バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

ピカソの落書き

20世紀最大の画家パブロ・ピカソ。今日でも世界的な評価と人気があり、絵画1点に100億円以上の値がつくこともあります。子供の落書きにしか見えない絵をピカソは何故描き続けたのか。今回は絵画の見方を解説します。

 

青年期

パブロ・ピカソ1881年、スペインのアンダルシアに生まれました。美術教師の父親から絵画の英才教育を受けていたピカソは、8歳にはデッサンの技法を完璧に身に付けていました。当時から1日数点の絵を描き続けるほど絵画に夢中であり、彼にとって絵を描くことは呼吸すると同じくらいに当たり前でした。

14歳でマドリード美術大学に入学します。入学試験の課題は数点のデッサンを期限1ヶ月で提出することでしたが、ピカソは課題を1週間で描き上げ、それらの作品は入学者の中でも最高評価を受けました。ピカソは誰よりも絵を写実的に描けたのです。

初期の作品は写実的な人物画を青い背景で描いている事が多く、「青の時代」と呼ばれています。

 

芸術革命

フランスのパリに活動拠点を移したピカソは、そこでキュビスムという新たな表現に挑みます。キュビスムとは、3次元の物体を2次元の平面絵画に描き表すことです。立体的に描けば良いように思えますが、正面から描いた絵だと後ろ姿や側面を描いていません。対象を全方向から描くためには、正面、背面、上下左右の6点のデッサンが必要になります。この6点のデッサンを1枚の平面図に描き起こすのです。

 「地球儀と世界地図は何が違うか」

地球儀と世界地図はどちらも世界の全体像と位置関係を示していますが、地球が球体である以上、地球儀の方が正確に表現しています。

例えば地球の絵を描いた場合、画面にアメリカと東アジアは描かれても、背面に位置するヨーロッパやアフリカは描かれません。

それだと世界の全体像を描いたことにならないので、世界地図では正面と背面、左右から見た地球を、位置関係の比率を計算しながら一枚の面にします。しかしこれだと、上下に当たる北極と南極地域の縮尺が引き伸ばされています。

ここに立体を平面で表現する難しさがあります。もし人の顔の全体像を地図と同じように描いたら、頭と顎を上下に引き伸ばした絵になってしまうのです。立体を「正確」に描くとは、

私たちが見ている像とは大きく異なる。ピカソはそれを絵画で表現しました。

 

キュビスムの時代

ピカソは1907年、代表作である「アビニョンの娘たち」を発表しました。数人のモデルたちをあらゆる方向から写実的に描き、全方向から描かれた数点の作品を縮尺度を計算しながら1枚の絵画にまとめたのです。

この時代に描かれた人物は身体の各部位が様々な方向を向いており、どの方向から描いたのか全くわかりません。逆に言えば正面と背面、上下左右全ての側面が1枚の絵画に表現されています。「立体の本質を描く」ことを追求したピカソの表現なのです。

 

ピカソの価値

ピカソは亡くなるまで作品制作を続けました。対象の本質を表現するために様々な技法に挑戦し、彫刻や陶芸作品も多数制作しました。生涯の作品は5万点に上るともいわれます。

彼の作品は、「美術の価値とは何か」という難しい問題を提起しています。対象を表現するためにあらゆる技法を試したピカソの絵画は、多くが実験的な作品です。代表作は対象の本質を正確に表現していると評されますが、小さな作品や描き欠けのデッサンは対象表現としての価値が不明です。要するに「上手い絵」なのかが全く分からず、人々はピカソのネームブランドだけで絵を買い求めました。そしてピカソはそのことを誰よりも理解していました。

 

ピカソマーケティング

一般に芸術作品は製作者の死後に名声が高まるため、ゴッホやミレーのように生前は全く作品が売れずに生涯を貧困で過ごした画家は多数います。その中でも青年期から名声を得て、作品の総価格7500億円とも言われるピカソは、最も成功した芸術家でもありました。

その理由はピカソの商才にあります。芸術家は絵を描くことに意識を集中し、その絵が誰に売れるのかを考える事があまりありません。自己表現を突き詰めれば、いつか誰かが評価してくれるだろうというのが基本姿勢です。

一般市民に芸術を楽しむだけの経済的余裕がなかった時代には、芸術家の作品を買うのは国王や貴族、教会寺院だけでした。宮廷画家の作品が典型ですが、これらの絵画はスポンサーである王侯貴族の依頼で製作されています。依頼作品を作れば売れますが作品に自己表現はありません。19世紀になると一般市民にも裕福な人が現れ、自己表現の絵を描く画家と、絵を買いたい人を仲介する「画商」が登場しました。

