バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

火垂るの眠り

 

Grave of the Fireflies / [Blu-ray] [Import]

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日本を代表するアニメ監督、高畑勲氏への追悼として、不朽の名作「火垂るの墓」を解説します。映画公開から30年以上を経て、海外からの評価が極めて高く、国際映画祭での常連作品となっています。「余りにも悲しくて二度と見られない」と評される映画を高畑監督が制作した理由、それは商業主義や反戦主義とは一線を課した、死者の鎮魂のためなのです。

 

あらすじ

1945年9月、終戦直後の兵庫県三ノ宮駅にて、浮浪児の遺体が発見された。サクマドロップスの缶に妹:節子の遺骨を抱えた少年:清太の死から、幽霊となった二人は過去を巡る。

太平洋戦争が激化する時代に育った清太と節子であるが、海軍少尉の父親の存在により物資の配給を優遇され苦労のない生活をしていた。しかし1944年9月の神戸大空襲により、兄弟は自宅と母親を失う。数時間前まで元気だった母親が、焼夷弾で全身を焼かれ変わり果てた姿を見た清太は、妹に母親の死を隠し通そうとした。

親戚の叔母宅に居候することになった兄弟だが、日を追う毎に配給が少なくなる中で、叔母は仕事をしない清太と、母恋しさに泣き止まない節子を疎ましく扱うようになる。

清太は自分たちの暮らしを守るため、防空壕の中で妹と暮らし始める。清太は水遊びや蛍とりをして節子を楽しませるが、蛍の死骸を埋葬していた節子は、母親が既に死んだことを理解していた。無邪気な少女だった節子に、笑顔は二度と戻らなかった。

叔母の家を出た兄弟に配給はなく、食料事情は益々悪化する中で、いくら金を出しても食べ物は売っていない。清太は昆虫や蛙を採り、農作物を盗んででも食料確保に奔走するが、不衛生な環境と栄養失調で節子の健康状態は悪化していた。

医者を受診しても薬一つない状況で、清太は貯金を全額叩いて食料を買うが、その時すでに戦争は終わっていた。大日本帝国が戦争に負け、頼りの父親はとっくに戦死したことを知った清太は生きる支えを失い、唯一の家族である節子のもとに駈けもどる。衰弱していた節子は意識が混濁しており、スイカを一口含んで息を引き取る。そして清太の心は死んだ。

節子の遺体を燃やす清太を、節子と清太の幽霊が回想している。サクマドロップスを舐めながら、蛍の舞う草原で永遠の子どもとして彷徨う二人は、戦争から数十年経ち、大都会に変貌した神戸の街を見下ろしている。

 

大人になれない清太

火垂るの墓を読み解く上で、妹を守る清太の行動には問題が多くあります。清太は15歳になれば学生動員される年齢であり、叔母からは隣組の消火活動を手伝わないことで疎まれています。叔母の家を出たことで食料の配給がなくなったのですから、「清太が叔母に謝罪して、妹のために働けば、節子は死ななかった。清太は大人気ない」という意見はとても多いです。清太は何故「間違った行動」をしているのか、それは彼が「子ども」だからです。

清太は現代の中学2年生、大多数の中学生は完全に親の保護下にあり、働くことはおろか授業もろくに聞いていません。自分一人の生活基盤すら立たない子どもに、幼い妹の面倒も見ながら働けといっているようなものです。

シングルマザーの困窮が社会問題になっているように、食料や仕事が整った現代社会の大人ですら、育児と仕事を同時に行うことは困難なのです。母親を失い、信頼出来る大人が誰もいない状況で、14歳の少年が「正しい」行動をとることは現実としてあり得ません。

清太を大人びた少年として描けば、ハッピーエンドの映画になるでしょう。ですが戦争当時、清太と同じような浮浪児たちは全国に溢れていました。高畑監督が追求したリアリズムとは、主人公の清太をヒーローではなく普通の少年として描くことで「大人がいないから、子どもたちは間違い、死んでいった」と主張します。

この時代の大人とは、「御国の為に死ぬ」ことが「正しい」行動であると子どもたちに教えていました。そして終戦の日を境に、昨日までの敵国を敬うことが「正しい」と教えを変えたのです。ここには清太の行動を過去、現在、未来の時間軸で読み解く鍵があります。

 

蛍の生命

ラジオの天気予報が、今日の降水確率50%を予報していると考えます。私たちは傘を携帯しても外出はします。雨が降りそうだから会社に行かないと言う者は怠けているだけでしょう。

でも、空襲確率50%の予報が出ていたらどうでしょうか?外出したら1/2の確率で死ぬ状況ですが、これが戦時下の日常なのです。私たちは未来に繋がるからこそ、現在の苦しい状況を我慢するのです。誰もが老後の為に勤労に励むことは当然だと思って考えていますが、末期癌などで余命宣告を受けた人には老後も未来も存在しません。未来に備えて今を我慢することは無意味になるため、他人からはどれだけ馬鹿馬鹿しく無計画に見えても、自分自身のために生きるでしょう。

清太は母親の死に立ち会った時、自分と節子もいつ爆撃で死ぬか分からないことを理解しました。仮に叔母に従った場合でも、空襲は叔母の家を襲うかもしれませんし、消火活動を行う自分は死ぬ可能性が高い。そして兵隊に召集されれば確実に生きて戻れない。その場合、残された節子は保護者が誰もおらず、人買いに売られるか捨てられるだけなのです。

母親が死んだ時点で、清太はどの選択を取ってもいずれ死ぬのです。死んだら我慢も無意味になる。ならばせめて生きている間は、自分と節子が生きたいように生きよう。失われた子どもの時間を取り返そうという清太の行動なのです。物語は非情な現実と、蛍の舞う幻想風景が交互に進行しており、それが悲劇性を強調していますが、同時に生命の輝きに満ちています。まるで蛍が生命を燃やしているように、清太と節子は未来の為に現在を犠牲にするのではなく、この一瞬のために生きているのです。

 

循環する時間

この映画は、清太の死から始まり、節子と清太の幽霊が自分たちの過去を辿って死を見届ける場面で終わります。物語の終わりに死んだ節子と清太は、幽霊となって映画の冒頭に戻るという、循環する時間軸に閉じ込められているのです。この循環する時間軸こそが、映画のテーマである彷徨える魂を意味しています。何故二人は時間軸を繰り返しているのか?それは自分たちがどの時点で決断を間違えたのか、探し続けているのです。

