バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

幽霊は生きている

「幽霊はいる」or 「幽霊はいない」、幽霊の存在をめぐる論争は、一般人から学者を巻き込んで未だに決着がつきません。ですが「幽霊は生きている」のです。

 

幽霊とは何か

幽霊とは、死者の魂がこの世に未練を残して彷徨っている。というのが一般的な認識です。

ですがこれは認識が逆なのです。死者の魂がこの世に囚われているのではなく、生きている人間の精神が死者に囚われているのです。

本題に入る前に、私たちは世界を逆さに見ているということを説明しなければなりません。

 

実世界と脳の世界

私達の視界に入った映像は光として、眼の水晶体で焦点を合わせてから網膜に映ります。実はこの時、映像は上下反転しており、私たちの目には地面が上で空に落ちそうな光景が映っています。

では何故上下は正常に見えるのか、これは脳の視覚野が映像を正立しているからです。人間の脳は感覚から得た情報を認識し易いように補正・加工しており、それが上手くいかないと、地平線の近くにある太陽や月は通常より大きく見えるような錯覚を起こすのです。「人間は世界を自分が見たいように見ている」そこを考察の起点とします。

 

幽霊と仏教

一般的な幽霊のイメージは、足がなく、髪が伸びきり、目が虚ろな女性です。これは「魂」が

「現在」にないことを現しています。仏教的な

解釈では、伸びきった髪は「過去への囚われ」

虚ろな目は「未来への絶望」、足がないのは

「地に足が付いてない=現実を生きていない」という意味です。仏教は葬式を取り行いますが、死者はもう死んでますからどう祀ろうと何も感じていません。葬式によって故人への未練を断ち切らなければいけないのは、後に残された生きている人間の方なのです。

 

大震災と幽霊

2011年3月11日、東北地方沿岸部を襲った地震津波は多くの人命を奪いました。死者数15893名、行方不明2556名(2016年、警察庁)であり、津波に攫われた人々は震災から6年

経った現在でも見つかっていません。一方で被災地では、幽霊の目撃談が多数上がっています。(東北学院大学金菱ゼミ、2016)

行方不明となった人は、死亡が確定した訳では

ありません。残された家族は、生きて帰ってくるという望みを断ち切れないのです。これが

残された人々の意識を“生の世界にいないけど、死の世界に行ってしまった訳でもない人=「幽霊」が彷徨っている理由です。生きている人間に幽霊が意識されている。だからこそ感覚から入る情報を幽霊だと認識しやすいのです。

 

幽霊と向き合う

「幽霊」は脳が生み出した錯覚ではなく、概念なのです。科学的な見方が絶対に正しいとすれば、私たちは上下反転した世界で生きて行かなければなりません。

人間の意識は社会生活を営み易いように、実体が存在しない概念を多く作り出してきました。神、通貨、法律など私たちが当たり前だと思っている制度も根本的には実体のない概念です。

幽霊は他者の死を受け止めきれない心が生み出した概念ですが、生きている人間が幽霊に囚われていると、現在の自分を生きることが出来ません。葬式の本来の意味は死者と生者を切り離すことにありますが、そのためには行方不明者

の遺骨が遺族に返らなければなりません。残された人々にとって幽霊は生きているのです。

私たちに出来ることは幽霊を怖れることでも、

否定することでもなく、割り切ることが出来ない精神に寄り添うことなのです。

 

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の終わりの始まり

世界の終わりはいつ始まったのか解説します。

終わりの始まりって、言葉が意味不明だと

思います。「世界の滅亡説」が繰り返し社会現象になるのは何故か、そういう話です。

 

 終末思想のブーム

日本では「ノストラダムスの大予言」や「マヤ暦の終わりによる地球滅亡説」など、世界の終末論はメディアでも騒がれました。「世界の終わりの日」が過ぎるとたち消えますが、また新しい「終わりの日」が騒がれます。

