バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

クジラ釣りの終わり(上)

地球上で最も大きな生き物であるクジラ。人間との関わりも深く、古くから重要な食肉でした。日本は長年クジラ漁を続けていますが、捕鯨の是非は欧米の国と立場を異にしている問題の一つです。9月15日、IWC(国際捕鯨委員会)の会合で、日本側の捕鯨提案が否決されたことで、政府はIWC自体の脱退を検討していると報じられています。

家畜の肉類や魚と異なり、鯨肉は現代の消費者には馴染みない食材です。なぜ日本政府は、各国と溝を深めても捕鯨を続け、欧米各国は禁止を求めているのか、クジラを巡る問題を考察していきます。

 

クジラの生態

クジラは魚類ではなく、海に生息する大型哺乳類です。太古のクジラは、カバやゾウの仲間であり、水辺での生活から沖海に出て行き、泳ぐに適した体型に進化したと考えられいます。イルカとクジラは、学術上は同じクジラ類であり体長3m以上をクジラ、それ以下をイルカと呼んでいます。

大きな身体を維持するために大食漢であり、オキアミイワシを求めて世界中の海を回遊しています。中型クジラは群れで行動し、水中を伝わる音でコミュニケーションをとっています。クジラの歌の研究から、クジラたちは群れの中に役割分担のある高度な社会性と知能を持っていることが分かっています。

夏には餌の豊富な北極海南極海で脂肪を蓄え、冬から春先には、出産と子育てのために暖かい南国の海に回遊してきます。生き物の行動範囲は一定に限られることが多いのに対して、クジラたちの行動範囲は地球規模であり、生態調査がとても難しいのです。広大な海にある種のクジラが何頭いて、何年生きることができるのか、クジラの生態は謎に満ちています。

 

捕鯨の歴史

家畜の食肉が普及する以前、人間は常に飢餓との戦いであり、タンパク源を探していました。縄文時代貝塚からは貝や魚以外にもイルカの骨が出土しており、北極圏やニュージーランド先住民族もクジラ漁の伝統があります。とはいえ昔の漁船は小さく、大型クジラを取ることはできません。まれに海岸に打ち上げられたクジラを食料にしていました。

江戸時代には沖合のクジラを漁船団で湾内に追い立てる巻き網漁が普及します。黒潮の流れとともにクジラが回遊してくる南紀地方(和歌山県)や房総半島(千葉県)にはクジラ漁を生業とする漁師たちが現れます。

明治時代に船のランプとして鯨油の需要が高まると、日本と欧米諸国は世界中の海で捕鯨を始めました。この頃の遠洋漁船は大型化し、ノルウェー式のクジラ銛を搭載した捕鯨船は、一度に大量のクジラを捕獲できました。クジラは群れで行動する習性があり、毎年の回遊ルートも大体決まっています。膨大な数のクジラたちが制限なく乱獲され、20世紀中頃には大型のクジラは殆ど取れなくなりました。

太平洋戦争、第二次世界大戦を経た各国は食料事情に厳しく、巨大な肉の塊であるクジラは国民たちの命の糧でした。日本国内でも、昭和時代の学校給食はクジラ肉が定番だったのです。やがて飼料作物の大量生産が可能になると、牛や豚など家畜の数は爆発的に増え、食肉が一般消費者の食卓に上ることも普及しました。クジラは野生動物であり、肉には血の臭みが出てしまいます。餌から調整出来る家畜とは異なり、一般消費者のニーズが離れていったことから、クジラは人類の主食から外れました。また、石油精製の普及により、鯨油の需要も減っていきます。欧米各国は経済的、社会的に豊かになるにつれ、環境保護活動に目を向けるようになり、絶滅危惧となっていたクジラはまさに保護すべき対象でした。