生まれてから死ぬまで、私たちの人生とは選択の連続であり、現在の状態は選択の結果です。就職先を後悔した、結婚相手を間違えた、など人間は誰もがあの時こうしていればという決断に対する後悔を抱えています。しかし「あの時」の自分は、それが最善の選択肢だと考えており、後悔しているのは未来の結果が分かった時なのです。「現在」から「未来」は絶対に分からない。だからこそ、あれこれと未来予測を立てた上で選択するのですが、ゲームの世界で何度も同じ場面で躓くように、どの選択肢を選んでも既に詰んでいるという状況が現実には起こり得る。清太と節子にとっての状況とは「子どもだけで戦火にいる」ことです。

二人の死因が、空襲で焼かれることであれば、悪者はアメリカであり、清太が兵隊として戦死すれば、日本の軍国主義が悪者となります。しかし実際の死因は、清太の選択が裏目に出たことによる餓死でした。誰が悪者か、加害者が明確であれば結末が良い映画になりますが、この物語の登場人物は、全員が自分勝手さと選択ミスを示しており、二人の死はその結果なのです。後味の悪い結末になるはずが、死んだ二人は映画の冒頭に戻りますから、物語も最初に戻ります。映画が清太と節子が死ぬまでの過程を繰り返し上映することになります。一度見ただけでも救いようのない物語を、何故繰り返しているのか?それこそが死者の鎮魂なのです。

 

火垂るの眠り

太平洋戦争は、戦死者、民間人の死者を含めて未だに全容判明していないほど多くの人が死にました。誰もが身内を失っており、戦火を生き延びた人々は、何故自分だけが生き残ったのか分からない「サバイバー」なのです。火垂るの墓の原作者である野坂昭如氏は、幼い妹を餓死させた実体験を元に小説を書いていますが、その理由は死者の生きた証を語ることによる鎮魂です。

日本の伝統芸能である能楽の主な演目は、恨みを遺して死んだ死者が怨霊となる内容であり、数百年間同じ内容を演じています。能楽の舞は芸術というよりお祓いに近く、死者を鎮める呪術的な性格をもっています。人が生きて理不尽に死ぬまでの過程を物語るのは、未練を残して彷徨う死者の魂を鎮め、生きている人を後悔という時間の循環から解くためにあるのです。

戦後70年経ち、日本は敵国であったアメリカ側につく選択をしたことで経済大国となりました。しかし今日の世界で戦火が絶えることはなく、途上国の村では、家の庭先に地雷が埋まったまま生活しています。世界人口の半数、35億人は貧困ラインにあり、一つの選択ミスで生命を落とす状況に置かれているのです。確かに火垂るの墓は悲しい映画です。そしてもっと悲しい現実が今日も世界各地で起きている。戦争、災害、貧困、異常な事態は人間の判断を狂わせ、間違った結末に導いてしまう。清太と節子と同じ運命を辿った、彷徨う火垂るたちに安らかな眠りは訪れるのか。今を生きる私たちは繰り返し問われているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「IT:あいつ」の正体

 

 

 


アメリカを代表する世界的作家スティーブン・キング。「スタンドバイミー」「グリーンマイル」「シャイニング」など、半世紀近くベストセラーを刊行し、「ホラー小説の帝王」の異名を持つ彼の代表作から2017年に映画化された「IT」を読み解きます。

 

あらすじ

1989年、アメリカ中部の町で子供たちが行方不明になる事件が多発していた。主人公は、弟が雨の日に行方不明となり、友人たちと町の排水溝を調べている。調査に乗り気でなかった彼らの目に、「あいつ」の恐怖が見え始める。ペニーワイズと名乗るピエロは、見た人間によって最も恐いものに変化していた。恐怖に負けたら排水溝に引きずり込まれる事を悟った彼らは、「あいつ」と闘うことを決意する。

 

1:あの頃の、得体の知れない何か

この映画の主人公は15歳前後の少年たちです。そして映画自体が、少年たちの視点だけでなく、生きている世界を描いています。少年期の懐かしさを現すのでなく、思春期にしか分からない息苦しさの世界観なのです。いじめや仲間外れ、大人たちの無理解、セクシャリティへの違和感といった誰もが通ったはずの薄暗い青春時代を背景としています。

少年たちはクラスメイトからのイジメや親からの支配に怯えていますが、被害を加えるのは自分たちと同じ普通の人間です。その加害者たちも別の人間から被害を受けている。

日本国内でも毎年イジメ事件が発生していますが、自殺に至ったイジメ被害はごく一部であり、身体的には生きていても精神を破壊され、在るべき居場所を失った子どもたちはいくらでもいます。

イジメ事件は、見て見ぬ振りをしていた周囲も加害者だと指摘されるように、「悪役が明確でない」ことが特徴です。イジメの加害者は、自分もイジメられるのが怖くて被害者を殴っているのかも知れないのです。ここには被害者と加害者の二項対立を超える恐怖が構造されています。誰が敵で味方なのか?得体の知れない恐怖が蔓延している。その正体と対処法がわからないという難題に少年たちは向き合っているのです。

学校ではイジメがあり人種差別が蔓延し、大人たちは守ってくれない。現実の世界は在るべき姿から遠く、理不尽な世界から身を守るには信頼出来る仲間と結束するしかない。確かに世界が理不尽なのは大人たちの怠慢です。しかし「安全を確保するのが大人の責任だから自分は外に出ない」と自分を正当化しても、事態は何も解決しません。大人に成長するとは「危険な目にあうのは納得いかないけど、外に出るために自分が動くしかない」と自覚することなのです。

 

2:ペニーワイズの正体

恐怖のピエロ、ペニーワイズは子供たちにとって最も恐い対象に姿を変え、その恐怖心を喰らう存在です。原作においてペニーワイズ自身が「俺はお前の恐怖そのものだ」と語っており、ペニーワイズとは小さい頃の心傷(トラウマ)が具現化したものだと考えられます。

人間には外傷を治す能力と同時に、精神的ストレスを強制的に忘れる能力があります。心理的なトラウマは別の記憶に置き換えられ、当時の出来事は無意識領域に隠されています。しかしトラウマは心から完全に消えた訳ではなく、時に恐怖として表面化する。ペニーワイズが見えた時とは、自分の内なる恐怖との対峙でもあるのです。だからこそ、主人公たちは必死で逃げるのですが、やがて自分自身からは逃げられないと悟るのです。

 