欧米諸国、特にアメリカにはキリスト教原理主義の一派として、カリスマ伝道師が多数います。彼らは「ハルマゲドン(世界の終わり)」は迫っていると唱え、信者たちに救いの道を説きます。彼らの目的は信者の獲得にあり、世界滅亡は不安を煽るための口説き文句です。生命保険の勧誘と同じ手口だと考えると分かり易いと思います。

 

問題なのは、人々は何故「世界の終わり」を信じているかです。宗教団体が滅亡の日を予言して騒ぎ出した場合、その日が過ぎても世界は普通に存在しているので、本来なら教団が解体しても不思議ではありません。しかし信者は自分たちの祈りが神に通じて滅亡が回避されたと信じており、また新しい滅亡の日を騒ぎ出すのです。どうも信者たちは「世界は終わって欲しい」という願望が潜んでいるようです。

 

キリスト教の終末論

世界が終わる「最後の審判の日」に、神による魂の裁きが下る。良き魂は天国に招かれ、悪しき魂は地獄に堕ちる。その日が来るまで、

魂の精進に勤めなければならない。魂は肉体が滅びても天界に存在し、最後の審判で召集される。だから「どうせ死ぬから関係ない」と思って、悪行をしてはいけない。

キリスト教はこの教義が基本であり、信者たちが聖書の教えを実践する理由です。逆に言えば

世界の終わりがなければ、自分が裁かれる日が

来ないため教義を実践する理由がありません。

一体「世界の終わり」とは何なのか?

  

教祖ゾロアスター

およそ2700年前、現在のイラン共和国にあたるペルシャ文明の地に一人の教祖がいました。彼の名はゾロアスター。現存する最古の一神教である「ゾロアスター教」の開祖であり「世界の終わり」を最初に考えた人物です。

 ゾロアスター教の教義は以下の通り。

宇宙の始まりは善と悪しかなく、善神アフラ・マヅダは365日かけて世界を創造した、悪神アンラ・マンユは常に世界を滅ぼそうとしており、善悪の神は世界の始まりから闘い続けている。昼と夜が交互に訪れるのは、善神と悪神がこの世界を取り合っているからだ。しかしこの世界に最後の審判が訪れる時、アフラ・マヅダは勝利し世界は光で満ち溢れる。

 

終わりの始まり

ゾロアスター教ササン朝ペルシャの時代に国教として絶頂期を迎えますが、その後はイスラム勢力に押され 、生き延びた信者はインドに亡命しました。現在、パルシー(ペルシャ人)と

呼ばれるインドのゾロアスター教徒は民族間でのみ信仰されている少数派です。ですが、教祖

ゾロアスターが唱えた「世界の終わり」の概念は、キリスト教を始め多くの宗教に引き続がれ

ました。

仏教を始めとする東洋思想は、一年が春夏秋冬で廻るように、時間は循環しているという感覚でした。ここから輪廻転生(死んでも生まれ変わる)という概念が出てきます。西洋思想では

時間はある時点から始まる直線的な感覚です。

人間が生まれてから死ぬまでの一生を、世界全体の時間にも当てはめた場合、始まりがある以上は終わりが必要です。この世界の目的が見えなければ、自分たちは何処に向かえば良いのか分からないのです。

多神教は人々の信じる神が異なるため、国家のような大集団の方針がまとまりません。対して一神教は唯一絶対の神を提示する強力な教えです。異なる民族間を一つの共同体にまとめることが出来るので支配的な国家が取り入れました。そして最後の審判の日を設定したことで、信徒たちは示されたゴールに向かって進むことが出来ます。多神教信仰から一神教崇拝への転換により、世界の終わりは始まったのです。

大学の授業は無料です。

現代の日本において、子どもの6人に1人は貧困状態であるといわれ、経済的な理由で大学進学を諦める若者が出てきました。こうした現状に政府も危機感を募らせ、安倍政権は憲法改正案に高等教育の無償化を盛り込み、返済不要の奨学金制度の設立を目指しています。

 

ですが、少し待って下さい。

そもそも大学に学費を払う必要ありますか?