ピカソは自己表現を追求すると同時に、表現した絵が誰に売れるのかを常に考えていました。画壇で評価されれば人々の注目が集まります。そこで絵を買いたい人を待つのではなく、人々が絵に何を求めているかを探っていました。画家と画商を兼任したことでピカソのネームブランドは確立し、絵の価値がよく分かっていない人々にも「皆が欲しがっている絵だから価値があるに違いない」と思わせることに成功しました。

 

ピカソというブランド

ピカソが自身のブランド価値を正確に理解していたエピソードとして、大富豪でありながらお金の支払いがなかったことがあります。生前のピカソはパリを中心に、欧米諸国に名を知られた有名人でした。彼が買い物の支払いを現金で済ませればお金が出て行きますが、小切手で支払うとどうなるか。

小切手にはピカソのサインが入っており、それ自体が一つの作品になっています。店のオーナーは小切手を現金化するよりも、所有するか転売することを考えます。するとピカソの口座からお金は出て行きません。彼は小切手にサインするだけでお金を支払う必要がなかったのです。

 

ピカソと落書き

対象表現を誰よりも追求したピカソは偉大な芸術家ですが、個々の作品にどれだけの価値があるのかが分かりません。鼻をかんだティッシュにサインしても、新たな表現手法として評価されるのですから。ピカソに始まる現代美術のテーマは、私たちの価値観をどれだけ揺さぶるかにあります。子供の落書きにピカソがサインしただけかもしれず、「こんな落書きになんの価値が?」というのが現代美術の見方なのです。

登戸研究所の秘密

明治大学の生田キャンパスは理工学部農学部が設置され、日々学生たちが研究を行っています。この場所はかつて誰にも知られてはいけない極秘研究をしていました。今回は大人の社会科見学として、旧登戸研究所を紹介します。

 

帝国陸軍登戸研究所

1930年代、日中戦争は激化していました。日本軍は中国東北部満州国を建国し、中国各地の都市を攻略していましたが、現地民と共産党兵の抵抗に遭い、各都市間の移動と連携が取れない状況でした。都市に駐留する兵師団が孤立してしまうため、本土からいくら援軍と物資を供給しても追い付かず、日中戦争は攻略も撤退も出来ない泥沼状態に陥りました。

状況を打開するためには少ない兵力で戦果を上げるための新たな戦術が求められる。細菌や毒ガスのような生物・化学兵器の研究計画が軍部で持ち上がったのはその頃です。当時の生田丘陵は、南米の日系人に向けて農業の技術支援を行う実験農場があるだけでした。その土地に全国の大学や軍部から研究者が集められ、大本営直轄の極秘研究が始まったのです。

 

風船爆弾

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和紙に蒟蒻糊を貼り合わせた紙風船に、爆弾を搭載してアメリカ本土を攻撃していました。日本軍の航空機には、爆弾を搭載してアメリカ本土を空爆できる飛行能力がありません。アメリカ軍はB29爆撃機で日本各地を空襲している状況で、反撃に転じるために開発されました。

見た目は手作りの様な爆弾ですが、上空のジェット気流に乗ってアメリカ本土に到達していました。気球には爆弾以外に、高度計と重りが搭載されています。高度が高いと上空の冷気によって風船の水素ガス体積が減り高度を下げます。高度が下がりすぎると高度計が感知して、重りを落とす構造でした。アメリカに到達した爆弾の多くは人がいない畑や山林を焼く程度でしたが、記録では爆発により6人の民間人が死亡したとされます。

 

生物兵器開発

登戸研究所満州国に拠点を置いていた関東軍防疫給水部(通称731部隊)と緊密に連携しており、細菌や毒物の研究開発を行っていました。

1948年の帝銀事件に使用された青酸化合物は、登戸研究所が暗殺用に開発した青酸ニトリルであると証言が出ています。陸軍上層部に納入された青酸ニトリルを何者かが持ち出したとされていますが、陸軍関係者への捜査はGHQの指示で打ち切られており真相は闇の中です。

牛痘ウイルスを風船爆弾に積んで、アメリカ本土を細菌戦で攻撃する計画が立てられますが、細菌兵器による報復の恐れがあるため実践では使用されませんでした。

 

 偽札製造

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中国大陸での戦闘が膠着状態にある中、経済を混乱させる目的で法幣(中国の第1通貨)の偽造を