3:父親殺しの通過儀礼

キングの代表作である「スタンドバイミー」は、少年たちが死体探しの冒険を通して線路の向こうの「死の世界」に旅立ち、「生の世界」に戻ることで大人に成長するという物語です。ホラー版スタンドバイミーと評される「IT」において、少年たちの成長は親殺しに示されます。

イジメ役のリーダーはペニーワイズから渡されたナイフで警察官の父親を殺し、ヒロインは、父親からの性的虐待から逃れようと、陶器で撲殺してしまいます。いずれも共通するのは、絶対的な父親の支配から逃れるために、自分の意思を示していることです。

子どもたちにとっての恐怖とは、ペニーワイズだけではありません。イジメをするクラスメイト、支配的で子どもを道具扱いする親たち、親から性的な目で見られることへの嫌悪と女性らしく成長する身体。本来守られるものから狙われているという恐怖があり、恐怖に打ち勝つためには「親を殺す」必要があります。

エディプスコンプレックスと呼ばれる、ギリシア神話のオディプス王物語を題材にした親殺しの成長物語は、多くの小説や漫画の共通テーマとなっています。自分の成長のためには支配的な親と対峙して「殺す」ことで、親を乗り越えて精神的な自立を果たす。物語の中で親は圧倒的な恐怖として立ち塞がります。

私たちにとって親とは、幼い自分を育ててくれた絶対的な存在です。しかしいずれは誰もが、親の庇護を離れて独り立ちしなければなりません。自立するとは親からの受け売りではない自分の考えを表明することであり、精神的な意味での「親殺し」を果たす必要がある。映画や小説で親殺しの構造が繰り返されるのは、私たちが大人になる上での通過儀礼だからです。

 

4:「あいつ」との対峙

映画の終盤において、主人公は弟に扮したペニーワイズと対峙します。自分が作った紙船で遊んで弟が排水溝に落ちたことから、罪悪感に囚われた主人公は弟の死を受け入れられません。頭では死んだと分かっていても、認めることがどうしても怖かった。だからこそペニーワイズは弟の姿で現れます。

正体を暴かれたペニーワイズは、次々と恐怖の対象に変化して襲いかかります。ペニーワイズは恐怖心を餌に成長する。逆に言えば、恐怖を感じなければ全く非力なのです。仲間を助けるために内なる恐怖と対峙した少年たちはペニーワイズを追い詰めて行き、井戸の底に突き落とします。

この物語のタイトル「IT」とは、殺戮ピエロを意味するだけでなく、もっと広い概念、「あいつ」としか言い表せない得体の知れない恐怖のことです。私たちは恐怖を乗り越えたことで大人になったけれど、恐怖自体が消えた訳ではない。原作では、大人になった主人公たちが「あいつ」が帰ってきたことを知る場面から、現代の戦いと少年期の戦いが交錯します。来年公開予定の次作では、大人になった主人公たちが再び「あいつ」と対峙します。内なる恐怖と対峙することが大人への成長の階段だとする「IT」は、大人にとっての暗黒童話であり、恐怖の本質を描いた物語なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐怖の正体

誰もが経験する「怖い」という感情は「関わりたくない」と「味わってみたい」という相反する二面性を持っています。何故人間は恐怖を感じつつも、恐怖体験を求めるのか、恐怖の正体を考察します。

臆病な遺伝子

人間を始めとする高等生物は、喜び・悲しみ・愛情・怒り・嫉妬・孤独など、様々な思いを感じて生きています。意識は感情と結びついており、人間の行動は感情の決定によっている。「感じる」ことは生きることと同じだけの意味を持っています。そのため感情を持たない人工知能には生きている概念がありません。人間の場合でも、うつ病など脳が強いストレスに晒されて感情が想起されにくい状態では、生きる意欲も極端に低下しており、自殺リスクが高いのです。

全ての生物は知能の高低に関わらず「生きたい」という感情:生存本能を持っています。生きるためには食物からエネルギーを得る必要があるため、「食べたい」という食欲は最も基本的な欲求です。草食性動物は草木から炭水化物を得ていますが、肉体を構成するタンパク質は微量なので、一日中大量の草木を食べる必要があります。そのため一部の動物は、効率的に栄養を取るために他生物を喰い殺す肉食性に進化しました。

自然界の生態系サイクルにいる生物たちは、強い肉食動物に追われる立場です。外敵から身を守るには、危険を察知して素早く逃げる必要がある。弱肉強食と言われる自然界ですが、強い動物であっても身体に傷をつくれば細菌感染による壊死や失明で簡単に死んでしまいます。生き残るために必要なのは立ち向かう強さではなく、危険を避けたい臆病な心であり、「恐怖」とは食欲と同じく生存に関わる感情なのです。

 

恐怖の対象

恐いものは何かと考えた場合、一般的には死霊やゾンビなど、「死の概念が具現化したもの」が浮かびます。生物は生存を脅かすものに恐怖を感じますが、感情機能が複雑な人間は様々なものが恐怖の対象になります。

1:生命を脅かす存在

ライオンやクマなど、人間を襲うこともある大型肉食獣も恐いですし、蜂や蜘蛛などの毒性虫も恐怖を感じます。また銃や刃物など、殺傷能力のある武器も脅威ですし、単純に殺されるより切り刻まれる方が恐怖が増すため、ホラー映画の殺人鬼は電動ノコギリで襲ってきます。

 

2:生命を脅かす状況

現代人が安心して生きるためには衣食住とプライバシーが確保された生活空間が必要です。災害や戦争などで、生活環境が破壊されることは深刻な恐怖となります。災害大国である日本では、津波や土砂崩れに巻き込まれた経験のある人々も多く、危機管理体制が繰り返し問われています。そして危機管理とは正に、災害がどれだけ恐ろしいのかを知ることなのです。

古来より日本では、天災に対する「畏れ(人知を超えた破壊力を荒ぶる神の怒りとする概念)」を持っており、京都の祇園祭(平安時代の祟り神を鎮める祭事)に代表されるように、神社の祭りとは荒ぶる神を鎮める祭事が始まりでした。国内で毎年多数の死者が出ている状況にあって、地震津波・雷・集中豪雨・大雪・火事・火山噴火などあらゆる自然災害に個人で立ち向かうことは無謀です。生き延びるには早く逃げる必要があり、災害の兆候を恐れることは恥ずかしいことではありません。

 

3:日常への侵入者

殆どの人間はゴキブリが嫌いですが、昆虫のゴキブリ属の大半は森林に生息しており、危害はおよびません。にも関わらず私たちが恐怖を感じるのは、「自然」が「私」の領域に侵入するからです。

