バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

あなたは「誰」を愛しますか?

「恋したい」「愛されたい」、いつの時代も

人は恋愛に憧れ、恋に悩んでいます。何故人は恋に溺れ恋に悩むのか、今回は小説「痴人の愛」を読み解きます。 

痴人の愛 (新潮文庫)

痴人の愛 (新潮文庫)

 

 谷崎潤一郎:

日本を代表する文豪であり女性の美を伝統的な

日本語文体で書いた。代表作に「刺青」「細雪」「卍」など多数。欧米でも高く評価され

ノーベル文学賞の候補に上がっている。

 

あらすじ:

大正時代、中堅サラリーマンの譲治は銀座のカフェーで働く美貌の少女ナオミに一目惚れした。譲治はナオミを妻として娶り、自分の理想的な女性に育てるために惜しみなく金をかけた。ナオミは譲治の稼ぎで生活しているため、彼の愛に応えるべく献身的に振る舞った。

やがて大人の女性に成熟したナオミは、誰の目から見ても美しく愛される存在になっていた。譲治にとってナオミは自分が磨き上げた最高の女であり、唯一の心の拠り所だった。しかしナオミは自らの美貌を武器に若い男たちと関係を持つようになる。ナオミに裏切られた譲治は激怒して彼女を追い出すが、ナオミを失った彼は心を保てなくなっていた。

譲治はナオミに、他の男と付き合っても良いから自分のそばにいてくれるよう懇願し、ナオミは譲治に自分を愛しているなら全てを差し出すように要求する。そして二人の主従関係は完全に逆転した。ナオミは美貌を武器に譲治を飼い慣らし、譲治は愛欲の奴隷となった自分を屈辱に感じながらも愛に支配される歓びを見出す。

 

譲治の愛

譲治はナオミの美しさに惹かれ、自分で独占したいという思いからナオミを自分の理想に育てます。譲治はナオミの見た目を愛しており、自分が愛情を注げばナオミも自分を愛してくれると考えています。しかしナオミが自分を裏切った時も譲治はナオミと離れられませんでした。何故ならナオミは譲治にとっての理想の女性だから。譲治は根源的にはナオミその人ではなく「自分の理想とする女性」を愛しています。

 

ナオミの愛

ナオミは譲治から何でも与えられています。最初のうちは譲治への感謝がありましたが、与えられることが当然という状況に、ナオミは「自分は美しいから男に愛されて当然なのだ」と考えます。ナオミは男から愛されることで自分が満たされるのです。

大人になったナオミから見た譲治は冴えない中年男であり、見た目を好きになれません。自分を満たすためには若いイケメン男性から愛される必要がある。ナオミは根源的には「美しく男に愛される自分」しか愛していません。

 

脳内恋愛の世界

少女アイドルと彼女を応援するオタク男性との関係は、他人から見ると気持ち悪い印象を受けがちです。その理由は、一方的な愛情が捻れた形で成立しているからです。

オタク男性は舞台で踊る少女に恋しているのですが、彼女たちは仕事としてアイドルしています。愛想を撒いているのはファンのためというよりもファンに愛される自分でいるためです。握手会に感動するオタク男性と、内心では「キモい人だけど自分が愛されるためだ」と思っているアイドルの疑似恋愛関係が、一般人の恋愛感覚とはズレているのです。

両者がこれを疑似恋愛であると最初から分かっていれば、アイドルとファンの関係は健全でいられます。ですが握手会でアイドルがファンに刺される事件が多発しているように、両者の想いはすれ違っています。

 

実像と妄想恋愛

譲治とナオミの関係は相手の実像を見ていないという点で、アイドルとオタクの関係に似ています。しかしこれほど極端でないにせよ、私たちは誰かを好きになる時、相手の実像が見えていません。

片思いなどが好例ですが、相手が自分をどう思っているかも分からない段階で、相手の人物像をいい方向に解釈し、頭の中で付き合った状況をイメージしている。相手の実像とは無関係に妄想しているのです。

恋の妄想が無意味なのではありません。人間は1時間後、明日後、5年後などの未来を想像して生きていますが、未来は「未だ来ていない時間」ですからあくまで想像です。その想像力こそが私たちの生きる原動力ですから、恋が上手くいく未来を想像しなければ、私たちは何一つ行動出来ません。問題なのは実像と向き合わないことです。

 

付き合うと向き合う

私たちは皆、イビキをかくしオナラもする普通の人間です。エッチな妄想に浸り、逆に純粋な気持になる。尊敬する気持ちと嫉妬が交錯している。相反する様々な性格と感情要素が一人の人間に入っています。

誰かと付き合うとは、相手の良い部分と嫌な部分に向き合うということです。付き合い続けるとはお互いの実像を理解するための真剣な試みなのです。

 

自分の愛に溺れる

恋愛を始めるにあたって男女とも容姿が良いことは間違いなく有利です。美人であることは相手も気分が良いですから。問題なのは両者の愛が何処を向いているかです。

「理想のタイプ」を愛しているのか、「愛される自分」を愛しているのか。一方がその状態である場合は付き合ってもすぐに別れますが、両方がその状態では相手の実像に向き合わないまま関係は進展するのです。

相手を愛しているようで、実は自分の妄想を愛している。「痴人の愛」は倒錯した愛欲に溺れているようで、実は誰にも起こりうる愛の問題を突きつけているのです。