行いました。国家ぐるみで偽札を造ることは国際法上の禁じ手であり、登戸研究所の内部でも

極秘中の極秘研究とされ、同僚の研究者でも何をしているか知りませんでした。

製造された偽札は香港に運ばれ、当時の国家予算規模の偽札が中国内で流通したとされます。蒋介石政権は偽札流通に対抗するために、大量の法幣を発行しました。最終的に通貨全体の偽札流通は1%に留まり、経済への影響は限定的だとされますが、大量の法幣を発行した中国は戦後に極度の通貨安に苦しみます。このインフレーションが中国国民の蒋介石政権への批判を招き、毛沢東共産党を勢い付かせる原因となったともいわれています。

 

戦後の研究所

太平洋戦争の終結により、日本は敗北しました。GHQの進駐前に、登戸研究所の研究資料と公文書は軍の命令により全て焼却されました。

そのため登戸研究所の研究内容は公式記録が存在せず、真相は歴史の闇に消えました。研究内容が分かってきたのは、戦後数十年経って当時の研究員達の証言を集めたからです。

GHQ登戸研究所の関係者を一度は公職追放し、いずれは東京裁判にかける予定でした。

しかし朝鮮戦争の勃発により、対ソ連のスパイ工作が必要とされたため、彼らを米軍に協力させました。研究者達はかつての敵国のために、共産圏の公文書偽造を行ったのです。

軍事施設としての役割を失った登戸研究所は、

1950年に明治大学が敷地を取得し、研究所の建物を校舎として活用しました。戦後70年が経過し、老朽化した建物は新校舎に建て替えられて学生たちが勉学と研究に励んでいます。

化学とは人類の進歩に貢献するためにある反面、使い道によっては恐怖の道具となる。登戸研究所はあの戦争は何だったのかを考える貴重な場所であり、化学研究を志す人々が自戒する

場所なのです。

 

明治大学平和教育登戸研究所資料館」

神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1

小田急生田駅南口より徒歩15分。

開館時間:水曜~土曜、10:00~16:00

入場無料。

 

 

 

 

「正しい」ダイエットの話

毎月のように、新しいダイエット方法が話題となり、そして消えてゆく現代社会。

「正しい」ダイエット方法が誰でも成功するならば、他のダイエット方法は登場しません。人々が新しいダイエット方法に飛びつくのは、以前の方法が失敗しているという証明です。

これからダイエットの話をしますが、成功するためではありません。そもそもダイエットとは何かを考えて欲しいのです。

 

ダイエットの意義

一般的に「ダイエット」というと、体重を落として痩せるというイメージを持たれますが、英語の「diet」は「健康」を意味しており、健康な体質になるための生活習慣改善が正しい意味合いになります。

人間の身体は元々脂肪を貯めるように機能しています。長い人類史の中で人々が食事に困らなくなったのは、合成肥料と農耕機械の登場で爆発的に食糧増産が可能になった半世紀前からです。それ以前の数百万年の歴史で、人間は常に飢餓に怯えていました。そのため身体の仕組みも、飢餓に対応するために糖質を脂質に変えて蓄えるのです。

この体質が飽食の時代となった現代でも機能するために、人間は砂糖や炭水化物の摂り過ぎで太ります。さらに脳も糖分と塩分、脂肪を摂取するように要求します。甘い物や、脂っこい料理が美味しく感じるのは、脳の欲求が満たされたからなのです。消費社会において食品メーカーは、食品の製造コストを抑えて沢山販売するには、糖分と脂肪の多い食品を作ることになります。その典型例がファーストフードです。

アメリカ合衆国貧困層は、安くて腹を満たせるファーストフードが主食となっています。そのためアメリカでは成人の30%が肥満と言われており(WHO:2008)、政府も国を挙げて肥満解消を推進する事態です。こうしてダイエットという言葉は痩せるという意味合いが強くなりました。

 

適正体重

ダイエットをするにあたって、「何故自分にダイエットが必要であるか」を明確にしなければなりません。そうしなければ自分の適正体重が

分からないからです。特に若い女性の場合、ファッションモデルに憧れてモデル体型を目指す場合がありますが副作用も大きいです。女性は子供を産む性であり、ホルモンの影響で栄養や脂肪を蓄えやすいのです。

モデルの女性は元々の体格が痩せ型で、さらに仕事として体型を維持しており、過酷な減量をしています。その代償として生理不順や貧血になることも多く、ファッションショーでは出演モデルに過度の減量を禁止しているほどモデル業界の栄養失調は深刻です。