生物は住処で休んでいる状態が最も無防備であり、外敵を意識なくて良いため緊張が解けています。都市文明の発達と共に、人間は安全を手に入れるため住宅の密閉度を高めてきました。家の中では素足であり、部屋着の状態で生活しています。そこに外部からの侵入者である虫類が出現すると、人間は外部の自然が自分のテリトリーを脅かしていると感じてしまうのです。実害が有る無しに関係なく、侵入者を排除しなければ安心して暮らせません。

良く分からないものを自分たちの領域に入れるのは怖いという感情は、生物としての縄張り本能によるものですが、人間同士の場合では外国人や異教徒に対する拒否感として現れてしまうのです。先進国においても人種差別が根深い問題でなのは、誰を仲間と認める上で「国も肌の色も関係ある」のが現実だからです。

 

4:見知らぬ領域への侵入

他人の領域への侵入者は怖いと言いましたが、逆に自分が他人の領域に侵入してしまった場合はさらに恐ろしいです。パスポートを持たずに言葉の通じない異国に来てしまったような、自分を保護してくれるものが何もない状況では、誰かが襲ってきても、助けを求められないのです。あり得ない話に聞こえますが「拉致被害者」とはそういう状況にあるのです。身近な家庭に置き換えると、夫が味方してくれない妻が、義理の両親を訪ねるような状況です。

 

5:情報監視社会

フェイスブックツイッターなどのSNSが若い世代を中心に広がっています。誰もが気軽に自分の写真や意見をアップ出来る反面、こうした意見や画像が一人歩きする事態も起きています。一般にSNSへの投稿に著作権は認められません。誰もが簡単に複製できることで、拡散するのがSNSだからです。

そのためSNSに写真を投稿する場合、被写体の肖像権に配慮することが必要です。写真にはGPS機能がついており、投稿を辿ればその人がいつ何処で誰と一緒であったか、一瞬で検索出来ます。探偵の尾行で1週間かかる身辺調査が、一般人でも数分で出来てしまうのです。

別れた恋人の投稿をSNSで検索する程度なら通常の使用範囲ですが、ストーカー化した場合、SNSの投稿によってその人の行動は全て監視されてしまいます。投稿を見られたくない人間がいる場合は、過去の投稿も含めて全て消去した方が安全です。

ツイッターは誰もが気軽に意見を呟けるSNSですが、仲間内と会話する感覚で他人を中傷している人もいます。自分のツイートは仲間内にしか公開していないと安心しているのかもしれないですが、ツイートの転載は個人ブログでも掲示板にも簡単に出来ます。

最も危険なのは若い頃の悪自慢をして、過去の違法行為を書き込むことです。「現在の地位が高い奴ほど過去の違法行為やモラル違反を暴き立てて、地位から引きずり降ろすのが面白い」大手マスコミをはじめ、メディアとは大衆のルサンチマン(強者に対する鬱屈)を晴らすことが正義であるという基本方針があります。それは一般人も同様であり、反社会的な投稿が炎上すると、投稿主が削除しても攻撃を続け、過去の投稿を遡って投稿主の実名や住所を特定するケースもあります。

悪い事を追求することの何処が問題なのか?と思う方もいるかもしれませんが、相手は私たちと同じ一般人であり家庭を持っていることもあるでしょう。報道被害は当事者の家族にも及びます。その人たちの生活を壊す権利など誰にもありません。ましてや私たち、警察権を持たない一般人が、自分を正義だと考えて他人を追い詰めること自体が恐ろしいことです。

 

 

 

生命の氷

地球で最も南に位置する南極は、一年を通して氷に覆われた場所であり、人間が定住できない唯一の地でもあります。それ故に南極大陸は、世界のどの国にも属していない氷の聖域でもあります。

 

地球で最も寒い場所

地表の気温は、太陽熱で大地と海が温められることで上昇します。そのため太陽熱が当たりやすい赤道付近は常夏の気候であり、太陽熱から遠い極地では寒冷気候になります。

北極の氷下は海であり、水面だけが凍っているため、水中温度は1℃以上あります。一方で南極は大陸の上に厚さ1500mを超える氷が覆っています。永久凍土の底冷えと高所の強風により熱が失われるため、北極よりも南極の気候が寒くなります。

地球は1日1回自転することで、その土地に夜と昼が訪れます。また、大地の自転と上空の大気とのズレが気流を生み、気象をつくっています。この自転軸が北極と南極であり、南極の夏は太陽が24時間同じ位置ある白夜の状態になります。冬は反対に、日中でも太陽が登らないために常に暗く、南極点では−70℃を下回る極寒の世界なのです。

 

極寒の世界

氷結とは物体の分子運動エネルギーがなくなることで、水分子が固体化することです。水の氷結温度を0℃と基準にしており、水分を含んだ物質は内部温度が0℃を下回れば凍ります。

そして−70℃の世界では自然界の全てが凍りつきます。大気中の水分が凍るため南極の湿度は低く、空気中では病原体が生存できません。意外なことに南極で風邪を引くことはないのです。汗をかけば一瞬で皮膚が凍り、深呼吸をすれば肺の奥まで凍りついて死に至ります。

熱伝導の良い金属製の機材や足場に素手で触れてしまうと、手が凍りついて離れなくなります。素早く処置をしなければ凍傷で手足や鼻先を落としてしまう。防寒着を何重に着込んでも、野外で活動出来るのは日中だけであり悪天候や夜間に外出することは出来ません。

野生動物の生息も厳しく、寒さに弱い昆虫類はいません。土中に微生物が存在せず土に栄養がないため、植物は苔類が生えるだけです。陸の生態系が存在せず、氷の大地には一滴の水もないため、南極は世界最大の砂漠に分類されています。

 

南極海の生命

氷に覆われた不毛の大地である南極ですが、氷河の下にある海の中は地上よりは暖かく、豊かな生命が生きています。魚類や甲殻類は変温動物であり、海水温が1℃でも活動できます。

北極の氷は海水が凍ったものですが、南極の氷は雪が積もって氷河となり、海に落ちて氷山となります。真水を成分とする氷河が溶けると、比重の異なる海水とはすぐに混ざりません。冷たく重い水は深層海流となり、海底の泥を巻き上げます。この時に泥の中の栄養も含まれており、海水と混ざり合うことで植物プランクトンが爆発的に発生します。

