バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

野菜は世界を巡る

スーパーに並んでいる野菜は、今日の私たちの食生活には欠かせないものです。野菜の生産地にこだわる方も多いですが、歴史を辿ると日本原産の野菜というものは殆どありません。農業の歴史の中で、世界各地からやって来た外来野菜をその土地に合うように改良したものが、

現代の私たちが手に取る野菜なのです。

 

日本原産の野菜

農業が発達する以前に人々が食べていた植物は

野山の山菜でした。日本原産の野菜はわさび、

山芋、きのこに限られると言われています。

菌糸類であるきのこは、枯木を苗床にして一定の温度・湿度下でなければ成長しないため、

松茸やトリュフなど、現代でも人工栽培が出来ない品種もあります。トリュフは独特の香りを

持つフランス料理の高級食材ですが、日本原産のトリュフも稀に発見されることがあります。

 

アジア原産

日本の農耕技術は朝鮮半島からの移住者がもたらしました。米や粟なども縄文時代後期に伝わり、稲作が生活の中心になることで弥生時代が始まりました。イネ科植物は南国原産であり、

寒冷気候では栽培出来ないので、弥生人たちは西日本に生活し、狩猟生活を続けた縄文人

東北地方や山岳地帯で生活しました。

縄文文化が終わったのは、品種改良によって寒さに強いの稲の栽培が東北地方まで普及したからです。大和政権は遣隋使や遣唐使を通じて中国大陸と交流を続けていました。目的は仏教や政治制度を取り込むためでしたが、同時に漢方医学や野菜の種も日本に伝来しています。

白菜、大根、瓜、桃、梅などが奈良時代には日本で栽培され始めました。平安時代の記録では、貴族たちの食生活はご飯と魚の干物、漬物が中心であると記されています。華やかに見える都の貴族ですら、1000年後の私たちの感覚では貧しい食生活なのです。

 

中東原産

農耕発祥の地であるメソポタミア文明は、多くの食用植物を栽培していました。やがてそうした植物は、シルクロードを通じて中国に普及し、日本にも伝わりました。胡瓜(キュウリ)、

胡桃(クルミ)、胡麻(ゴマ)などは胡国(ペルシャ)

から伝来した作物です。砂漠地帯の中東は、乾燥に強く日光を好む果物の栽培が盛んです。ザクロやイチジクはペルシャ原産、スイカは北アフリカ原産と言われています。

 

世界史を変えた南米野菜

現代ではフランス料理やイタリア料理は世界中で人気がありますが、中世までのヨーロッパ諸国は日本と同様に野菜がありませんでした。

16世紀の大航海時代が始まることで新大陸から今日の野菜が伝来しています。

「トマトとジャガイモ」

ジャガイモとトマトは同じ系統の植物です。

果実がトマトになり、根塊がジャガイモになりました。イタリア料理に欠かせないトマトですが、元は南米のインカ文明で栽培されていました。現代でもペルーでは様々な品種のトマトが栽培されています。

ジャガイモも同様に、インカ文明の主要作物でした。アンデス山脈の高地に人々が文明を築けたのは、寒冷気候の痩せた土地でも育つジャガイモを栽培していたからです。ヨーロッパ諸国もイギリスやドイツは緯度が高く、土地が痩せていたため国民は飢えていました。

ジャガイモの伝来により食糧事情は一変し、人々を飢饉から救ったのです。ドイツ料理のジャーマンポテト、イギリス料理のフィッシュ&チップスなど、料理が不味いと言われる国の代表料理がジャガイモなのはそうした背景があります。

「トウモロコシ」

トウモロコシはメキシコとグアテマラを中心としたマヤ・アステカ文明の主食です。トウモロコシも痩せた土地で良く育つ穀物なので、マヤ文明はジャングルの奥地でも高度な都市を作るほど豊かでした。メキシコはトルティーヤなどのトウモロコシ粉を原料とした料理が多いですが、アメリカ合衆国に伝わったトウモロコシは、主に家畜の飼料として栽培されています。

「サツマイモ」

薩摩芋は南米原産の植物です。ヨーロッパに伝来した芋が、中国大陸を経由して琉球王国(沖縄県)に伝来しました。薩摩藩(鹿児島県)は桜島の火山灰が積もったシラス台地であり、土地が痩せて作物の栽培が出来ません。江戸時代に琉球王国から持ってきた芋の栽培に成功し、それが全国に拡大しました。糖質の高いサツマイモは

発酵させればアルコールになるため、薩摩焼酎醸造されるようになりました。