医学的には、身長×身長×22=適正体重とされており、この22という数値がBMI(body mass index)の適正値です。実際の体重からBMIが25以上であれば肥満であり、減量の必要がありますが、18.5以下は痩せ過ぎであり増量の必要が

あります(出典:日本医師会)。まずは自分の適正体重を理解し、BMIが基準内に収まるならば特に減量は必要ありません。スリム体型に憧れるなら、基準値を下回らないように体重を維持する必要があります。

 

ダイエットの基本はカロリー制限

人間の必要カロリーは、成人男性で2200kcal、

成人女性で1800kcalと言われます。このカロリーは基礎代謝で消費するため、カロリーを必要量に保って、普段の生活を送れば体重の増減は

ありません。消費する以上にカロリーを摂取すれば太り、カロリーを消費量以下にすれば痩せる。ダイエットの基本はそれだけです。それだけのことが問題なのです。

 

「痩せない理由:カロリー過多」

菓子パンやケーキなどは1個で400~500kcalあります。ペットボトル飲料には砂糖50g(200kcal)以上含まれています。私たちは普段何気なく間食をしていますが、食事以外に糖質と脂質の塊であるお菓子を食べると、すぐに必要カロリーを超えてしまいます。また、砂糖水であるペットボトル飲料は極めて消化吸収が早く、簡単に血糖値を上げます。

血糖値を下げるインスリンは、糖質を細胞内に脂質として取り込む働きをするため、お菓子よりもジュース類の方が肥満になりやすいという見解もあります。私たちの日常生活はカロリー過多の食品に溢れており、どれだけカロリーを摂取しているか意識しなければ簡単に太ります。

 

「痩せない理由:消費カロリーの少なさ」

必要以上にカロリーを消費するためには運動するしかありません。しかしこれが難しい。1時間ジョギングや水泳をしても消費カロリーは200kcal程度です。体脂肪は1g=9kcalあり、1kgの減量には水分を考慮しても7200kcal消費しなければなりません。実にフルマラソン3回分、毎日1時間運動しても36日継続してやっと1kg減量出来ます。忙しい現代生活で、毎日ジム通いや運動を続けることは容易ではありません。

ましてや成果が中々出ない方法でやる気を維持することは難しく、運動ダイエットを始めた大半の人は途中でやめて、短期的に成果が出る方法を探すことになります。

 

「痩せない理由:溢れる情報」

〔このサプリで痩せる!〕〔10日間でー2kg痩せたダイエット〕、など情報社会である現代は

様々なダイエット情報が溢れています。それだけダイエット産業に需要があり、人は簡単に痩せる方法を求めています。ですが「幾ら食べても、運動しなくても、短期間で痩せる方法」とは、「勉強しなくても大学に受かる方法」と同じくらいありえません。人体は70%が水分であり1日2L程度の水分を取ります。そのため体重は平常でも1kg程度増減を繰り返しています。

もしも短期間で体重が減ったとしても、それは身体が脱水になっているだけで、水を飲めば元に戻ります。体脂肪を減らすという本来のダイエットを達成するには細胞レベルの脂肪を分解しなければなりません。いわば体質改善であり、スポーツをしても筋肉が急激に増えないように体脂肪も少しずつ減らすしかないのです。

 

 

 

 

 

 

野菜は世界を巡る

スーパーに並んでいる野菜は、今日の私たちの食生活には欠かせないものです。野菜の生産地にこだわる方も多いですが、歴史を辿ると日本原産の野菜というものは殆どありません。農業の歴史の中で、世界各地からやって来た外来野菜をその土地に合うように改良したものが、

現代の私たちが手に取る野菜なのです。

 

日本原産の野菜

農業が発達する以前に人々が食べていた植物は

野山の山菜でした。日本原産の野菜はわさび、

山芋、きのこに限られると言われています。

菌糸類であるきのこは、枯木を苗床にして一定の温度・湿度下でなければ成長しないため、

松茸やトリュフなど、現代でも人工栽培が出来ない品種もあります。トリュフは独特の香りを

持つフランス料理の高級食材ですが、日本原産のトリュフも稀に発見されることがあります。

 

アジア原産

日本の農耕技術は朝鮮半島からの移住者がもたらしました。米や粟なども縄文時代後期に伝わり、稲作が生活の中心になることで弥生時代が始まりました。イネ科植物は南国原産であり、

寒冷気候では栽培出来ないので、弥生人たちは西日本に生活し、狩猟生活を続けた縄文人

東北地方や山岳地帯で生活しました。

縄文文化が終わったのは、品種改良によって寒さに強いの稲の栽培が東北地方まで普及したからです。大和政権は遣隋使や遣唐使を通じて中国大陸と交流を続けていました。目的は仏教や政治制度を取り込むためでしたが、同時に漢方医学や野菜の種も日本に伝来しています。