南極海には体長2~3cmのオキアミというエビの仲間がいます。オキアミは植物プランクトンを餌としており、海中を紅く染めるほど大量に発生します。このオキアミは海中生物の主食であり、一日数トンのオキアミを食用するクジラたちが南極海に集まります。他にもアザラシやペンギン類、大型魚類が南極海に集まるため、南極海は世界有数の漁場でもあります。

 

氷下の世界

南極大陸は夏でも気温が0度を超えません。そのため南極の雪は溶けることがなく、毎年降った雪が氷となって積み重なります。100万年という膨大な時間をかけて形成されたのが地表の氷であり、過去数十万年の大気が時代ごとに閉じ込められたタイムカプセルなのです。南極は人間の生活圏から離れており、大気中の塵や水分が殆どないため、空気は清潔に保たれています。地球の気候変動メカニズムを研究する上で重要な場所であり、世界各国は南極に観測所を設置しています。

南極大陸はかつてオーストリア大陸とつながっており、地表プレートの変動により極地まで移動しました。氷の下の大地は、数百万年前まで他の大陸と同様に多くの動植物が生息したと考えられています。

 

地球最後の聖域

不毛の大地である南極は、過去数十万年に渡って人間の進出を阻んできました。そのために地上も海も大気も環境汚染されず、天然のクリーンルームになっています。

近年の国際社会では、地球温暖化による気候変動が人間の生活圏を脅かしており、温暖化防止は緊急の国際問題として挙げられています。欧米各国では、経済全体の枠組みで二酸化炭素の削減を掲げており、これまでは温暖化対策に否定的であった中国なども対策を打ち出しています。しかし、実は地球が温暖化するメカニズムは解明されていません。

地球の気候は、世界全体が寒冷化する氷河期と、温暖化する間氷期を繰り返してきました。現在は間氷期であり、地球はこれから氷河期になるという見解も多いのです。温暖化の主因も二酸化炭素濃度上昇だけでなく、太陽活動の活発化、海水温の上昇、極地の氷解、海底のメタンガス放出、火山活動など様々な主張がされています。

「地球は温暖化している」「地球は寒冷化する」、「温暖化は人間の活動が原因」「温暖化は自然の摂理」、「温暖化は人間を含めた生態系全体を破壊する」「地球は温暖化と寒冷化を繰り返しており、生物は環境変化に適応してきた。生物は気温上昇により活性化するのだから、地球全体が温暖化すれば生態系は豊かになる」。世界中の気象学研究では、地球温暖化の真偽から結果に至るまで議論が入り乱れており、温暖化メカニズムも仮説の段階です。そのために国際会議では、各国は自国の利害に一致した気象データを引用している状態で、国際協定の足枷となっています。各国の足並みを揃えるためには科学的に正しい気象理論と、根拠となるデータが必要なのです。

南極の氷は、温暖化と寒冷化を繰り返した地球大気の記録レコーダであり、南極の空気は地球規模での大気汚染や気温変化を観測できます。日本から遠く離れた南極は気象学研究にとって大変重要な場所であり、国立極地研究所昭和基地を拠点に毎年多くの研究者を南極に派遣しています。南極には国境線がなく、研究基地の外に人間は誰もいません。各国の基地では研究データの共有を通じて国際交流しています。食料も燃料も研究資材も、必要最小限しか持ち込めない南極は極限世界のサバイバルであり、国を超えて助け合わなければ生活できません。

 

地球の氷嚢

南極大陸は地球全体の氷の7割が集中しています。夏場の飲み物に氷を入れるように、氷には水や空気から熱を吸収して温度を下げる働きがあります。火照った身体を氷嚢で冷やすように、南極の氷は大気や海水温度の上昇を緩和する働きがあります。

局地的な海水温上昇はエルニーニョ現象ラニーニャ現象などがあり、大量の水蒸気が上空で大型低気圧となって台風を発生させます。海水温上昇は豪雨や干ばつなどの異常気象を引き起こすことが分かっており、南極の氷が溶ければ温度上昇は加速します。

生物の住めない南極大陸は、海水温を低く保つことで地球全体の生物を守っている、かけがえのない地球の氷嚢なのです。

 

 

 

 

生命のタマゴ

スーパーの卵は食卓に最も身近な食材です。和食、洋食、お菓子まで、どんな料理にも使える万能食材であり、生命維持に必要な栄養素を全て持った完全食品でもあります。今回は卵の秘密を生物学の視点から解説します。

 

卵とは生命の原型

一般的には食品としての鶏卵がイメージされる卵ですが、私たち人間を含めて鳥も魚も生物は卵から生まれてきます。卵の黄身である卵子は生命の原型であり、哺乳類の胎児が子宮内で発育する代わりに卵の殻に包まれて発育します。

強固な殻は、内部の生命を守る構造をしています。悪天候や衝撃から内部を保護する構造であるため、近代建築物や自動車の形状は卵をモデルとした物があります。

殻は通気性が良いにも関わらず、汚染物や病原体を通しません。一見滑らかな卵の殻はカルシウムとタンパク質の微細構造であり、フィルターの役目をしています。

卵の白身には病原体に対する抗体が含まれており、幼胎の栄養源と同時に防御の役目もあります。一般の生鮮食品は消費期限が3日程度であり、日数が経つと病原体が発生してしまいます。しかし卵は冷蔵保存して加熱料理すれば1ヶ月は持つとされます。他の生鮮食品は生物の破片であり、細胞レベルでは死んでいますが、卵は一個体の生命が眠った状態だからです。

卵が細胞レベルの機能を保っているという特性を生かして製造されるのが、インフルエンザワクチンです。細菌と異なりウイルスには生命維持機能がなく、生物の細胞内でなければ増殖出来ません。弱毒性ウイルスを純粋培養するには「生きた容器」である鶏卵が使われるのです。一個の鶏卵からは2単位のワクチンが製造出来ますが、インフルエンザの大流行に備えるためには数十万単位のワクチンを事前に製造する必要があります。近年では一度に50単位製造出来るダチョウの卵を使用したワクチンも研究されています。

卵のカタチ

鶏卵を始め、鳥の卵は偏った楕円形をしています。亀やトカゲの卵は球形、ヘビの卵は完全な楕円形です。卵細胞の形は球形なので、卵の形状も球形が本来の形状です。しかしヘビは胴体が細長いため、卵管を通れるように卵も細長くなりました。爬虫類の卵は形状が丸型であり、恐竜の卵化石も楕円形です。恐竜から進化した鳥類は、樹上や崖など高い場所に巣を作るため、卵が転がらないよう歪な形状になっているのです。

