バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

王族は辛いよ…世界の王室事情

国中を巻き込むお家騒動

血の繋がりのある人々がひとつ屋根の下に暮らすこと、それが家族です。しかし人々の性格や立場が違う以上、些細な対立は起こるので、どんな家族も何かしらの問題を抱えています。

子供のいないカップルであれば、夫婦間で家庭問題を解決することも可能ではあります。しかし、子供の数が増える、実家との距離が物理的・精神的に近い、マイホーム購入や実家の処分など、家庭の方針を決める際のメンバーが増えるほど意見は纏まらなくなり、家庭問題の解決は難しくなります。

家族で事業を営んでいる場合などは、家族会議の行方は従業員の生活にも影響してしまうため運営はさらに難しい。親族経営企業のお家騒動が事件になってしまうのは、利害を被る人々が膨大だからです。

そして日本国民全員が利害関係者になってしまうのが、皇族である天皇家の方針です。天皇陛下平成31年4月の譲位が決定しましたが、陛下1人が引退するだけで日本の元号が変わってしまうほどの影響が出ます。天皇家の所有する財産は全て宮内庁が管理しており、皇居をランニングするだけでも護衛付きです。個人の自由や自己決定から最もかけ離れているのが皇室であり、皇族たちは国民の意向や外国との関係に常に気を配りながら生活しています。

 

国家の歴史とは、土地に暮らす人々の代表が君主となり戦争と外交を繰り返す中で、最も有力な君主として国内外から認められた人物が王として国家を統治することから始まります。

一般の国家元首が任期付きで国民から選ばれるのに対して、国王の任期は死ぬまであり、次代の君主は王の子供や兄弟から選ばれます。

国家が絶対君主制を採用していると、国王は国内の政治、軍事、財産を独占でき、臣下である国民を処刑することすらできます。巨大な権力を独占するが故に、世界各国の歴史とは王の座を巡る権力争いでも説明出来ます。

歴史上には様々な君主がいますが、国王1人に権力を集中すると、個人的な意向や決断に国民の命が左右されてしまいます。王は学者や僧侶を相談役に置いて政治を決めるのですが、最終的な決断は王自身が行いますし、政策が失敗しても国王は責任を負いません。

初代の国王が優秀であるほど、2代目、3代目の王の政治は迷走して国家が傾き、他の権力者に代替わりするという歴史が各国共通です。国家の近代化とは宗教や国民議会、司法権を独立させて、国王の権力を制限してきたことで果たせました。これで漸く、王の資質に関係なく国政の運営が安定するようになり、王族たちの権力争いも少なくなりました。

 

世界の王室

世界の190国の中で、現在まで王室を維持しているのは27か国ありますが、国民の教育水準が高くなり誰もが意見を言える現代では、どの国の王室も国民の支持を失えば存続出来ないのです。

欧米ではスペインやベルギー、スウェーデンなどが王国であり、イギリスは連合王国(スコットランドウェールズの王家は滅亡しても、地域民の独立意識が高いので、イングランド王室が仮統治している状態)です。モナコ公国リヒテンシュタイン公国アンドラ公国など歩いて回れる極小国家も歴代の公家が統治しています。

アジア地域ではブルネイブータン、タイが王政であり、マレーシアは自治州の藩王が5年任期で国王を務める輪番王政です。

南北アメリカ大陸、オセアニア地域の国は比較的近年に誕生した多民族国家であり、王族統治の歴史がありません。カナダやオーストラリアなど、英連邦に加盟する国はイギリス王室を国家元首として定めています。

アフリカ大陸にはモロッコレソトが王政を持っていますが、国家ではなく部族単位での君主は大勢います。

ロシアと中国は、広大な土地を歴代の皇帝が軍事力で統治してきましたが、20世紀初頭のロシア革命辛亥革命によって帝国としての歴史を終えています。

 

フランス革命と王家の凋落

フランスは19世紀にフランス革命が起こり、ルイ王家は国民たちによって処刑されています。フランスはその後しばらくは政情不安のためナポレオンが皇帝になるなど、王政に戻った時期もありますが結局は共和制国家となり、自由の国を誇りとしています。

革命とは権力者の支配に叛逆した国民運動によって、王が君主の座を失うことです。国民が「王様は要らない」と行動しているので、現代史の中で王が途絶えた国は二度と王政に戻りません。絶大な富と権力を誇ったルイ16世が自国民に処刑された事で、ヨーロッパの王族たちは恐怖に陥りました。もはや国家君主が政治を行う時代ではないと悟った王たちは、政治の実権を国民議会に譲り、国家祝典の開催や国際外交など、国内外で「国家の顔」としての仕事に徹しています。

 

国家の顔

日本国憲法第1〜8条において、天皇は国民の象徴であり、国政に関与しないことが定められています。日本が大日本帝国であった時、国家主権は天皇中心だったことが軍国主義を招いたと考えたアメリカ側は、昭和天皇を戦争の最高責任者として東京裁判にかける予定でした。しかしこの場合、革命のように国民自身が君主を倒すわけではなく、敵国が自国の君主を倒すことになります。現人神として崇拝されていた天皇を断罪すれば、占領軍に対する国民の反発は高まり、占領統治は難しくなる。

結局アメリカ側は天皇制を維持したまま、天皇を国政から遠ざけるように憲法に明記させ、遠縁の皇族や華族から財産や身分を徴収しました。今上天皇陛下は、国会で成立した法案の発布や外国要人の迎賓、災害地や福祉施設の慰問を行なっています。それは日本国民の象徴であり顔である天皇だからこそ有効な仕事です。

 

天皇の重責と戦後処理

天皇陛下は現在84歳であり、前立腺癌や心臓病で度重なる手術も受けています。年々体力は低下するのに仕事は減らない。国会で可決される法案は年間で300件以上ありますが、その全てに天皇の承認が必要です。他国の首相や王族が表敬訪問すれば日本国代表として歓迎しなければなりません。天皇陛下が迎えなければ、外国の使節には自分たちが軽く見られていると捉えられ、外交としては失敗なのです。

近年になって天皇陛下は、サイパン島パラオ諸島など、太平洋戦争の激戦地を訪問しています。南方に出征して戦死した日本人は100万人以上ともいわれますが、海で亡くなった人たちの遺骨は回収困難であり、殆ど遺族に戻っていません。陛下と同世代の日本人は、戦争で家族を失い貧困の中を生き延びた人々が大半なのです。残された人々にとって戦争は終わっていない。昭和天皇のために命を投げ出した戦没者を弔うことが、戦後処理として残された使命だと考えたからこそ、今上天皇高齢にも関わらず南方各地を弔問しているのです。