 

現在、大学の授業は、誰でも、どこでも

無料で受けられる時代なのです。

 

「オンライン講座:moocの登場」

2002年、アメリカのハーバード大学とMIT

(マサチューセッツ工科大学)は共同で、

大学の授業をオンラインで公開し、さらに

レポートや中間・期末テストを課題とする

新たな講義システムを配信しました。

これを「massive  open  online course 」

と呼び、現在はアメリカだけでなく、

世界各国の一流大学が提携して、多くの

プラットフォームを提供しており、

日本からは東京大学京都大学が参加して

います。現在「mooc」は英語で配信して

いますが、国立大学を目指す英語力が

あれば理解出来ます。また、日本語の講座

として、国内の大学や高等専門学校

「jmooc」を提供しています。

これらのオンライン講座には、入学試験も授業料も必要ありません。情報端末1台あれば、

誰でも、いつでも、学ぶことが出来ます。

 

「大学と学歴の価値」

大学で学ぶためには金と時間がかかる。それが一般の認識です。一つは授業料の出費、もう一つは場所の問題です。東京都には多くの大学

キャンパスがありますが、首都圏の学生でなければ自宅から通うことが出来ません。もし地方在住の学生が進学を希望すれば、都内への下宿は必須であり、親は仕送りが必要になります。

医療の世界では、離島や山間部など、高度医療の空白地帯に遠隔診療技術を取り入れる試みが始まっていますが、これは教育でも可能なはずです。

例えば放送大学は、テレビでの視聴と課題の提出、全国各地の教室の集中講座に出席することで正式な学位として認定されます。昼間は就労しながら、自宅で講義を受講する学生は全国に約8万人います。そして放送大学は「jmooc」に多くのオンライン講座を持っています。

オンライン講座を全て受講すれば受講証が発行されますが、現在、文部科学省は正式な単位として認定していません。そのためいくら勉強しても、学歴として認定されないのです。大学は就職のために学歴を取る場所であり、出席だけすれば良いと考える学生は、受験勉強だけ頑張れば良く、オンライン講座は無意味でしょう。

 

「大学の役割」

ですが本来の大学とは、学問の目的とは、学位を製造することなのですか?

「経済を学びたい」「国際関係を知りたい」

「社会における自分の役割を見つけたい」

大学とは本来、学生の学習意欲に答えるための

場所であるはず、だからこそ世界の一流大学ほど講座の無料開放に熱心なのです。逆に大金を払うだけで学位が手に入ることで、大学卒の価値は暴落しています。

 

「好きだから学びたい」大学への入学資格は

これで十分なのです。社会には「高卒で働かなければいけない」「学費が払えない」「地方に

住んでいる」「年をとっている」「言葉が通じない」「障害を抱えている」「長年不登校だった」などの理由で大学進学を諦めている方が

大勢います。ですが「mooc」はこうした人々に学びの扉を開き、彼らの中には教育を受ければ優れた才能を発揮する人がいるはずなのです。

 

「大学に大金を使えば頭が良くなる」という

発想は間違っており、「学ぶ意欲」さえあれば知の世界は無限に開かれています。今後、欧米の一流大学は貧しい途上国から優秀な才能を発掘するために、オンライン教育をさらに充実させ、逆に経営に困っている大学は、学ぶ意欲のない金だけ持っている学生に学位を乱発するでしょう。日本政府が本気で貧困による教育格差を是正したいのであれば、奨学金名目で補助金をばら撒くのでなく、オンライン講座に正式な学位としての価値を認定して、パソコン一台で

大学を卒業出来る環境を作るべきなのです。

皆様にもぜひ「mooc」「jmooc」の授業を

お勧めします。

 

 

 

 

 

太陽は燃えている

地球上に生きる私たちには、毎日太陽の光が

降り注いでいます。一見当たり前に見えますが

そもそも太陽とは何なのでしょう。今回は天文学の視点から太陽と核融合について解説します。

 

