バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

ゲームの終わり

3章に渡って、個人の利益と分配ゲームを

説いてきました。個人間の利益を巡る

対立に終わりは見えるのか?

 

「分配を巡る三つの平等原理」

必要原理:最も必要とする人間に多く分配される

         北欧諸国のような高福祉国家の政策基盤

平等原理:成果と必要に関係なく、メンバー全員     に平等に分配される。共産主義国家の政策基盤

均衡原理:成果を上げた者により多く分配される

              自由主義市場経済の政策基盤

三つのうち、どれが平等で納得出来るかは個人の立場によるため、分配の参加メンバーが同じ

立場でなければ、ゲームに決着がつきません。

必要原理に基づいて富を分配すれば、均衡原理の人間は絶対に反対するからです。立場の違いを超えて考えるために、このゲームが始まった時点に立ち返ってみます。

 

「遺産相続の分配」

親が亡くなった後、兄弟間で遺産を整理して

分配すると考えてみます。この時点での各人の立場は、

長男:住宅ローンや子供の教育費などで借金が重なり、金を必要としている:必要原理

次男:現在・今後とも大きな出費予定はない

    親との関係はたまに帰省する程度:平等原理

長女:実家に残り、一人で親の介護を

   担ってきた:均衡原理

とします。この場合、長男と長女が相続の分け前を巡って対立が予想されますが、両者は遺産を要求する動機が全く異なるために議論が噛み合いません。裁判になる前に、中立の立場にいる次男が仲裁案を提示すべきでしょう。

「仲裁案」

長女は一人で介護労働を行なっており、二人の相続人からの報酬として、最も多くの遺産を相続する権利がある。一方長男は、最も金を必要としているが、あくまで本人の問題であり遺産を多く分割する義務はない。

しかしここで考えたいのは、親が生前だった場合長男に資金援助していた可能性が高いということ。従って長男は長女と次男から借金するという形式をもって、一時的に最も多く相続し、資金繰りの目処がついた時点で二人に返済していく。

次男は借金返済の履行状況がどうなっても、三人のうちで最も相続への不公平感が少ない立場にあるため、対立している長男と長女の間を今後も取り持つ。仮に長男と長女が遺産返済を巡って決裂した場合、次男への返済も行われなくなるため次男も損失を被る。従って次男は二人の関係に傍観者ではいられない。

長男の必要資金を長女だけでなく、次男にも出してもらうのは、長女の負担軽減と、仲裁者の立場を今後も続けさせるためである。

 

上記の仲裁案は、最初に三人に平等原理を適用し、長女への報酬として均衡原理を適用、長男への借金として必要原理を適用しています。

これはあくまで一例ですが、分配ゲームをメンバーが納得する形に終わらせるためには、

一つのゲームに各メンバーが思い描く

平等原理を全て適用する必要がありそうです。

 

会社員の給料が上がらない理由

「ゲームはまだ終わらない」

前回は富の分配を巡って人々が対立する構図を

説明しました。しかし社会集団を維持するためには、利益を生み出さないメンバーにも分配する必要がある。その場合利益を直接生み出している人間は、本来の報酬から利益を差し引かれています。「これだけ働いてるのに給料が上がらない!保険料ばかり取られて割に合わない!」と会社員は皆思っています。

経済学とは「富の分配」をいかに公平にするかを研究する学問なのです。

 

「給料は企業と社員の分配交渉による」

企業とは利益がいくら出ても、それだけの理由で社員の給料を上げたりしません。逆に大赤字が出ても給料を簡単には下げられません。

 

成果主義型の報酬体系を取るのは、民間保険の営業や水商売など従業員を個人事業主として扱う企業だけです。これらの業態は社会に有ってもなくても困りません。そのため景気の動向により売り上げが安定しないのですが、その分社員の報酬が下がるだけなので企業の利益を確保出来ます。売り上げの少ない社員は当然辞めていくかクビになりますが、個人営業は本人のスキル次第なので新入社員に教育コストをかける必要がなく、景気が戻れば新しい人間を雇うだけです。

