員が行なっていたわけではありません。麦栽培に必要な土地を得られない人々が麻を栽培し,麻布を織る専門技術をつけたのです。布職人は麦を栽培しないので食料確保のためには、麻布を麦を所有している人と交換する必要がある。住居に必要な木材や日干しレンガも同様に専門職人がおり,麦と交換していました。こうして麦が物々交換の主流となり、通貨と同じ機能を持ったのです。麦が通貨となり得た理由は、誰でも貯蔵と持ち運びでき,誰もがエネルギーとして必要としていたからです。お金とは社会集団全員が価値があると認めなければ,交換が出来ません。需要と価値が明確であることがお金の誕生に関わっています。

 

貨幣の誕生

農耕を始めた人類は、土を耕し麦を収穫するために、石や木材で出来た農具を使っていました。しかしこれらの道具は硬い土を耕せば簡単に壊れてしまうため、金属で出来た農具を欲しがります。純度の高い銅鉱石は竃の火力で加工できるため、高い価値が生まれました。そして銅は農具だけでなく、食器にも加工出来ます。それまで土器や石皿で食事していた人々も,銅を欲しがります。金属は農具を作れますが、同時に剣や槍などの武器を作れます。軽くて頑丈な青銅武器は、圧倒的な武力をもたらします。穀物の貯蔵は富をもたらしますが、それを持たない民族が強奪する危険も出てきます。もしも戦闘民が青銅の武器を持っていたら、石器しか持たない民族は滅ぼさます。初期メソポタミア文明を築いたシュメール人は街に城壁を築き、各地から交易によって銅を集めました。

穀物は富の蓄積を可能にしましたが、食料である以上翌年まで保存できません。食べきれないだけの麦を富として得ても、翌年には土に還ってしまい富を失うのです。また、収穫期には多量の穀物が市場に出回るのに、穀物が取れない時期には市場への供給がないため価値が高騰します。年間を通して価値の変動が激しく、一杯の麦にどれだけの価値があるのか、共通認識がなかったのです。

銅を始めとする金属は古代遺跡から当時の状態で発見されているように、経年劣化を起こさない特性があります。そのため麦に変わる通貨として使われてはじめ商取引が活発化しました。シュメール人の石板には銅塊を取引した記録が多数発見されています。10円玉は銅,100円玉は銅とニッケルで出来ているように、現代でも銅は通貨として使用されますが,生活水準がさらに向上し,人間の欲求が自分を飾り立てることに向かうと,装飾品としての金の需要が生まれました。銅や鉄と異なり、金は採掘技術が進歩した現代においても希少な金属です。人類の歴史上,全世界に保有する金を集めても25mプール2杯分しかないといわれるほど採掘量が少なく、採掘に多大なコストがかかります。

一方で装飾品としての金は数千年前の輝きを今に伝えるほど劣化しません。最も安定した物理特性を持つため、銅や鉄のように錆びないのです。富と権力を持った支配階級の欲求は不老不死に向かいます。不滅の金属である金は永遠の象徴であり、古代エジプトをはじめ多くの墓に埋葬されるようになります。

一方で金は,食糧や物資を豊かに所有する権力者にとっては需要が高くても、一般庶民には使い道がありません。けれど僅かでも所有していれば、多くの物資と交換できる引換券でもある。毎年の採掘に限界があり,年間を通して一定量しか出回らない金や銀は価値の変動が少ないため、一粒の金にいくら価値があるのか、都市住民に共通理解が得られます。初期の商取引には、金粒や銀粒の量を計って取引を行い、やがて重量を刻印された金が流通します。各民放の言語によって物の数え方は異なり、重さの単位も違うため、都市国家が共通の尺度と君主の刻印がなされたコインを発行しました。ここに貨幣が誕生したのです。

 

 

 

 

 

お詫び:日本大学の学生・OBの皆さまへ

5月6日、日本大学アメフト部と関西学院大学アメフト部の試合における危険タックル問題について、母校の不祥事に大きな憤りを感じられておられる在学生、卒業生の皆さま。これは事故ではなく事件であり、起こるべく起こったことです。関西学院大学の関係者を含め、

誠に申し訳ございません。

私並びに、バカ田大学日本大学と何ら関わりを持ちません。ですが、当ブログにて教育とは何かを論じている立場上、向学心を持った若者たちの未来を守る責任があります。今回の事件を振り返り、組織の危機管理とパワーハラスメントの構造を論じます。

 

危機管理の初動

冒頭にて謝罪しておりますが、そもそも私はアメリカンフットボールの競技経験どころか、日本大学を訪れたことすらありません。さらにバカ田大学は大学法人ですらない。完全な部外者である私が謝罪している理由は、それが不祥事の危機管理だからです。

企業や大学、アイドルグループなど、組織とは多数の人間が所属しています。そして人間だからこそ過ちを起こす。この場合の過ちとは、単なるミスや説明不足の場合(飲食店の原材料や賞味期限が間違っていた)と、間違いや法令違反を認識しながら業務していた場合、後者は悪質な隠蔽と捉えられてしまいます。

組織の運営を一人で行っていた場合、「これはマズイ」と気付いた段階で立ち止まることができます。しかし組織とは多数の人間が所属する以上に、メンバーの上下関係が存在しており、下の人間は上の立場に逆らえません。そして違法行為を実行しているのは、大概下の立場の人間であることが問題を複雑にしています。

 

結局誰悪いのか?