「宇宙の始まり」

宇宙が始まりがどのようなものであったのか、

天文学、物理学の様々な見解と宇宙論があり、

世界中の学者たちが、加速器による粒子の衝突実験などで宇宙誕生の謎に挑んでいます。

およそ100億年前に宇宙は誕生したといわれており、巨大なエネルギーと素粒子ダークマターと呼ばれる未知の暗黒物質によって構成されました。

素粒子が集まった電子、陽子、中性子は陽子と中性子から構成される原子核の周囲を電子が飛び回る状態で安定し、これが原子となります。個々の原子はバラバラの状態であり、ガスの状態で宇宙空間を漂いますが、僅かに重さ(引力)があるため、周囲の原子と引き合います。このうち水素原子が集まり、内部で核融合反応を繰り返している星が、太陽のように自ら光を放つ恒星なのです。

 

「太陽系の誕生」

他の原子も引力によって違いに引き寄せられ、最初はガス状の塊だったものが、岩のような小惑星となり、大きな天体に集まることで惑星になりました。惑星は太陽の周囲を回っており、太陽の重力の影響下にあるのですが、公転する遠心力と釣り合っているため、太陽に引き寄せられられずに惑星として回っています。 

惑星とは「彷徨う星」という意味ですが、これは天文学発足時には、地球を中心に太陽とその他の星が回っている天動説が一般的だったため、惑星の軌道が理論に当て嵌まらなかった

からです。現在、惑星は水星、金星、地球、

火星、木星土星天王星海王星があり、

冥王星は惑星の定義から外れました。

 

「太陽の活動」

太陽は、太陽系最大の天体であり、体積は

地球の1500,000倍、質量は330,000倍あります。成分は水素が集まったガス球であり、中心部で水素の核融合エネルギーを発しています。水素は酸素と一緒に燃やすと化学反応により熱と水になりますが、宇宙空間に酸素がありません。代わりに重水素原子核同士が融合することで、熱とヘリウムになります。

水素1グラムの核融合は、水素8トンの化学反応と同量の熱を生み出すほど、核融合のエネルギーは凄まじいものです。太陽中心部は原子核が電子と分離したプラズマ状態であり、1秒間に水素爆弾1億発以上ともいわれるエネルギーは、そのままでは大爆発しますが、太陽の超重力により中心部にとどまり数十万年かけて太陽の表面に届きます。

太陽の表面温度は約6000℃ですが、周囲はコロナと呼ばれる200万℃の大気で覆われています。この太陽大気は太陽系全体を覆っており、

太陽風として惑星に到達します。

 

「宇宙の天候」

太陽の活動が活発化すると、太陽フレアという炎が上がりますが、(フレアの高さだけで地球数個分です)この時太陽風に乗って、膨大な紫外線が地球に降り注ぎます。磁力線の防御により紫外線は地表まで到達しませんが、地磁気の極である北極と南極では紫外線が降り注ぎ、オーロラとして観測出来ます。

太陽活動は11年に1度のペースで活発化しており、これを太陽嵐と呼んでいます。太陽嵐が発生した際は、北海道でオーロラが観測されるほど大量の紫外線が地球上に降り注ぎます。 また太陽風に乗ってくるガンマ線地磁気と反応することで、大気圏に巨大な電位をおび、人工衛星の故障や送電網のパンクを起こします。

太陽光は地球全体を暖め、海水の蒸発により

巨大な雨雲を作るなど、膨大なエネルギーを

持ちますが、太陽の放つエネルギーのうち、

地球に到達するのは1000万分の1以下です。

 

太陽と地球の距離は約1億5000万㎞あり、

ジェット機の速度で11年かかります。

太陽光ですら地球到達に8分24秒かかるほど、

地球との距離は離れています。もしも太陽と地球が今以上に接近するか、爆発的な太陽フレアが発生すれば、地球そのものが蒸発してしまいます。太陽は地球の母なる星であると同時に、