 

公務員や医療機関のように、景気が悪くても災害が起きても常に人員を確保しなければいけない職種もあります。複雑な制度を理解して働く必要があるので、職員教育にもコストがかかります。そのため人を入れ替えることが容易ではなく、一度入職すれば基本的にクビになりません。

 

仕事は基本的に決まった作業ですが、長く勤めれば様々な問題が出くわしますし、中には緊急で対処しなければ会社が倒産するという非常事態も起きます。ベテラン社員はそうした場合の対応策を経験しており、若手社員よりは有用に動けます。これは優秀さではなく経験値の問題です。もしもそうした社員が報酬増額の交渉を切り出した場合、会社としては雇っておく利益と報酬に支払うコストを天秤にかけることになります。春闘などの労組での団体交渉は、労働時間を幾らで売買するかの値段交渉なのです。逆を言えば、社員がどれほど利益を上げていても会社と交渉出来る手段がなければ給料は上がりません。

ゲームは終わらない

個人間の利益を巡るゲームは終わりません。

人が金(給与や予算)を得た場合、「この金を誰に配って、自分がどこまで独占出来るか」という問題が必ずついてきます。

例えば「宝くじで100万当選した場合」、(最高賞は3億ですが、ここでは100万とします。)

この100万をどう使うか?

一見自分が全額使えそうですが、当選が知れ渡れば、周囲の友人、社内の同僚、親戚までが

「俺は散々世話したよな。金が余ってるならせめて奢れよ」と、あなたにたかってきます。

金を独占するのも一つの選択ですが、周囲との関係は確実に悪化します。「あいつは金に汚い」と言われ、絶縁するかもしれません。何故なら人間は「不平等な利益を独占すること」を決して許さないから。妻子がいる家庭を持つ人であれば、自分が独占など絶対に出来ません。因みに3億円当選すると、遠縁の親戚や学生時代の知人までもが「お金貸してくれ」とたかってきます。周囲との関係を維持するためには、友人には奢り、同僚や親戚には高級ギフトを贈る程度に金を使う必要があります。これが「利益の分配」であり、自分が最も得をしつつ周囲の人間が納得する分配比率を考えることが「分配ゲーム」です。

 

「分配ゲームの始まり」

原始時代の人間は、30〜50人程度の集団で部族社会を狩猟生活で生きていました。自分一人・自分の家族だけでは大型の獲物を捕獲出来ないし、猛獣から身を守れないからです。最も

初期の人間社会はこうして成立します。

男たちは狩猟で獲物をとってくるのですが、

この時に「狩に参加していない女性や子ども、長老たち」にも獲物の肉を分配しなければ

なりません。働かないメンバーに分配する必要はないと考えたいのですが、女性は家事・育児を行います。子どもは自分たちが年老いた時に狩をしてくれますし、長老たちは、自分たちが子どもだった時に養ってくれた大人です。

社会集団には個人の特性に応じた役割があり、自分が生き残るためには働かないメンバーも含めて、集団全体に食糧を分ける必要がある。「分配」は原始社会から始まり、年金や生活保護など現代の社会保障も、基本は「集団メンバーを生かすための利益分配」制度です。

 

「分配が問題なのだ」

人間は獲得した利益(金や食料)を独占する者を許しませんが、同時に集団に貢献しない者に

利益を分配することも許しません。(生活保護

たびたび批判されるのはこのためです。)

両者に共通するのは、「自分が最大の利益を得たい」ことです。

得られた利益は限られます。おやつならケーキ1個、給与なら月給20万、国家予算なら80兆円

など、規模は違いますが個々の利益はそれ以上増えません。この限られた利益を家族で・社内で・省庁で分配するのですが、「分配ゲーム」

の渦中にいる人間は、「もっと食べたい・

賃金上げろ・予算増やせ」と自己利益の最大化

を目的にしています。そして利益が限られる

以上、取り分を多く出来た人間がいれば必ず

損をする人間がいるのです。

 

 

ゲームは始まっている

今回はゲーム理論について解説しますが、携帯アプリではありません。私達の生きる社会そのものが「ゲーム」であるという話です。

 