この度の事件は、チーム監督が一選手にルール違反を指示していたことが問題視されています。アメリカンフットボールのルールでは、相手選手へのタックルは、守備を目的としたものに限定されます。

高い身体能力と体重100kgの巨体に本気の体当たりをくらえば、一般人であれば複雑骨折と内臓破裂をおこします。選手同士の衝突にも怪我がつきものであり、選手たちは捻挫や骨折,肉離れなどの負傷リスクを背負ってプレーをしています。当然選手を監督する立場の大学アメフト協会は、安全にプレーを行うための様々な禁止事項や規定をつくり、各チームに遵守するように指導しています。ルールは選手を守るために存在しており,不要な決まりごとではありません。逆にルール違反によって怪我を負わせるとは、スポーツの範疇から一般社会の傷害事件になってしまいます。

今回の事件で決定的だったのは、悪質プレーの映像がしっかり残っており,何が起こったのか明確であることです。関係者の証言が映像と矛盾すれば嘘をついていることになり、言い逃れ出来ません。映像はテレビで放映されるほかにもyoutubeSNSを通じて拡散しており,本来なら当事者たちの問題であったはずの小さな事件を日本中の誰もが知ることになります。

 

日本大学の戦略

日本大学は首都圏に多数の校舎と学部を持ち,在校生は7万人以上,卒業生は100万人を超えます。国民の100人に1人は日大出身であり、多くの卒業生が自治体や企業で活躍している日本一のマンモス大学です。国内のどの地域,組織にも卒業生がおり,日大と聞けば誰でも知っている知名度が持ち味でした。入学試験の偏差値は中程度であり、学業優秀ではないけれど落ちこぼれでもない「普通の学生」に需要があります。

かつての大学は研究者や文官を養成する高等教育機関でしたが、国民の生活水準と教育需要が上がり,特に学問が好きでもない普通の高校生たちも親は「せめて大学に行かせたい」という需要が生まれました。大学に行きたい人が増えても大学側に教える教員がいなければ学生の受け入れは出来ません。教員の育成には多大な時間とコストが掛かり、入学の門戸を広げれば学生の質が低下するため,歴史ある大学も小規模であることが多いです。

日本大学はそうした中でも理系文系の学部を増設して日本一の規模となった大学です。少子化大学全入時代になって,全国の大学は入学生を取り合っています。ここで重要なのは研究の質を上げるために優秀な学生を取り合っているわけではありません。学問への熱意はないけど社会で活躍したい普通の学生を「学費を払ってくれるお客さん」として扱っているのです。日大に限らず、どの大学でも学生を受け入れるのは、学費を払ってくれるという経営上の理由なのです。だからこそ貧困家庭の子どもに教育機会を与えるという名目で、数百万円の奨学金や教育ローンを無担保で借してくれるのです。

1960年代,大学闘争が激化していた時代には、日大は最も激しい闘争が行われた大学でした。当時の一般家庭はまだ貧しく、学費を滞納する学生が多かったのに対して、日大の経営陣は学費の使い道が不透明であることが問題となりました。「大学とは学問の場でなく経営である」ことが日本大学の戦略です。大学経営を持続するためには学生,企業,高校,保護者などの利害関係者に対して「この大学に入りたい、子どもを入れたい」と思わせるような宣伝と大学ブランドが必要になります。日大は医学部と獣医学部を持っており,理工学部も質の高い研究を行っていますが、理系の学部は進路が明確な学生が入学するため,日大の主要顧客である「自分が何になりたいか分からないからとりあえず大学に行く」モラトリアム学生を文系学部に取り込むためには,学業以外での目立った実績が必要になります。学生ボランティアや地域活動を盛んにしても、実績という概念での評価は難しい。それに対して勝ち負けが明確であるスポーツは大学間の差異が一目で分かります。さらにテレビ放送されることで、大学の宣伝を全国に行える。

地方大学と異なり首都圏の総合大学は日本各地から学生が上京するので、全国的な知名度はとても重要です。学問研究の分野で実績をあげられないならスポーツ分野を強化する。日大の経営陣である理事会は体育会方針を採用し,スポーツ科学部を新設しました。現在は多数のオリンピック選手が在籍しており,アメフト部の選手たちも所属しています。日大経営陣は勝利至上主義の体育会組織である。今回批判の矛先となっているアメフト部の監督は、理事会の常務理事であり理事長のNo2という立場でした。大学経営の中枢におり,アメフト部のコーチたちだけでなく、大学職員の誰もが意見を言えない状況だった。これが事件の下地になります。