白菜、大根、瓜、桃、梅などが奈良時代には日本で栽培され始めました。平安時代の記録では、貴族たちの食生活はご飯と魚の干物、漬物が中心であると記されています。華やかに見える都の貴族ですら、1000年後の私たちの感覚では貧しい食生活なのです。

 

中東原産

農耕発祥の地であるメソポタミア文明は、多くの食用植物を栽培していました。やがてそうした植物は、シルクロードを通じて中国に普及し、日本にも伝わりました。胡瓜(キュウリ)、

胡桃(クルミ)、胡麻(ゴマ)などは胡国(ペルシャ)

から伝来した作物です。砂漠地帯の中東は、乾燥に強く日光を好む果物の栽培が盛んです。ザクロやイチジクはペルシャ原産、スイカは北アフリカ原産と言われています。

 

世界史を変えた南米野菜

現代ではフランス料理やイタリア料理は世界中で人気がありますが、中世までのヨーロッパ諸国は日本と同様に野菜がありませんでした。

16世紀の大航海時代が始まることで新大陸から今日の野菜が伝来しています。

「トマトとジャガイモ」

ジャガイモとトマトは同じ系統の植物です。

果実がトマトになり、根塊がジャガイモになりました。イタリア料理に欠かせないトマトですが、元は南米のインカ文明で栽培されていました。現代でもペルーでは様々な品種のトマトが栽培されています。

ジャガイモも同様に、インカ文明の主要作物でした。アンデス山脈の高地に人々が文明を築けたのは、寒冷気候の痩せた土地でも育つジャガイモを栽培していたからです。ヨーロッパ諸国もイギリスやドイツは緯度が高く、土地が痩せていたため国民は飢えていました。

ジャガイモの伝来により食糧事情は一変し、人々を飢饉から救ったのです。ドイツ料理のジャーマンポテト、イギリス料理のフィッシュ&チップスなど、料理が不味いと言われる国の代表料理がジャガイモなのはそうした背景があります。

「トウモロコシ」

トウモロコシはメキシコとグアテマラを中心としたマヤ・アステカ文明の主食です。トウモロコシも痩せた土地で良く育つ穀物なので、マヤ文明はジャングルの奥地でも高度な都市を作るほど豊かでした。メキシコはトルティーヤなどのトウモロコシ粉を原料とした料理が多いですが、アメリカ合衆国に伝わったトウモロコシは、主に家畜の飼料として栽培されています。

「サツマイモ」

薩摩芋は南米原産の植物です。ヨーロッパに伝来した芋が、中国大陸を経由して琉球王国(沖縄県)に伝来しました。薩摩藩(鹿児島県)は桜島の火山灰が積もったシラス台地であり、土地が痩せて作物の栽培が出来ません。江戸時代に琉球王国から持ってきた芋の栽培に成功し、それが全国に拡大しました。糖質の高いサツマイモは

発酵させればアルコールになるため、薩摩焼酎醸造されるようになりました。

 

書くことは生きること

2017年6月22日、小林麻央さんが亡くなりました。享年34歳、乳癌でした。

生前の小林麻央さんは、2016年9月より、ブログを通じて自らの近況を発信し続けていました。その時には乳癌は骨や肺に転移し、手術が

出来ない状態でした。先が見えない中で、自分という人間がいること、何を食べ、誰を愛し、

病とどう向き合うか、9ヶ月間のブログには一人の人間が生きようとした証が書かれています。

末期癌の苦痛は想像を超えます。骨を焼かれるような痛みが絶えないため、眠ることも出来ません。癌が肺に転移すれば息が吸えなくなり、

抗癌剤や医療麻薬を使えば吐き気とだるさが止まらなくなります。

ブログには、そうした闘病の苦痛は一切触れていません。同情や人気を集めるためではなく、生きるために書き続けたのです。その姿は、

時間を意識せずに生きてしまう多くの人々の

心に届きました。

 

小林麻央さん、どうか安らかにお休み下さい。

 

サッカーの組織論

世界で最も愛されるスポーツ

今回はサッカーの魅力を解説します。サッカーはイングランド発祥で、やがてヨーロッパ各地に広がり、当時植民地であった南米諸国や

中東、アフリカにも広がりました。基本的にボール1個あれば楽しめること、ゴールに入れれば得点する単純なルールであるため、経済・教育水準の低い途上国でも競技人口が拡大し、