国際捕鯨委員会は、本来クジラを食料資源として、持続可能な捕鯨をするために各国が毎年の漁獲量を調整するための組織です。委員会にはクジラ保護に熱心なオーストラリアやアメリカなど反捕鯨国も参加しており、商業捕鯨そのものを一律禁止するように求めています。日本、アイスランドノルウェーなど捕鯨推進国との立場は長年食い違ったままです。

 

捕鯨国の立場

1:種の保存の観点

クジラは現在84種近く確認されているが、最近になって新種だと判明したクジラも多く、生態は謎に包まれている。20世紀中頃まで、人類は世界中の海で捕鯨を行い、シロナガスクジラを始めとする大型のクジラは、種の生存が危ういほど数が減っている。人間はこれまで、旅鳩やドードー鳥、ステラー海牛など、多くの生き物を食料として絶滅させてきた。現代でもトラやサイなど、一部の人間の嗜好品として殺されることで絶滅に瀕している生き物は多い。人類の活動によって絶滅危惧される生物は数万種ともいわれており、この地球に生きるものとして過剰な活動は控えるべきである。特にクジラは、一度に数百の稚魚が生まれる魚類とは異なり、一頭ずつしか生まれず、成体になるまで数年はかかる。今は数が増えているといっても、一度数を減らせば回復は難しい。クジラの分類も未解明な領域が多く、数の多いクジラであっても、群れごとにDNAが異なる亜種がいる可能性も高い。よって捕鯨はクジラの種類に関係なく一律に禁じるべきである。

2:知性の観点

クジラやイルカは、音で群れのコミュニケーションをとっているが、音は複数の音階を組み合わせで出来ており、人間の言葉と同じ働きをしている。脳の容量も発達しており、野生のイルカが人間に慣れているなど、適応性も高い。クジラたちは人間と同じような心を持っていると考えられ、銛を打って殺すことは残虐かつ野蛮な習慣であり、文明国が行うことではない。

確かに人間は家畜を殺しているし、野生の鳥や魚を採っている。大豆製品などの植物性タンパク質を取れば栄養は足りており、全ての食肉は嗜好品だといえるかもしれない。だが、人間が好み、忌むのは理屈ではない感情の問題だ。ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラム教徒は豚を食べない。食肉を巡る文化や考え方の違いは大きく、それは科学や理屈の話で覆せることではない。

確かに牛や豚、鶏も心を持った生き物であり、屠殺は残酷だ。大抵の屠殺は人目を避けて行われている。だが、文明社会において肉を好む人はいても、ペットを食べようとは思わない。ペットたちは人間とともに生活しており、飼い主の人間には心で通じる友だちだからだ。ダイバーを始め、海を愛する人々にとって、人間と一緒に泳ぐイルカたちは、単なる動物ではなく種を超えた友人なのだ。彼らを守りたいからこそ、捕鯨は虐殺だとして抗議している。

3:国益の観点

オーストラリアは、親日国として日本との経済的結びつきを強め、資源や穀物を大量に輸出している。日本からは自動車を輸入している他、人の交流も活発であり、観光、留学、駐在など多くの人々が関わっている。両国の関係性はこれから益々重要になるが、棘となっている外交問題南極海捕鯨船だ。

オーストラリア大陸にはコアラやカンガルーなど固有種の有袋類が生息しており、貴重な生物資源として保護されている。海洋にはサンゴ礁の海が広がり、これら豊かな自然環境はオーストラリアの観光資源でありかけがえない財産である。夏に回遊してくるクジラたちも保護対象の生き物であり、国民に愛されている。しかし日本は調査名目ですぐ隣の南極海捕鯨を行っている。確かに排他的経済水域の外で行う公海上の漁であるが、クジラたちは南極海と大陸の近海を回遊しており、保護対象のクジラが捕獲されているのが実態だ。

日本近海にもクジラは回遊するのに、地球の裏側までクジラを追う必要がどこにあるのか。我が国の生物資源を奪われている状態であり、国民感情を損なっているこの問題には断固として対処する。