「人類最高の天才:フォン・ノイマン

フォン・ノイマンは20世紀に活躍したアメリカの数学者です。その超頭脳による多くの研究が

社会の在り方を変え、今日の私達の生活を

支えています。彼の業績を簡単にあげると、

アインシュタインと共同でマンハッタン計画(原子爆弾開発)に参加していた。特に核分裂反応を起こす爆縮レンズの開発を担当。

・ミサイルの弾道計算のため、数学者

アラン・チューリングの計算機を改良し、

ノイマン型コンピュータを開発。現代まで

全世界で使用されているコンピュータは

全てノイマン型である。

・利害の対立する相手との妥協点を数学的に

     証明し「ゲーム理論」を確立した。

などがあります。他にも数学的な業績は数えきれません。アインシュタインノイマンこそが

真の天才だと周囲に話していました。(ノイマン

自身はアインシュタインこそが真の天才だと

考えていたようです)

 

ノイマンの唱えたゲーム理論とは、「ある事柄を巡って、A、Bという二つの個人(国や組織)が

対立した場合、どうすれば最大の利益を得られるか」を説明した数学理論です。一見すると、

均等に割れば良く思えますが、それは第三者の視点から見ているからです。例えば遺産相続などの財産分与は、相続権利者が揉めに揉めて、結局裁判所という第三者の介入が必要になるケースが多いです。人間は自分の利益が掛かっている場合は、なんとしてでも自分の取り分を確保したいと考え、対立した相手とどこで折り合いを付けたら良いかという視点が持てません。これが、自分が意図せぬままに「ゲームは始まってる」状態です。それまでごく普通の兄弟であった人々が、親の遺産相続後に絶縁状態となることは良くあります。ましてや裁判ともなれば多額の金と時間がかかるため、本来受け取れる双方の遺産が目減りしてしまうのです。露骨な利害対立は双方に不利益だと分かっているのに、自分がゲームの渦中にいるとそれが出来なくなる。その構造とはなにか。

 

囚人のジレンマ

二人の囚人(A氏・B氏)を自白させる場合、

「二人とも黙秘すれば求刑1年、自分が自白して相方が黙秘したら、自分は無罪だが相方は求刑3年、二人とも自白したら求刑2年だ。」

という選択をさせます。囚人二人にとっての

最善利益は二人が黙秘して求刑1年ですが、実際には二人とも自白して求刑2年を選ぶのです。

A氏の視点:

A氏が黙秘して減刑を得るには、B氏も黙秘する必要があります。しかしここでB氏が自白を選択すると、自分だけが求刑3年と最も不利益に

なります。逆にA氏が自白すると、B氏が黙秘してくれれば自分は無罪、B氏が自白したとしても求刑3年は免れます。

A氏にとっては、B氏の黙秘を信用して自分も黙秘した方が良いのは分かっています。でも実際には自分だけが自白した方が有利な選択もある。問題は「B氏も自分と同じように考えている」こと。互いの自己利益と不信感が示されている状況で、相手の信用を前提とした選択は

取れません。B氏の視点も同じです。

 

 

百獣の王は「ネズミ」

強い動物として、何を思い浮かべるでしょうか?ライオンやトラ、オオカミなどの肉食動物から、ゾウやクジラなどの大型動物もいます。

ですが自然界最強の哺乳類はネズミです。

何故って、浦安の某テーマパークに行けば人気の差は一目瞭然・・・。

では本題に入りますが、ネズミが最強の理由は環境適応と繁殖能力が桁外れなのです。

「個体の大きさと環境適応」

ネズミ属は世界中に1300種が知られていますが、寒帯から密林、砂漠までどんな環境下でも

生息します。個体が小さいために、少ない餌で生きられるためです。またネズミは雑種性であり、昆虫から穀物、残飯や家畜の糞まで何でも餌に出来ます。ネズミは小さい生き物と思いがちですが、南米に生息するカピバラは体長70cm、化石からは体長200~300cmに達する大型ネズミ属が近代まで生息したことが分かっています。生き物のサイズは、餌と天敵に対する戦略によって決まります。氷河期の到来で寒冷化した地球は餌に乏しく、多くの大型哺乳類が