世界のどの地域でも人気があります。サッカーのワールドカップが盛り上がるのは、欧州、

中東、南米、アフリカ、アジアの各地域に

サッカーの盛んな強豪国が揃っているから

です。

野球の世界大会では、参加国は東アジアと

北米、カリブ海諸国だけです。インドやオーストラリアなどの旧英国領では、クリケットが国民競技ですが日本では殆ど知られていません。

このように各スポーツの人気は国民性などもあり、世界各国で異なるのが普通です。サッカーは世界どの地域でも普及している特殊な競技

なのです。

 

サッカーで学べること

日本中どこでも地元のサッカークラブは存在し、中学・高校の部活動も盛んなので、子どもがサッカーを始めるのは簡単です。世界では、紛争地帯やスラム街の街角など死と隣り合わせの場所ですら、子どもたちはボールを蹴っています。球をゴールに入れるだけの行為になぜこれほど熱中出来るのか。それはサッカーの社会性と目的にあります。サッカーに限らず球技の勝敗はゴールの得点で決まります。そして球技はチーム戦で戦う。チーム全員が同じ目的に向かって協働することは社会集団を維持するために人類の本能として刻まれており、サッカーは

それをシンプルに表しています。

 

 

サッカーはゴールに得点することが目的。ですがそのためには、FWだけがシュートを決めれば良いわけではありません。DFが相手の攻撃からボールを奪って反撃に転じること、MFがコートの中継を繋ぎFWにパスを出すまでの一連の流れ全てが目的に向かっています。

小学生のサッカーは、最初に全員がボールに群がるような動きをします。狭いエリアにチームの主力が集まってしまうので、他のエリアの守備と攻撃は手薄になる。ここで隙がある位置にボールを運ぶことが出来れば、それだけ有利になります。ここで初めて選手たちは学習するのです。サッカーは点ではなく、フイールド全体を使うのだと。

この時の学習は教えによって得られるものではなく、自分の頭で考えた結果としての気付きになります。学習とはどうしても先生の教えを受ければ理解した気になります。しかしその教えは他人の思考の結果を記憶しているだけで、自分の頭で思考する「過程」が抜けがちになります。しかし思考過程を経ていると、状況に応じて様々な思考と行動が可能になり、社会人としての臨機応変な立ち振る舞いが出来ます。

思考の材料としての基礎知識が少ない小学生のうちから自分で思考する機会は殆どありません。サッカーはその貴重な機会なのです。

 

サッカーの大切な学び、それは個性と役割の発見です。自分がFWになりたくても、得点力が低ければ他のメンバーがFWになります。しかし自分に持久力と、全体を見渡す視野があれば

MFになれます。そしてチームが一つの目的を

持っている以上、能力の違いはチーム内での役割が異なるだけです。そしてこの身体能力の違いこそが個性であり、自分の個性でチームに貢献するにはどの役割が適切であるか発見するのです。サッカーは11人の小さな集団ですが、チームの目的を達するために、自分は持てる能力を最大に発揮するにどう闘うか。これはどれほど大きな集団に所属してもついてまわる個性と

役割の両立を巡る課題です。

 

自分は個性的であると思っている人は大勢います。残念なのは人間の個性は社会集団の中で役割が少ないのです。ファッションやコスプレを生きがいにしている人も、普段はスーツ姿で仕事する社会人でしょう。小説や演劇などの自己表現を行なっている人は、本業の収入が殆どありません。残酷ですが、自分の個性とやりたい事は社会に必要なポジションがないのです。

一般の人は収入を得るために社会集団に所属し、そこで何らかの役割を与えられます。自分の個性に合っているかは全く分かりません。

自分は集団の中で何が得意で、何が苦手かを

理解することが個性。その個性は集団のどの立場にいれば最も生かされるのかを考えること。

サッカーをすることでそれに気づくのです。

 

 

 

裸の王様は誰?

