良い人と都合良い人
私たちは様々な人間関係の中で生きています。仲良い人もいれば嫌いな人もいるでしょう。人の悩みが根本的には対人関係に行き着くことを踏まえれば、良い人たちに囲まれて生きて生きたいものです。ですが「良い人」とは決して好感が持てる人を指す訳ではありません。私たちに本当に必要な人は誰なのでしょうか。
人間関係はgive & take
人間関係は基本的に労力の交換ゲームなのです。自分の予定や意見に相手を合わせた場合、相手はやりたい事を犠牲にしています。それ故に次回は自分が相手に合わせる必要があります。
奢ってもらったら次回は自分が奢る。交渉で言い分を通したら、次回は自分が折れるなど相手が自分のために負担しているコストを何らかの形で返す必要があります。もちろん言葉で謝礼することも欠かせません。
そうしなければ、相手は2度と自分の労力を使おうとはしないでしょう。「あいつは何かしてもらって当然だと思ってる」という印象を持たれるからです。しかし中には、労力を返さないいで良いと言う人もいます。それが都合の良い人です。
都合の良い人
意中の恋人であったり上司であるなど、「相手からの印象を良くすれば自分を認めてくれる存在」がいると、人間は自分の意思や感情を捻じ曲げても、相手と良好な関係を維持しようとします。
良い人に思われたいという心理が強く働く場合は半ば相手の言いなりになりますが、その状態がエスカレートするほど、あなたは相手にとって負担した労力を返さなくて良い人になります
本来、友人や恋愛関係で金銭の貸し借りは禁忌です。お金とはその人の労力を数字に現したものですから、返済がなされるまでその相手との関係は労力の「貸し」になっています。ここで返済を迫らずにさらに「貸し」を行えば、借りた人間は返す必要性を意識しなくなります。そして「相手に尽くす」労力は、借金の返済を迫らずにいくらでも追加融資すると言っていると同じなのです。
これが都合の良い人であり、この状態は相手から人間として認められるどころか、いくらでも利用出来ると足元を見られているだけなのです。
良い人
私たちは客観的に良くない行動をとっても、自分にとっては正しいと考えているため、自分一人では思考を修正出来ません。
仕事の上司や友人などあなたの周囲の人があなたを叱るのは、「自分は相手にどう見えているか」を自覚させるためです。これは叱る立場の人にとっても恐いのです。相手が言葉の意味を理解して行動を改める保証はないし、場合によっては逆恨みされるかもしれません。それに自分が間違っている可能性もあるのです。
それでも叱るのは、短期的には損害でも長期的には利益になると信じているからです。
表面的に優しい言葉をかけてくれる人が良い人ではありません。何故なら問題は何一つ解決していないから。現状を肯定されることで、問題から目を背ける癖に拍車をかけてしまうこともあります。
自分が借金を抱えていたとして、「まだ金を借りられるよ」と言う人がいますか?いるならその人は金融機関の回し者です。友人や家族であれば「早く返済しろ」と言うのが普通です。
私たちは、勉強も仕事も恋愛も、出来ればやらずに済ませたいタスクに追われています。それらを先延ばしたい気持ちも分かります。ですが先延ばしを肯定して問題解決を避ける言葉は優しさではありません。
良い人とは「自分がどう思われるかは相手に委ねるから、自分は正しいと思ったことを言わなければいけない」と、利害関係から一度離れて相手の利益を考えている人です。
世界は自分が見たくない領域も動いています。私たちは都合の良い人と付き合いたくなりますが、良い人と向き合うべきなのです。