絶滅していますが、大型ネズミもその際に絶滅しました。以来ネズミ属は厳しい環境下で生きるために体型を小型化しています。国内で身近にいるクマネズミは体長10cmに満たず、ドブネズミでも体長20cm程度です。人間と比較しても非常に小さく、簡単に倒せそうですがこれが難しい。ネズミの基本戦略は「逃げる」だからです。彼らは配管や天井裏など天敵が入り込めない隙間を住処にしています。野生ネズミも同様に、岩の裂け目やモグラの地中トンネルに巣を作ることが多いです。

 

「繁殖能力」

ハツカネズミは、生後20日で成熟することが名前の由来であるように、ネズミは交尾から1ヶ月で出産でき、子ネズミが生殖能力を獲得するのも生後1ヶ月程度と大変早熟です。江戸時代の和算書「塵劫記」には1組のネズミが1年間でどれだけ増えるかの計算問題があり、これが

「ネズミ算=2×NのX乗:累乗数Xは回を重ねるほど数字が膨大になること」の語源となっています。例えばドブネズミの寿命は1年ですが、毎月10匹前後の子供を産むことが出来るため、

雄雌が餌が豊富にあり天敵がいない環境下に生まれた場合、1年で2×(10の11乗)=2000億匹に増えます。

「ネズミに支配された島」

ネズミは猛禽類や小型哺乳類など多くの天敵に

食べられるため、生態系が保たれていれば大量発生することはありません。しかし他の大陸から切り離され、有袋類による独自の生態系をつくっていたオーストラリア大陸は、人間が持ち込んだネズミが大量発生し、数千種ともいわれる固有種が絶滅しました。オーストラリア政府が海外からの検疫で、外来生物の持ち込みに大変厳しいのは苦い過去があるからです。小麦や大豆などの生産大国であるオーストラリアは

ネズミにとって楽園であり、現代でも数年に1回は郊外の街をネズミが覆い尽くします。

隣国ニュージーランドでも事情は同じでした。

それまで哺乳類が殆ど居なかったニュージーランドは鳥たちの世界であり、飛ぶことをやめた固有種の鳥類が多数生息していましたが、ネズミの繁殖により多くの鳥類が絶滅に瀕しています。政府も駆除作戦を行っていますが、ネズミの根絶に成功した島は数例で、攻防が続いて

います。

「ネズミと疫病の歴史」

環境適応力の高いネズミは下水や埃に塗れても

生きられるため、都市部のネズミは非常に不衛生であり、大量の病原体を持っています。

人類の歴史は疫病との闘いの歴史ですが、「腸チフス」「ペスト」などの疫病が拡大したのはネズミが病原体をばら撒いたからです。特に中世ヨーロッパは何度もペストが大流行しており、14世紀の流行ではヨーロッパ全人口の1/3にあたる7000万人が死亡したといわれます。

多数の死者が出た国では他国への難民が続出し、国力がなくなったことで国家間の軍事力

も逆転します。西洋史はネズミたちが動かしていたのです。19世紀までロンドンやパリなどの

大都市ですら、上下水道の整備はおろか家の中にトイレすらありませんでした。人々は樽の中に用を足すと、アパートの階上から下の道路に

ウンコをぶち撒けたのです。通りは汚物にまみれ、そこをネズミが駆け回るのですから一度疫病が発生すると、一瞬で都市全体に拡大しました。20世紀になると疫病の拡大を防ぐ公衆衛生の概念が人々に理解されるようになりました。都市部に上下水道が整備され、ネズミの餌となるゴミ処理、殺鼠剤を使用した駆除も行われた

ことで、人類はようやくネズミと疫病禍から逃れました。国内ではペスト発生は過去に数例のみです。ですがドブネズミはダニや汚染物を撒き散らしてアレルギーの原因となり、クマネズミは電気コードを嚙るため火災の危険があります。ネズミ駆除の重要性は現代でも同じです。