地球とは桁違いのエネルギーに満ちた星なのです。

恋とは気分、愛とは覚悟である

「恋愛には人の数だけの答えがあるが、

   ただ一つ共通することがある。

  いつか恋は終わりをむかえるのだ。」

        柴門ふみ著    東京ラブストーリー

 

恋愛が充実している方も、恋がしたいと悩んでいる方も知って欲しい話。今回は「恋」と「愛」は何が違うのかを説明します。

 

恋とは気分の問題

誰かを好きになると考えた場合、最初は片思いから始まります。場合によっては片思いの状態で恋が終わるかも知れません。相手についてあれこれ思い悩んで、切ない感傷に浸ることもあれば、想いが通じて恋が実ることもあるでしょう。この時、恋の当事者に起きていることは、

ある意味感情のやりとりだけです。好きだと

言われれば舞い上がり、相手の言動に一喜一憂するでしょう。

学生でも社会人であっても、付き合って日が浅い場合は、どれほどデートを重ねても相手の素性が見えていません。女性であれば、彼とのデートにノーメイクで臨む人はいないでしょう。性格が卑屈な男でも、彼女を意中に落とすまでは紳士的に振舞います。

相手の素性は見えず、また自分も素性を相手に見せていません。付き合っていく中で、相手の金遣いや言動、普段の生活を知っていきます。

この中で双方の許容範囲を超える実態(浮気性・依存的・金銭管理が出来ないなど)が見えれば、

その恋は終わります。

ですが現実には、相手のここが明確に許せないというケースはまれで、何となく話が噛み合わない、生活スタイルが違うという理由で別れることが大半です。恋したい気持ちが一時的に高まっていただけであれば、相手を人間的に理解する必要などなく、性欲が満たされればそれで終わる恋もあるでしょう。

一時の恋というものは、若者の火遊びとしては楽しいものです。気が合わなければ別れればいいのですから。逆に言えばどれほど相手を好きでも、相手が冷めているなら復縁は不可能です。

恋が続くかは双方の気分の問題であり、特に理由もなく終わります。しかし恋の結果はどうであれ、時に思わぬ形で残ってしまうのです。軽い気持ちで付き合って、飽きたら別れようと考えていることは否定しません。その結果として自分や相手が妊娠することを想像出来ていますか?

 

愛とは覚悟の問題

女性にとって、子どもを産むか産まないかは、

人生の転換期になる重要な問題です。男に恋をする女子から、子どもを愛する母親へと意識が

変化するからです。恋との違いは「相手と関係を切れない」ことです。どれだけ別れた相手のことが嫌いでも、相手との子を出産すれば絶対にその子を育てなければなりません。

男と別れた後に妊娠が発覚した場合、子育ての責任、産むか産まないかの決定は自分だけで決めなければならず、極めて深刻な問題になります。女の子は特に、誰にも相談できず一人で抱え込んでしまうことが多いですが、自分一人で解決出来ないことを悩んでも良い解決策など出ません。新しい命を宿しているだけで、もう自分一人の問題ではないのです。

出産しても中絶を選択しても、責任と負担を背負うのは常に女性です。男性側は女性と付き合う時、「彼女に子供ができるかも」と考えていますか?

「セックスしたい」という気持ちが、彼女の一生を左右する結果を産むと考えること。女性と付き合う資格を持つのは、その責任を取れる覚悟のある男だけです。

 

 

 

 1990年代に恋愛トレンディドラマとして、

大ヒットした作品です。恋に生きる男女の

ドラマにときめいた方も多いでしょう。一般的に少女漫画の恋愛は、「恋が始まる」ことをテーマに展開しています。ですがこの物語は「愛を知るために恋を終わらせる」ために書かれた作品なのです。物語の最終回で主人公はどうして別れを決めたのか。恋に揺れる気持ちと、人を愛する覚悟を描いた名作です。