魚類の卵は殆ど球形ですが、ネコザメなどの小型のサメ類は、海藻のように不思議な形状の卵を産みます。卵を周囲の海藻に巻きつけることで、潮に流されないようにしています。大型のサメ類は卵を母胎内で孵化させる、胎生の種が多いです。

 

鶏卵の誕生

食品としての代表格である鶏の卵ですが、食品用の卵は全て無精卵であり、ひよこが羽化することはありません。野生の鳥が産卵するのは子育ての時期だけですが、鶏を改良して作られたブロイラーという品種は、1日1回は無精卵を産みます。餌やりから採卵までを効率化するために、鶏たちはA4用紙と同サイズの狭いケージに集団で飼われています。

経済成長に合わせて様々な食品が値上がりする中、1個10円程度の価格を保ってきた鶏卵は「物価の優等生」と呼ばれましたが、それは鶏たちを「卵を産む機械」として採卵の効率化を追求したからです。鳥は本来警戒心が強く、野生の鶏は広範囲を単独で行動します。ケージで身動き出来ないことも、集団でいることもストレスをかけており、鶏たちの健康を損ねていると指摘されます。

家畜の餌には抗生物質を混ぜているのですが、ウイルスには効果がありません。一羽でも鳥インフルエンザに感染すると、狭いケージに集団飼いされた鶏には一瞬で蔓延します。鳥インフルエンザの感染爆発が恐れられているのは飼育システムの事情があり、ウイルスの陽性反応が一羽でも出れば鶏舎全部、数十万羽の鶏を処分しなければなりません。

鶏は総排泄孔と呼ばれる肛門と卵管が繋がった器官から卵を産むため、産みたての卵は便汚染された状態です。日本には生卵を食べる習慣があるため、採卵は洗浄消毒して品質管理を経た上で出荷されますが、大腸菌サルモネラ菌による食中毒が毎年発生しています。外国の場合、スーパーの卵は生食用に製造していないために、必ず加熱料理する必要があります。

また、卵はアレルギーの出やすい食品であり、食品アレルギーを発症しやすい子どもは特に注意しなければなりません。卵白は小麦粉の繋ぎとして、パンや麺類など多くの食品に使用されていますが、鶏の抗体(免疫系タンパク質)が含まれているので人体の抗体と反応しやすいのです。スーパーの食料品には卵使用が表示されていますが、地域や一般家庭で作ったお菓子などを子どもに渡す際には配慮が必要になります。

 

色彩の科学・色覚の世界

私たちの日常世界には様々な色が溢れています。しかしそもそも「色」とは何なのでしょう。今回は色と光の関係から、自然界の色彩の秘密、人間は色をどう認識しているかを紹介します。

 

虹色のプリズム

光の正体は、光子という極小粒子と一定の波運動で表現されます。光子は1秒間に地球を7周半という文字通りの光速で運動し、その動きは一定の振幅を持った波です。この波長が長いと光は赤くなり、短いと紫の光となります。赤よりもさらに波長の長い光は赤外線という熱エネルギーとなり、紫よりも波長の短い光は紫外線となって、生物の細胞を壊すエネルギーがあります。人間の目で捉えられる光は赤〜紫の波長であり、赤外線・紫外線は目に見えません。

雨上がりに浮かぶ虹は、赤色、オレンジ色、黄色、緑色、青色、藍色、紫色で構成されています。虹は雲のカーテンに写った太陽光なのですが、白色の太陽光が光の波長に応じて分解されています。

分光器(プリズム)の原理

大気とガラスは太陽光を通しますが、物質の密度が異なるため光がガラスを出る時に進路が折れ曲ります。この時、波長の長い赤い光が先に出て、一番波長の短い紫の光が最後に出ます。太陽光自体は様々な波長の光が合成された白色ですが、波長の長い光から短い光に分光されることで虹色に光ります。空気中の雨粒がプリズムとなった現象が空に架かる虹であり、赤〜紫光の波長をスペクトルと呼びます。

ニュートンの光学色彩論

万有引力の発見で知られる物理学者アイザック・ニュートンは、微積分の発明や錬金術の研究など様々な分野で活躍しますが、彼の研究にプリズムを使用した光学色彩論があります。元々は天体望遠鏡を使う時に、レンズによる分光の誤差を計算するための研究でした。紙に投射したプリズム光を計測し、太陽光は7原色で構成されており、各色の光には固有のスペクトルがあることを発見したのです。

 

物体の性質と色の関係

私たちの身の周りの物は自ら発光しません。物が見えるのは物体が反射した光が目に入るからなのですが、物体は素材の性質によって一定のスペクトルの光を吸収するため、反射した光だけが物体の色として見えるのです。

宝石のダイヤモンドは、高密度の炭素の結晶体です。そのため光の屈曲は石英の結晶であるガラスよりも高く、内部に入った光は分光して乱反射するので、キラキラと輝いて見えます。

結晶化しない炭素は全ての光を吸収する性質があるため、炭は黒く見えます。黒色は、全ての光を吸収した状態であり、白色は全ての光を反射しています。

水は光を透過するために無色透明であり、氷は表面で光を一定方向に反射するので鏡像が映ります。雪は本来透明ですが、微小の氷が光を乱反射するために白く見えます。雪原や白い砂浜では、太陽光は紫外線も含めて全て反射してしまいます。そのため紫外線による雪焼けや日焼けを起こしやすいのです。

 

自然界の色

色鮮やかな花が咲く植物も葉は全て緑色です。植物は大気中の二酸化炭素光合成によって糖分に変えますが、太陽光を効率よく吸収するには赤色のスペクトルが必要なのです。そのために光合成を行う葉緑体は緑色のスペクトルを反射し、葉は緑色に見えます。秋から冬になると、落葉樹の葉は葉緑体が抜けてゆき、緑色が薄くなるために色付きます。特にカエデ科の植物は葉の凍結を防ぐために糖分を蓄えるので、紅葉は赤くなります。

植物の花は色鮮やかですが、これは観賞用として品種改良を重ねたためで、原種の花は小ぶりで色も薄いことが多いです。元々の花は昆虫たちを寄せるために色付いており、地味な色調の花も紫外線カメラで映すと、全く違う色が見えます。人間の視覚では見えない紫外線ですが、昆虫には見えており、昆虫たちの色の世界は人間とは異なると考えられています。