「人間とネズミ」

繁殖能力が強く、穀物を荒らすネズミは古代から人間に嫌われていました。現代でも同じですが、医学研究の分野では動物実験の対象として

ネズミは重要になりました。1ヶ月で成長・繁殖するため、遺伝子病の影響を検証し易いのです。アフリカオニネズミはアフリカ大陸中部に生息する大型ネズミで、現地では食用にされていました。ですが性格が大人しく人に慣れ易いので、欧米ではペットとして人気があります。

近年では優れた嗅覚を活かし、アフリカ各地の内戦で埋められた地雷の除去に使われています。人間とネズミの愛憎関係はこれからも続いていくでしょう。

 

 

 

ダメな男の伝記:野口英世異聞

千円札の肖像に使われ、誰もが知る日本の偉人

野口英世博士。でも彼は本当に偉い人なので

しょうか。今回は人間としての野口英世の実像に迫ります。

「青年期」

1876年、福島県猪苗代町磐梯山の麓と猪苗代の湖畔にある美しい土地に、野口清作は生まれ育ちました。幼い頃の火傷により左手が使えない彼は、農業が出来ない以上は学問で身を立てることを母親から諭され、学業は常に首席でした。15歳で形成手術を受けたことで左手が少しずつ動くようになります。この事が彼に医学の道を進むきっかけとなったのは有名です。やがて高等学校を卒業した野口清作は済生学舎(現在の日本医科大学)を卒業後、医師開業試験に合格します。野口は勉学に対しては驚異的な集中力を持ち、辞書を片手に数ヶ月で英語、ドイツ語を習得しています。しかし私生活では都会の華やかさに浮かれて、連日女遊びと酒浸りの日々を過ごしていました。

その後北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所

(現在の東京大学医科学研究所)に入職した野口は、得意の語学力を活かして欧米文献の翻訳を手がけるのですが、他の研究員は帝国大学出身のエリート揃いであり、研究の世界で業績を上げるためには国外に出るしかないと考えた野口は単身でアメリカに渡ります。当時の野口清作は研究こそ真面目に続けたものの、遊び癖が酷く、連日吉原の遊郭通いを続けています。一般人の給与で遊郭などそうそう行けるものではなく、彼は全ての知人から借りられるだけ借金をしては女遊びに耽っていました。アメリカ行きに彼が志願したのは、借金の返済から逃げるためだったとも言われています。この頃自身の名前を野口清作から野口英世に改めています。渡米前に商家の娘と縁談話を進めますが、これは相手方からの結納金300円を渡米費用に当てるためでした。しかし、大金が懐に入った野口は横浜から出航する前日に料亭で大宴会を行い、結納金を1日で散財してしまいます。渡米しようにも金がない野口は恩師に泣き付き、野口の研究者としての才能を理解していた恩師は、高利貸しから300円を用立てしています。渡米後の野口の元には婚約者から結婚を急かす手紙が何度も届きますが、相手は海の彼方。野口は結婚話を引き延ばし続けた挙句、先方から破談にするように多額の金銭を要求し、結局はアメリカ人女性と結婚しています。実質的に結婚詐欺同然でした。

 

「アメリカ生活」

1900年、アメリカでの野口はペンシルバニア大学医学部で蛇毒血清の研究に取り組み、後にロックフェラー研究所で梅毒の研究をしていました。神経梅毒患者の脳内にスピロヘータを発見した野口は、神経梅毒の起因菌は梅毒スピロヘータである事を発表し、高く評価されました。ノーベル医学賞候補にも3回上がったのですが、第一次世界大戦により授賞式が中止となり受賞を逃しています。野口は数万点の標本を観察し、1911年にスピロヘータの純粋培養に成功したと発表しましたが、その後の追従実験では純粋培養の成功例が一度もなく、成果が疑問視されています。私生活も無茶苦茶で、研究所内で野口の借金と酒乱癖を知らない人は誰もいなかったと言われます。