「裸の王様」      C・アンデルセン

ある国の国王のもとに、二人の詐欺師が服の仕立屋を装って訪れた。「聡明な王よ。貴方様のために最上の衣装を仕立てます。この服の価値は愚か者には理解出来ません。その目で服を見ることすら出来ないのです。」二人はその日から、必死に服を仕立てる(振りをしていた)。

やがて完成した服は王宮で披露されるが、王が目を凝らしても二人が説明する服が見えない。

己の無知を晒したくなかった王は、服を褒め称え、家臣たちも同調してしまう。新しい服で市中を凱旋した時、国民たちも服が見えないとは

言えなかった。しかし子どもが「王様は裸だ」

と叫んだ時、王様は自分が何も着ていないことを自覚してしまう。

 

 「裸の権力者」

企業の経営者が、役員をイエスマンで固めているワンマンタイプである場合、社員にサービス残業を強要したらどうなるか。社員が異議を唱えても、経営陣は「俺たちの時代はもっと働いた」と言うでしょう。

経営者も違法性は認識していますが、社内で反対する人がいなければ組織の論理が通用します。社員は退職するか、会社の論理に同調するしかありません。

しかしサービス残業の実態が外部に報道されれば、経営者は態度を一変させます。自分たちの正しさは、一般社会で通用しないことに向き合わされるからです。経営者は「我が社にサービス残業はない」と答え、社員にも口裏を合わせるよう求めるでしょう。「社長は裸の王様」であることが露呈してしまうのです。

「あの人は裸の王様だ」という場合には上記の話が当てはまるでしょう。ですがこの童話は権力者を揶揄した単純な話ではないのです。ここでは登場人物の視点を詳しく見ていきます。

 

主観と客観のジレンマ

王様の視点:服が見えない。

「どうしても服が見えない。自分は愚か者なのか?バカな、余は王だぞ。あの仕立て屋が自分を欺いているのか?だがもしも家臣たちに服が見えていて自分だけ見えなければ、自分の愚かさを晒してしまう。自分は国を治める王なのだ。家臣たちに愚かな姿など見せられない。とりあえず服が見えてる前提で褒めておこう。」

 

家臣の視点:服が見えない

「服が見えないではないか。自分は愚か者なのか?王様は服が見えているというのに。ここで服が見えないことがバレたら、自分は無能ということになり、役職を解任させられるかも知れない。王様の服を褒め称えて、見えない事は他の家臣たちにも隠さなければならない。」

 

国民の視点:服が見えない

「王様は裸で行進しているように見える。

でもそんなこと言えば不敬罪で捕まるかも。

とりあえず周りに合わせておこう。」

 

子どもの視点:服が見えない

「王様は裸だ!」

 

詐欺師の視点:王様も家臣も服が見えないこと  

                          を理解している。

「王様も家臣も服が見えていないことを共有出来れば、自分達の詐欺はバレる。しかし彼らは自分が愚かであると、認めるリスクを負わないだろう。“自分が相手にどう見られたいか”にこだわる限りバレる心配はない。」

 

以前に解説した囚人のジレンマに似た構図になりますが、ここで王様と家臣は自己利益の最大化を考えつつも、「自分だけ愚か者に見られる」事がもっと不利益となるため、情報の共有が出来ていません。

自分がどのような人間であるかを理解するには、自分を客観視することは欠かせません。しかしこの「客観」が問題なのです。客観を他者の視点と考えると、それは相手にとっての「主観」になるからです。自分自身が客観的にどう見えるかを自分で知る方法はなく、しかし他人が本当のことを言う保証もないのです。

 

自己イメージの世界

「自分はどうしたいか」が主観。「自分が人からどう見えるか」が客観になりますが、私たちは「自分が他人にどう見られたいか」という主観と客観が混じった思考をしています。そして

ファッション服とは「自分が着るため」よりも、「他人からどう見えるか」が主体の使用目的なのです。

誰だって人から認められたい。「可愛くなりたい」「いい人に見られたい」「優秀だと思わせたい」動機は様々ですが、自己イメージには承認欲求が入り混じっています。一方で自分を貶めるイメージは受け入れがたい。

例えば、男性にとって髪が禿げることはデリケートな問題であり、禿げを隠すために精巧なカツラを被ります。しかし周りにバレないと思っていても、そこには「バレたくない・バレないはずだ」という主観が入っており、実際には周囲にはバレているかもしれません。ですが誰も正面から指摘出来ないのです。言えばコンプレックスを刺激してしまうから、相手からどう見られるかを考えるほど指摘出来ない。これが王様と家臣の関係であり、カツラが喜劇のネタに

なりやすい理由です。禿げること自体が問題ではないのです。誰しも髪は薄くなりますし、坊主頭をファッションとして捉える男性は何も可笑しくありません。禿げを隠そうとする心理が

周囲にバレているのに、当の本人が気付かないという状況が可笑しいのです。

 

 読者の視点は俯瞰的

俯瞰とは主観とも客観とも離れて、物語の外部から全体像を見ることです。「裸の王様」では、王様が裸であることを知っているのは詐欺師と子供、そして読者である私たちだけです。しかし現実世界を一つの物語だと考えた場合、私たちは読者の立場になく、「王様」「家臣」「国民」の立場なのです。誰も読者の立場で全体像を俯瞰出来ない。