蝶やコガネムシなど、昆虫は色鮮やかな種類がいます。昆虫は触覚などの感覚器が発達していますが、寿命が数ヶ月しかなく繁殖の機会は僅かです。短い時間に雌雄が出会うために、身体の色を目立たせています。一方で哺乳類の体色は殆どが白、黒、茶色です。サル族以外の哺乳類の視覚は色を見分ける機能がなく、モノクロの世界に住んでいるのです。

良く誤解されがちですが、スペインの闘牛士が牛に赤い布を振るのは、牛を興奮させるためではありません。赤い色は人間である観客へのパフォーマンスであり、牛には黒い布が見えています。

哺乳類に色覚がないのは、明暗を感じる機能に特化しているためです。日中は外敵に見つかる危険があるため、哺乳類の大半は夜行性です。夜目を効かせるために微小な明暗を捉えられますが、暗闇の中を動くために色が分からなくても良くなったと考えられます。一方でサル族や鳥類は植物の果肉を食べます。未熟な果実は毒成分があるので、完熟した実を見分けるために眼の色覚が備わりました。

 

色覚の世界

色とは光の波長の違いであることを説明しましたが、光は私たちの視覚が捉えて初めて「色」に見えます。そしてこの捉え方、色覚の世界は個々の人間によって異なるのです。

色覚が人によって異なるとはどういうことか、分かりやすいのは「青」と「緑」です。年配の人は緑色を「青色」と言い表わすことがありますが、これは昔と今で色の定義が異なったためと、加齢による視力低下で色の見分けが曖昧になっていることによります。

白い雪は北方民族には数種類の異なる色に見え、七色の虹はアメリカの先住民には3色に見えるとされます。色覚は生まれた土地の風景色を元に発達するため、人々の見えている色概念は異なっています。私たち日本人も「藍色」や「桜色」など、独自の色概念を持っています。

色盲の世界

人間の男性はおよそ20人に1人の割合で、色覚異常(色盲)を持っています。これは遺伝子の欠損が原因であり、XXの染色体を持つ女性には極めて稀です。赤色が判別しにくい赤色盲と、緑色が判別しにくい緑色盲が代表的ですが、色の見え方や程度は個人によって全く異なります。軽度の色弱であれば、原色が薄く見えているので、一般人の見え方と変わりません。重度の色盲では、風景は赤一色や白黒に見えています。色覚が異なっても他人からは分からず、本人も気が付かないことが多いため、自分が色盲であることを知らずに生活している男性は大勢います。

かつての日本では小学校で色覚検査が実施され、色覚異常ありと判定されると運転免許や就職試験で不合格となりました。色覚異常の男性は社会に出る上で大きなハンディを負っていたのですが、色覚異常は色の見え方が異なるだけで視力は正常です。交通信号の色が判別しにくいため、当事者は自動車の運転には気を使っています。

左利きの人は日常生活の上で不便なことがありますが、それは社会の構造が多数派である右利きを基準に造られているからであり、左利き自体は異常ではありません。もしも左利きが多数派であれば、右利きが不便になっていたのですから。色覚異常も同様の構造があり、もしも多数派が赤色スペクトルの光を「緑色」と認識すれば、それは「自然」なことになるのです。

当事者の男性たちが社会に訴えたことで、現在では運転免許の色覚検査は不合理差別として廃止され、学校での色覚検査も差別を助長するとして行われていません。ですが、電車の運転手や航空機パイロットなど、運転責任が重大で運行指令部との正確な意思疎通が求められる仕事には、現在も色覚検査が行われています。色覚異常は日常生活で自覚することが少ないので、気になる方は眼科を受診する必要があります。ただし色覚異常は根本的な治療法がなく、色の見方が異なるのは異常ではなく個性の一部であり、治療の必要性がないとする見解が一般的です。

色盲の男性は決して珍しくないのですが、染色体遺伝子が発症に関係するため、かつては婚約が破談となることもありました。当事者にとって自分が色盲であるかを公表するかは非常にデリケートな問題のため、身内以外は知らない場合が殆どです。色盲の世界は他人からは分からないこと、生まれつき色盲の世界を見ている人にとってはそれが自然であること。自分が見えている色の概念は言葉では共有出来ないため、他人の理解が難しいのです。軽度の色弱であれば、近視で眼鏡をかけた人と変わりなく、自分は障害者ではないと考えている当事者は多いです。一方で重度の色盲は色の判別が殆ど出来ないため、周囲の手助けが必要となります。

 

光と色彩の科学―発色の原理から色の見える仕組みまで (ブルーバックス)

光と色彩の科学―発色の原理から色の見える仕組みまで (ブルーバックス)

 

 

 

 

 

 

 

赤坂のプリンス:後編(1945〜2011)

皇家離脱とプリンスホテルの誕生

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敗戦を機に日本はアメリカを中心とした連合軍の支配下となります。日本の軍国主義化を防ぐためには資金源と人員を断つ必要があると考えたGHQは、皇族や華族(旧大名家)の地位を徴収し巨額の資産税をかけます。更に公職追放を行い、日本陸軍と海軍を解体しました。
李垠は陸軍の役職を失業すると同時に、方子夫人も皇家の身分を失ったのです。李王家は戦後数年間を困窮で過ごします。持てる家財は全て売却しますが資産税を払うことが出来ず、最後には邸宅を売るしかありませんでした。邸宅は国土計画興行(現在の西武鉄道グループ)が購入し、西武創業者の堤康次郎社長は高輪や軽井沢旧皇族邸と共にホテル営業を始めます。

1955年、赤坂プリンスホテルが開業しました。初代ホテルは李王家邸宅の洋館を使用し、1987年に新館を建設します。丹下健三氏(近代建築の代表者:フジテレビ本社や東京都庁を設計)の設計により建てられた新館は、旧館とは全く異なるガラス屏風の高層タワーであり「赤プリ」と呼ばれ多くの人々に親しまれました。

李夫妻の帰国
1945年に朝鮮半島は日本の帰属を離れたことで、朝鮮民族は朝鮮国籍に戻りました。しかし日本にいる李垠に朝鮮国籍は与えられないまま、日本国籍だけ失ってしまい彼は無国籍となります。朝鮮の皇子である自分が日本のために働き、利用された挙句に見捨てられた。李垠の心情は伺いしれません。方子夫人だけが、彼の孤独と悲しみを理解していました。国家の思惑に翻弄される運命が、政略結婚で結ばれたはずの夫婦の愛を強くしていたのです。