「黄熱病研究」

1918年、野口は当時赤道直下の国々で流行していた黄熱病の原因を特定するため、南米エクアドルに行き、その地で新種のスピロヘータを発見しました。発見を元に製造したワクチンは「野口ワクチン」と命名され、大きな治療成果を上げます。しかし1924年、野口の元にアフリカの黄熱病患者にはワクチンの効果が全くないという報告が届きました。実は野口がエクアドルで発見したのは、黄熱病に症状が良く似た「ワイル病」の起因菌だったのです。慌てた野口はすぐにアフリカに向かい、英領ゴールドコースト(現在のガーナ共和国)で研究を行います。しかしいくら顕微鏡を覗いても病原体が見つかりません。当時から黄熱病は黄熱ウイルスが起因であるとする学説がありましたが、ウイルスは後年に開発される電子顕微鏡でなければ見えないため証明できません。野口は細菌起因説を信じて光学顕微鏡での観察を続けましたが、研究成果が出ないまま野口自身も黄熱病に罹患し1928年に亡くなりました。

野口英世の業績」

生前に野口が発表した研究は、その後の医学検証の中で多くが間違いであると証明され、今日まで評価されているのは、蛇毒血清の基礎研究と神経梅毒のスピロヘータ発見だけです。海外の研究者間でも野口英世は全く知られていません。

彼の人物評をまとめると

・努力家であり秀才であるが実績に乏しい

・私生活、特に女性関係が破綻していた

・「天才は相応の報酬を受けて当然」と考えて  

      おり借金に全く負い目を感じなかった。

となります。

「何故ここまでイメージと実像が違うのか」

明治、大正時代の日本は国家経済、学問、庶民生活の全てが発展途上国でした。国民の大多数はその日の食事代に事欠くほど貧しい小作農であり、豊かな生活を手にするためには子供に

教育を身に付けさせるしかありません。しかし当時の大学進学率は5%に満たなかったのです。そんな日本国民にとって、貧しい農民出身で、身体障害を負いながらも苦学の末アメリカで成功した野口英世の姿は「いずれは博士か大臣か」と子供に夢を託した大人たちの希望の象徴的存在であり、大正時代から野口英世は国民的英雄だったのです。現代でも日本のメデイアでは「途上国で貧困を救う、世界で活躍する日本人」「ハンデを乗り越えて挑戦する障害者」

という人物像はとてもウケが良く、連日テレビで放映されています。当事者たちが真剣に取り組んでいることは事実であり立派ですが、

メデイアが編集する過程で都合の悪い情報は

カットされます。野口が有名になりメデイアによって人物像がつくられたのは渡米後であり、

日本での過去や米国での私生活が報じられる

ことはありません。また、彼は知人から言葉巧みに借金を重ね、多数の研究発表を行ったことから伺えるように、他人を説得する話術に長けており、広報活動を積極的に行っていました。

「医学研究の展開」

野口英世の研究者としての業績は、現在は否定されていますが、発表当時は大発見であるとして、彼は医学界の世界的権威でした。医学の進歩は目覚ましく、数年前の常識が今日では全く通用しないことも珍しくありません。

例えば「擦り傷の処置」、以前は清潔にした後雑菌を防ぐために消毒するのが良いとされましたが、傷口に集まってきた免疫細胞や修復細胞も殺してしまうため、今日では流水で汚染を完全に除けば消毒は不要とされています。

また、早く乾燥させて瘡蓋を作るのが良いと

されてきましたが、現在では適度な湿潤状態である方が修復細胞が活発化することも分かって

います。このように身近な医学常識でも次々と覆されているのです。「DDT」という化学物質は、画期的な殺虫薬としてノーベル医学賞を

受賞していますが、後に発ガン性を指摘され

今日では使用されていません。睡眠薬サリドマイド」は、妊婦の不眠症に効果的であるため世界中で使用されましたが、胎児に四肢欠損症

を生じる重大な副作用が出たため使用禁止となりました。しかし最近になって、ハンセン病への鎮痛効果、多発性骨髄腫やエイズの治療効果が判明し、薬として認可を求める声が高まっています。医学の発見とは先行研究を否定する過程でもあり、逆に言えば野口の発見が失敗であると判明しなければ、今日の医学の発展はありません。医学に限らず研究とは「初めに失敗ありき、それを検証して改善し、また失敗して検証する」過程であり、野口の業績が無駄だったとは言えないのです。