新聞などのメディアを読む時、私たちの視点は俯瞰的になりますが、それは外国や政府など、

自分とは外部の世界を見ているからです。もしも自分が取材される立場であればとても俯瞰など出来ません。「国民」の立場からしか考えられないでしょう。

 

リーダーとは俯瞰する人

物語の渦中にありながら、詐欺師は全体像を

俯瞰出来ていました。これは詐欺師が最初から全てを仕組んだ、作者と同じ立場だったから

ですが、現実世界で物語の中にいながら全体を俯瞰することは出来るでしょうか。

例えばサッカーの試合では、観客席からはピッチの全体が見えており、自軍の選手、相手選手、ボールの位置関係から、次にどこにパスを出せば良いか分かります。一方で選手一人一人に全体像は見えませんが、パスを出す位置は分かっています。これは自分たちの試合を映像で

振り返って、過去の試合の全体像を俯瞰することで、現在の全体像を想像する訓練を積んでいるからです。

企業においても経営者や管理職はリーダーとしての経験を積んでいます。そしてリーダーの資質とは、主観とも客観とも離れて、物語の中にいながら全体を見れる俯瞰的能力です。王様が裸なのは、物語の主人公でありながら読者の視点を持つ俯瞰的視野:リーダーの素質がなかったからなのです。

 

王様の思考法

主観も客観もあてにならない状況で、王様はどうすれば俯瞰的視野を持てるのか。手掛かりの

一つは数字です。1+1は誰が計算しても答えは

2であり、反論の余地はありません。数学は主観や客観といった人間の認識と無関係な世界であり、だからビジネスの場では数字が重視されます。これと近い考え方に論理学があります。全ての前提条件を洗い出した上でX、Y、Zなどの要素に分解し、一つずつ証明するのです。

 

〔前提条件:服が見えない〕

1:王様に見えないが、家臣には見える

  方法:家臣たちに「服が何色に見えるか」個別に尋ねる。

証明:服が見えている家臣の答えは一致する。=服は確かに存在するが、自分には見えない。結論:自分は愚か者である。

服の色が様様である場合、

方法:「余には白く見える」と答える。

証明:家臣が「赤です」「金色です」と反論した。

結論:見る者によって異なる服が存在するが自分には見えない=自分は愚か者である。

 

2:王様に見えない、家臣にも見えない

方法:1と同様。

証明:家臣たちが答えられない、王に同調して「やはり白く見えます」と回答した。

結論:両者とも愚か者、服は存在しないの二択となる。

 

3:賢い者だけに見える。

方法:国外から賢者と称される学者数名を呼び、ここに何が見えるかを個別に尋ねる。その際に「愚か者には見えない服」であることは伝えない。

証明:美しい服がありますと回答する。

結論:自分たちは愚か者である。

 

4:仕立て屋だけに見える。

3の方法で学者たちが「何もありません」と回答した場合、服は誰にも見えないが、仕立て屋には本当に見えている可能性は残る。しかし、

ファッションとしての服とは「自分が楽しむ」よりも「他人に見せる」ための道具であり、

仕立て屋にしか見えない服は、仕立て屋にしか

披露出来ない。服として意味をなさず、彼らの

言い分は詭弁である。

 

「裸なのは自分」

王様は服を見た時、1~4までの展開を想定出来れば、全体像を見れたと言えます。俯瞰的視野とは自分が「こうありたい」という主観を一度捨てて、自分が間違っている可能性も含めて

検証することです。実際にはここまで考えて行動出来る人は殆どいません。だからこそ、これが正しいと考えて行動しても失敗するのです。

一度失敗すること自体はそこまで問題ではありません。問題なのは失敗を恥と考えて隠そうとすること、王様が裸で街を凱旋したように、自分の間違いを認めたくないという心です。ですが、周囲にバレたくない・バレないはずだという気持ちは、実際には他人にバレておりそれを指摘されないだけです。自分に悪いイメージを持たれたくないという気持ちは他人も一緒であり、そのままでは気付かないうちに信用を落とすだけになります。

自分の立ち振る舞いを客観的に見ることは出来ても、俯瞰的に見ることは不可能です。しかし、リーダーの役割を持った人はチーム全体の動きを見ており、メンバーの働きを俯瞰的に

見ています。物語の子どものように、自分の利害を離れて「あなたは裸だ」と指摘する人がれば、その人は場の状況における自分の本当の姿を伝えているのです。