公職追放され国籍も抹消された李垠は職に就けず、方子夫人の実家である梨本宮家も皇家離脱していたため、生活費を援助する余裕がありませんでした。皇族として邸宅暮らしだった李垠夫妻は、それまで電車に乗ることはおろか小銭を使った経験すらありません。貧困の中で少しずつ生活に慣れていくしかありませんでした。困窮していた李夫妻を援助していたのは、昭和天皇祐仁陛下でした。昭和天皇皇后は方子夫人の従兄弟にあたり、皇族との交流が続いていました。昭和天皇は祖父である明治天皇が李垠の来日を推奨した経緯があるため、天皇家が李垠の運命を狂わせたとも感じていたようです。他にも吉田茂首相をはじめ朝鮮総督府の勤務経験がある政治家たちは、個人的に李垠夫妻の生活を援助していました。

朝鮮半島は併合政策が終わったことで主権を取り戻しますが、臨時政府は中国の上海に置かれており、朝鮮国内に統治体制がなかったため権力の空白地帯となります。日本はアメリカを初めとする資本主義陣営に付きますが、朝鮮半島ソビエト連邦と中国に接しており、共産主義陣営と資本主義陣営どちらを国策とするか決着がつかず、空席となった統治権を巡って内戦となります。1950年に朝鮮戦争が始まり、朝鮮半島は北緯38度の軍事境界線を境に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分裂します。


李垠は、駐日特使を通じて韓国政府に自分たちの帰国と国籍回復を何度も要望します。しかし韓国大統領:李承晩(イ・スンマン)は、皇太子である李垠が帰国すれば、国民から王政復古を求める声が上がって自分の立ち位置が危うくなると考えました。李承晩は活動家であった頃に高宗国王の退陣活動をしており、王政こそが韓国の近代化を阻害していると考えていました。初代大統領である現政権は立ち上げたばかりで権力基盤は薄く、王族が支持を受ければ民族は更に分断されてしまう。

独立後の韓国は軍事政権が国民を統制していており、反発する自国民を軍が虐殺する事件も発生しています。李承晩大統領は政権の正統性を示すために、自分たちは大日本帝国から朝鮮民族を解放したことを強調し、反日政策を強化していました。儒教文化圏である韓国は家柄や身分を重視する国であり、李氏朝鮮の正統な皇太子である李垠を国民は歓迎するでしょう。しかし少年期から日本社会で育った陸軍軍人である李垠と、日本の皇族である李方子は反日路線にさし障ってしまう。李承晩政権が李垠夫妻の帰国を認めることはありませんでした。
1961年、李承晩政権は崩壊します。後任の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は日韓国交化正常に乗り出し、李夫妻の韓国籍回復と帰国が認められます。しかし翌年に脳梗塞が再発した李垠は意識が戻らない状態で、1963年に半世紀ぶりに祖国に帰ってきました。方子夫人は祖国の地を踏んだことを李垠に呼びかけますが、彼の意識は戻らないまま帰国から7年後に息を引き取りました。李垠の遺体は准国葬扱いとなり、多くの韓国民に見送られながら祖国に眠りました。


李垠と一緒に韓国に渡った李方子夫人は、夫の死後も日本に戻らずにソウルの昌徳宮で生活します。現地では在韓日本人団体代表として日本人女性の支援活動を行いました。また韓国初の身体障害児学校、知的障害児学校を設立するなど韓国での活動を広げています。日本の統治時代を生きた人々が多数だった韓国社会は反日感情が吹き荒れており、方子夫人は肩身を狭くして暮します。道行く韓国民から非難を浴びても彼女は韓国に留まり、日本には活動資金を集めるために一時帰国するだけでした。1989年、昭和天皇崩御して元号が変わった年に、李方子夫人はソウルで亡くなります。葬儀の沿道には数万人の韓国人が見送り、第2の祖国に眠りました。

赤坂のプリンス
李王家唯一の子息である李玖は、日本の敗戦後にGHQ司令マッカーサーの支援でアメリカに留学します。アメリカは日本の天皇制廃止が出来なかったため、韓国の国民までが王政を支持すると、アメリカの支援を受けている現政権の統治が危ういと考えていました。そのため伊藤博文が李垠を日本に送ったように、李玖をアメリカ本土に送ったのです。

アメリカに渡った李玖はボストン郊外のMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学し、現地ではアメリカ人女性と結婚しました。両親の帰国を機に彼も韓国に渡って会社経営や建築学講義をしていましたが、晩年になって経営が傾いた会社は倒産し、妻とも離婚しています。李玖が妻と別れたのは、夫婦の間に李王家の後継となる子どもが出来なかったためとも言われますが、李玖自身は名ばかりとなった王家の肩書きを疎ましく考えていました。「私はすでに李王家の人間ではなく、李玖という1人の人間なのだ」と彼は度々発言しています。

母親である李方子の死後、李玖は生まれ故郷である東京に移住しました。梨本宮家の援助を受けながら渋谷区のマンションに独りで暮します。2005年7月、李玖は赤坂プリンスホテルに長期滞在します。滞在から1ヶ月を過ぎても連絡がつかないことから、梨本宮家の親類がホテルを訪ねてたとき、李玖はすでに心不全で亡くなっていました。ここに李氏朝鮮王家は滅亡したのです。

朝鮮皇子でありながら日本に尽くし、祖国を見ないまま生涯を終えた李垠。

日本皇族でありながらどんな時も李垠を愛し続け、最後は韓国人として生き抜いた李方子。

王族でありながら自分が何者か分からず、最後は生まれた家に戻った李玖。

赤坂のプリンスたちは、運命という言葉が軽いほどに波乱の生涯を生きてきたのです。

 

雪解けは遠く

日本と韓国の関係は従軍慰安婦問題、領土問題ともに平行線を続けています。北朝鮮情勢は核開発を巡って軍事衝突の緊迫を増しています。どの様な形で国際問題を解決出来るか誰も分かりません。古代も現代も文化や人の交流は盛んだった日韓関係ですが、時代ごとに戦争も起こっており関係改善は手探りです。対話努力を続ければ、次の世代には険悪と不信は氷解するのでしょうか。確かなことは、現在よりもはるかに日韓関係が悪かった時代に、国と民族の違いを超えて愛し合い、お互いを理解しようとしたプリンスたちがいたのです。

今日もまた、赤坂プリンスホテルでは結婚式が行われます。お姫様と皇子様になりきって、愛する人と共に生きることを誓うのです。平成時代の終わりに、夫婦となる人々も新たな歴史をつくるのでしょう。そんな時に少しだけ思いを馳せて欲しいのです。この家は激動の時代に愛が生まれた場所なのだと。

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