 

 

 

 

 

ありえないことは起きる

「人生を生きるとは、あり得ないと思っていることが我が身に起こることである。」

バカ田大学で学ぶことはそれだけです。

 

1:死の恐怖

現在、日本人の死因の50%は癌によるものです。ですが発見されるまで、自分が癌になると考えている人は存在しません。というより、自分が死ぬことを想定していません。

人間は動物の中では例外的に、死の概念を理解出来ますが、常に自分が死ぬことを考えて生活することは出来ないため、頭では理解しても、死の恐怖を無意識に押し込めています。災害や犯罪に巻き込まれた場合、それまで無意識に押し込めていた死の恐怖が実際の経験と結び付くため意識下に出てしまう。これがPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれる症状です。

この状態になると、死の恐怖を絶えず意識する

ことになるため、日常生活を普通に送ることが出来なくなります。

 

2:犯罪の被害者になる

女性の方であれば、今迄生きてきた中で、痴漢やセクハラなどの性被害に遭われた方は多いのではないかと思います。性被害は何も見知らぬ相手からとは限りません。性的虐待の加害者が

親近者であるように、レイプ被害の実態は知人と酔った勢いでホテルに連れ込まれ、乱暴されたというケースが大半なのです。

この場合、性的行為が合意の上で行われていたのか被害者しか分からないため、性犯罪は被害者の届け出によってしか成立しない親告罪です。裁判になれば被害者は自分が何をされたのかを公の場で証言しなければならないため、自身の尊厳を大きく損なってしまう。性犯罪が複合被害と呼ばれるゆえんであり、大半の被害者は被害届を出せずに泣き寝入りしてしまうのが現状です。そして加害者側には罪の意識が殆どなく、同様の手口を繰り返します。

近年は別れた恋人の裸体写真をSNSツールで拡散するリベンジポルノが深刻な問題ともなっており、自分や家族が被害者になる可能性は常に存在します。因みに性被害は女性だけの問題ではなく、男子児童がレイプ被害や売買春に巻き込まれる場合もあります。

私たちは基本的に物事を「常識の範囲」で見ていますが、犯罪とはそもそも常識の範囲外なのです。一般的な被害像をイメージしている場合、犯人はイメージの裏をかいて襲ってくると考えておいた方が良いでしょう。「あり得ないことは起きる」と想定するのです。

 

3:犯罪の加害者になる

ごく普通の人がある日を境に犯罪者になることはあります。自動車のブレーキとアクセルを

踏み間違えて、病院や商店に突っ込む事故は

とても多いですが、近年は高齢ドライバーに

よる高速道路の逆走や、自転車による対人事故

が増加しています。

もしも被害者が出てしまえば、その人は一生の障害を負うかもしれず、最悪の場合は死にます。どのみち関係者は事故の加害者を許さないでしょう。犯罪者のレッテルを貼られて一生を生きることは、人生に暗い影を落とし、社会の表舞台に立つことはなくなります。

身近な犯罪として気をつけなければいけないのがSNSでの中傷です。インターネットは全世界に接続しており、情報はコピーされればオンライン上にいつまでも残ります。本人は仲間内で陰口を呟いたつもりでも、実際は世界に向けて叫んでいるのと同じなのです。

近年は学校裏サイトなどの問題がありますが、仮に誰かの中傷がイジメに発展した場合、警察が動けば発信者は特定されます。この時点で加害者に罪の自覚は薄いかもしれません。ですが、加害者がやがて成人し就活や婚活を行う場合、企業や個人はその人の過去をネットから検索できるのです。

インターネットは誰もが公共の場で発言することと同義であり、政治家と同じく過去の発言や

行動を削除することが出来ません。過去には匿名掲示板にタレントの中傷を書き込んだ一般人が刑事告発された事件もあり、事件化しなくても思わぬ一言が誤解を生んでSNSが炎上することはよくあります。軽い気持ちでの投稿が、自分の人生を狂わせる結果を生む。「ありえないことは起きる」のです。

 

 

 

猫はなぜ死んだのか?

