バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

世界の終わりの始まり

世界の終わりはいつ始まったのか解説します。

終わりの始まりって、言葉が意味不明だと

思います。「世界の滅亡説」が繰り返し社会現象になるのは何故か、そういう話です。

 

 終末思想のブーム

日本では「ノストラダムスの大予言」や「マヤ暦の終わりによる地球滅亡説」など、世界の終末論はメディアでも騒がれました。「世界の終わりの日」が過ぎるとたち消えますが、また新しい「終わりの日」が騒がれます。

欧米諸国、特にアメリカにはキリスト教原理主義の一派として、カリスマ伝道師が多数います。彼らは「ハルマゲドン(世界の終わり)」は迫っていると唱え、信者たちに救いの道を説きます。彼らの目的は信者の獲得にあり、世界滅亡は不安を煽るための口説き文句です。生命保険の勧誘と同じ手口だと考えると分かり易いと思います。

 

問題なのは、人々は何故「世界の終わり」を信じているかです。宗教団体が滅亡の日を予言して騒ぎ出した場合、その日が過ぎても世界は普通に存在しているので、本来なら教団が解体しても不思議ではありません。しかし信者は自分たちの祈りが神に通じて滅亡が回避されたと信じており、また新しい滅亡の日を騒ぎ出すのです。どうも信者たちは「世界は終わって欲しい」という願望が潜んでいるようです。

 

キリスト教の終末論

世界が終わる「最後の審判の日」に、神による魂の裁きが下る。良き魂は天国に招かれ、悪しき魂は地獄に堕ちる。その日が来るまで、

魂の精進に勤めなければならない。魂は肉体が滅びても天界に存在し、最後の審判で召集される。だから「どうせ死ぬから関係ない」と思って、悪行をしてはいけない。

キリスト教はこの教義が基本であり、信者たちが聖書の教えを実践する理由です。逆に言えば

世界の終わりがなければ、自分が裁かれる日が

来ないため教義を実践する理由がありません。

一体「世界の終わり」とは何なのか?

  

教祖ゾロアスター

およそ2700年前、現在のイラン共和国にあたるペルシャ文明の地に一人の教祖がいました。彼の名はゾロアスター。現存する最古の一神教である「ゾロアスター教」の開祖であり「世界の終わり」を最初に考えた人物です。

 ゾロアスター教の教義は以下の通り。

宇宙の始まりは善と悪しかなく、善神アフラ・マヅダは365日かけて世界を創造した、悪神アンラ・マンユは常に世界を滅ぼそうとしており、善悪の神は世界の始まりから闘い続けている。昼と夜が交互に訪れるのは、善神と悪神がこの世界を取り合っているからだ。しかしこの世界に最後の審判が訪れる時、アフラ・マヅダは勝利し世界は光で満ち溢れる。

 

終わりの始まり

ゾロアスター教ササン朝ペルシャの時代に国教として絶頂期を迎えますが、その後はイスラム勢力に押され 、生き延びた信者はインドに亡命しました。現在、パルシー(ペルシャ人)と

呼ばれるインドのゾロアスター教徒は民族間でのみ信仰されている少数派です。ですが、教祖

ゾロアスターが唱えた「世界の終わり」の概念は、キリスト教を始め多くの宗教に引き続がれ

ました。

仏教を始めとする東洋思想は、一年が春夏秋冬で廻るように、時間は循環しているという感覚でした。ここから輪廻転生(死んでも生まれ変わる)という概念が出てきます。西洋思想では

時間はある時点から始まる直線的な感覚です。

人間が生まれてから死ぬまでの一生を、世界全体の時間にも当てはめた場合、始まりがある以上は終わりが必要です。この世界の目的が見えなければ、自分たちは何処に向かえば良いのか分からないのです。

多神教は人々の信じる神が異なるため、国家のような大集団の方針がまとまりません。対して一神教は唯一絶対の神を提示する強力な教えです。異なる民族間を一つの共同体にまとめることが出来るので支配的な国家が取り入れました。そして最後の審判の日を設定したことで、信徒たちは示されたゴールに向かって進むことが出来ます。多神教信仰から一神教崇拝への転換により、世界の終わりは始まったのです。