「愛おしきダメ男」

作家の渡辺淳一氏は「私が野口に惹かれ、感動したのは彼の業績や高名さより、一人の人間として精一杯生きた、その激しい生きざまである。野口の生きた足跡をたどるうちに私はますます愛着を覚え、その強烈な個性をいまの世に甦らせたいと思った」と述べています。野心家で女好き、放蕩者で秀才、失敗だらけでも医学への情熱と献身は人一倍だった。

相反する要素を持ち続けた彼の生涯はとても

人間味があり、自らの人生を生き切った姿は

魅力的です。ダメ男野口英世はこれからも人々に愛されるでしょう。 

 

参照文献:

「遠き落日(上・下)」渡辺淳一著:講談社  2013

参考資料:

    野口英世記念館:福島県猪苗代町

 

 

 

君の声を聞かせて

今や日本のみならず、世界に広がるカラオケブーム。世界中の人々は言葉は違えど唄が好きなのは共通しています。なぜ人は歌うのか、

今回は歌とコミュニケーションを考えます。

 

「初めに歌ありき」

人類が文字を発明したのはおよそ5000年前と

言われていますが、実際には近代以前に文字の読み書きが出来たのは僧侶や官僚などに

限られ、一般庶民の情報伝達は会話だけでした。現代でも、ポリネシアン、イヌイットマオリ族などの先住民族は文字を持たずに口語だけで情報伝達しています。狩猟民族は時代を経てもに生活様式が変化することが少ないため、

記録をする必要がないのですが、祖先からの

掟や言い伝えは、次世代に伝える必要がありました。その伝承手段が「歌」であり、世界中の民族集団は祖先と神々の歴史を伝える歌を代々継承しています。北欧神話を記した「エッダ」、ペルシャ神話の「王書」ケルト神話なども歌詞の形式をとっていますし、日本でも各地の民謡は土地の歴史や土着信仰を歌っています。長崎県平戸市生月島に伝わる民謡「オラショ」はキリスト教の「グレゴリオ聖歌」が原曲であり、隠れキリシタンたちによって400年間、口伝で唄い継がれています。

何故歌の形式をとるのか、それは脳のメカニズムにより言葉よりも歌の方が記憶に残りやすいからです。言葉は脳内の言語野で情報処理されますが、音楽は音楽野で処理されます。歌はこの両方の脳野で処理され、自ら歌う時は情報を再構築するため、より記憶として残りやすいのです。この原理を脳の活性化に応用したのが音楽療法であり、認知症精神障害のリハビリ、

高齢者デイサービスなどに利用されています。

 

「歌によるコミュニケーション」

歌うのは人間だけではありません。鳥類が求愛のために歌うのは知られていますが、ザトウクジラも仲間との伝達手段として様々に鳴きます。鳴き声は水中を超音波で伝わり、数百キロ離れた仲間に届きますが、声紋を分析すると会話より鼻歌に近いのです。言葉での伝達の場合、五十音を使い分ける必要があるのですが、人間以外の動物は身体の構造上声帯が発達していないため細かい語を発音出来ません。しかし音程の異なる音を発声することは出来ます。