 

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

 

 



 

あらすじ:

ある時猫は国王に飼われ、死んだ時飼主は泣いた。ある時猫は船員に飼われ、死んだ時飼主は

泣いた。死んでは生き返る人生を百万回繰り返した時、猫は誰にも飼われず唯の猫であった。

雌の白猫に、自分が百万回死んだ事を誇るも、

白猫はツレない。猫は白猫の側に居たいと

素直な気持を告白し、やがて白猫との間に子猫が産まれ育つ。そしてある日、白猫は寿命が尽きて死んだ。猫は妻の死に対して百万回分の涙を流して泣き続けた。そして自らの死を迎えた時、二度と生き返ることはなかった。

 

「生物は何故死ぬのか」

生物を構成する細胞は単体で生命活動を行えますが、機能が低下すると死滅します。しかし細胞は自らのDNAを複製して、同じ機能と遺伝子を引き継いだ細胞を増やすことが出来ます。単細胞生物はこうして増殖します。

多細胞生物の体内で複製された細胞は、また複製を繰り返すのですが、次第にDNAコードのエラーも多くなります。このDNAエラーを有した細胞が体内組織に多くなる状態が老化であり、生命活動全般を維持することが出来なくなれば個体としての死を迎えます。しかし多細胞生物の胎内にはDNAを完全に保った卵細胞があり、これが成長すれば遺伝子を受け継いだ個体の分身として生きていきます。

 

「単為生殖」

原始的な生物は自分の卵細胞のみでクローン生物を生み出す単為生殖を行います。クローン生殖は最新技術だと思われがちですが、実際には生物古来の生殖方法です。単為生殖は自分一人で生殖可能であり、生まれた子供は自分の遺伝子を完全に受け継いだ分身です。これが「生まれ変わり」です。物語の猫は単為生殖を百万回繰り返し、遺伝上は死ななかったと考えられます。

 

有性生殖

単為生殖は遺伝上死ななくなりますが、一つの種族が同一のDNAで構成されるため、環境が変化すると絶滅する危険があります。例えば飼猫がキャットフードしか餌に出来ない場合、野良猫になれば、猫族全体が絶滅します。しかしそこに、ネズミも餌に出来る猫族がいれば絶滅は免れる。種族として生き残るには、自分のDNAを受け継ぐだけでなく、他の個体とのDNAを併せ持った混血種を生み出す必要がある。これが有性生殖であり、高等生物が雌雄に別れている理由なのです。

 

 「猫の死の理由」

猫は長年、単為生殖を繰り返し、完全なDNAを受け継ぐことで100万回生き返っていました。単為生殖は自分一人で完結する行為であり、飼猫として飼われても誰かを愛する必要がなかったのです。しかし白猫と出会った時、猫は誰にも飼われて居ません。この時は飼猫から野良猫に変化する必要があり、飼猫の状態で単為生殖を行なってもいずれ全滅します。種族として生き残るためには、野生のDNAを受け継いだ混血種を生み出す有性生殖に切り替わるしかないのです。こうした理由で、猫は白猫を愛し始め、彼女との間に互いのDNAを受け継いだ子供を設けています。

白猫が死んだ時、猫は彼女が生き返ることがないと悟ります。白猫は自分との間にDNAを受け継いだ子供がいるので、生き返る必要がないのです。そして猫が死んだ時も、自分から愛したパートナーのいない世界に生き返ることを選択しませんでした。猫の亡き後を、自分と白猫の半身である子どもたちに託したのです。

 

「生物は死ぬことを選んだ」

誰もが死を避けたいと願います。クローンとして生き返りたいと考える人もいるでしょう。

ですが、忘れてはいけないのは、我々生物は

次世代を残すために、敢えて死ぬことを

選択しているということです。私たちは

いつか死ぬのです。愛する人のために。