特徴的なのは、歌は仲間内との伝達手段として使用されており、歌う生き物は高度な社会性を

持っているということです。東南アジアに生息するテナガザルは、雄と雌が異なる音程の歌声を合唱しています。高音と低音、長音と短音を

求愛、威嚇、警告などの状況に応じて使い分けており、歌で集団内のコミュニケーションを

とっています。私たち人類も彼ら類人猿の祖先であり、人類初期の言語は語の分節が不明確だったため、言語よりも歌に近かったと考えられ

ています。

「言語と歌」

初期の発語は言語よりも音に近い。身近な例は乳幼児の言葉です。子供が最初に言葉を覚えるとき、大人から様々に話しかけられた言葉を蓄積させるのですが、その言葉が何を意味しているのかが分かりません。例えば幼児は自動車の事を「くるま」とは言わず、「ブーブー」などと言います。これが言葉を音として捉えているということです。そして語の組み合わせから言葉は成り立ちますが、音の組み合わせからは音楽が成り立ちます。それまでの単音が連なることで音楽という意味を構成している。子供が音階を「ドレミ」まで発声できた場合、「ド」音に「く」、「レ」音に「る」、「ミ」音に「ま」の語を発語出来れば、「くるま」という単語を構成していることが理解出来ます。この音と語を脳内で繋ぐために歌うことが必要なのです。つい最近まで、保育士免許の実技にはピアノ演奏が必須科目でした。これは子供が歌うことで、音程の構成から単語の構成を理解し、

音楽=歌=言葉の順で言語を獲得するからです。英語などの他国語習得も基本は同じであり、語学教材や英会話スクールは洋楽を

教材とすることで、音と英文法の構造を

脳に認識させる教育を行います。

 

歌と感情

歌には恋愛の内容が多い。これは今に始まることでなく、万葉集が編纂された奈良時代から

現代まで同じです。嬉しい、悲しい、悔しいなど私達の心は様々な感情を抱えていますが、感情が脳内にあるうちは、それらを言語化できていません。言葉として置き換える時に、初めて悲しい気持ちとして処理できるのです。仲間内で愚痴を言う、日記を書くなどの行為がストレス発散に効果的なのは、感情をモヤモヤと溜め込まずに言語化するからですが限界もあります。それは言葉自体に感情が入らないからです。どれほど悲しさや悔しさを抱えていても、

私達はその感情を誰かに伝えるために十分な言葉を知らないのです。どのように悲しいか、

どれほど悔しいかを言葉だけで言い表せない。

特に失恋するなど感情が表に立つ場面では、

怒りや悲しみ、自意識などが複雑に絡み合い、

脳内は激しく混乱しています。そこに音楽が入ると脳内は「悲しい音」「切ない音」を捉えます。その音程に相応しい歌詞が歌われている場合、人は「今の自分の気持ち」を歌っていると感じます。逆にカラオケで歌えば、言葉と音程で自分の感情を表現できる。音楽業界では

多くのアーティストに膨大な曲が歌われますが、その殆どは恋愛ソングです。歌は言葉に感情を載せることができるためであり、その構造は古代から今日まで続いています。

 

「語るように歌うこと」

歌とは音楽と言葉の複合体であり、本来は対人間のコミュニケーションであると述べました。

歌は個人の感情を表した内容が多いですが、

コミュニケーションとは一方通行では成り立ちません。本来は歌にも伝えたい相手があり、相手は和歌に対する返歌のように歌い返すことが理想です。だとすれば歌は個人の感情を一方的に吐露するのではなく、語りかけるように歌うのです。

 

「SUN」   作詞・作曲:星野源   2015

「君の声を聞かせて。

雲をよけ世界照らすような、

君の声を聞かせて。

遠い所も雨の中も、

すべては思い通り」

 

上記に引用した歌詞は、歌としての長所を備えており、特に乳幼児の音楽教材としても優れています。音域が狭く歌い易い、リズムが反復し覚え易い、言葉が明瞭であり発音し易い、という特徴を備えていますが、リズムが明るく楽しい曲であり、歌う方も聞く方も音楽が好きになれます。この歌の大きな特徴は「聞くために語っている」ことです。星野源氏はくも膜下出血で倒れた後、歌手として復活するために歌を書いています。ここで言う「君」とは、彼が尊敬していた故マイケル・ジャクソンを指しています。病気から「生の世界」に戻ってきた自分が、「死の世界」にいるマイケル・ジャクソンに「声を聞かせて」と語っている歌なのです。「聞く」ために「語り」、「語る」ために「歌う」。歌によるコミュニケーションは人の心を繋ぎます。