バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

君の声を聞かせて

今や日本のみならず、世界に広がるカラオケブーム。世界中の人々は言葉は違えど唄が好きなのは共通しています。なぜ人は歌うのか、

今回は歌とコミュニケーションを考えます。

 

「初めに歌ありき」

人類が文字を発明したのはおよそ5000年前と

言われていますが、実際には近代以前に文字の読み書きが出来たのは僧侶や官僚などに

限られ、一般庶民の情報伝達は会話だけでした。現代でも、ポリネシアン、イヌイットマオリ族などの先住民族は文字を持たずに口語だけで情報伝達しています。狩猟民族は時代を経てもに生活様式が変化することが少ないため、

記録をする必要がないのですが、祖先からの

掟や言い伝えは、次世代に伝える必要がありました。その伝承手段が「歌」であり、世界中の民族集団は祖先と神々の歴史を伝える歌を代々継承しています。北欧神話を記した「エッダ」、ペルシャ神話の「王書」ケルト神話なども歌詞の形式をとっていますし、日本でも各地の民謡は土地の歴史や土着信仰を歌っています。長崎県平戸市生月島に伝わる民謡「オラショ」はキリスト教の「グレゴリオ聖歌」が原曲であり、隠れキリシタンたちによって400年間、口伝で唄い継がれています。

何故歌の形式をとるのか、それは脳のメカニズムにより言葉よりも歌の方が記憶に残りやすいからです。言葉は脳内の言語野で情報処理されますが、音楽は音楽野で処理されます。歌はこの両方の脳野で処理され、自ら歌う時は情報を再構築するため、より記憶として残りやすいのです。この原理を脳の活性化に応用したのが音楽療法であり、認知症精神障害のリハビリ、

高齢者デイサービスなどに利用されています。

 

「歌によるコミュニケーション」

歌うのは人間だけではありません。鳥類が求愛のために歌うのは知られていますが、ザトウクジラも仲間との伝達手段として様々に鳴きます。鳴き声は水中を超音波で伝わり、数百キロ離れた仲間に届きますが、声紋を分析すると会話より鼻歌に近いのです。言葉での伝達の場合、五十音を使い分ける必要があるのですが、人間以外の動物は身体の構造上声帯が発達していないため細かい語を発音出来ません。しかし音程の異なる音を発声することは出来ます。

特徴的なのは、歌は仲間内との伝達手段として使用されており、歌う生き物は高度な社会性を

持っているということです。東南アジアに生息するテナガザルは、雄と雌が異なる音程の歌声を合唱しています。高音と低音、長音と短音を

求愛、威嚇、警告などの状況に応じて使い分けており、歌で集団内のコミュニケーションを

とっています。私たち人類も彼ら類人猿の祖先であり、人類初期の言語は語の分節が不明確だったため、言語よりも歌に近かったと考えられ

ています。

「言語と歌」

初期の発語は言語よりも音に近い。身近な例は乳幼児の言葉です。子供が最初に言葉を覚えるとき、大人から様々に話しかけられた言葉を蓄積させるのですが、その言葉が何を意味しているのかが分かりません。例えば幼児は自動車の事を「くるま」とは言わず、「ブーブー」などと言います。これが言葉を音として捉えているということです。そして語の組み合わせから言葉は成り立ちますが、音の組み合わせからは音楽が成り立ちます。それまでの単音が連なることで音楽という意味を構成している。子供が音階を「ドレミ」まで発声できた場合、「ド」音に「く」、「レ」音に「る」、「ミ」音に「ま」の語を発語出来れば、「くるま」という単語を構成していることが理解出来ます。この音と語を脳内で繋ぐために歌うことが必要なのです。つい最近まで、保育士免許の実技にはピアノ演奏が必須科目でした。これは子供が歌うことで、音程の構成から単語の構成を理解し、

音楽=歌=言葉の順で言語を獲得するからです。英語などの他国語習得も基本は同じであり、語学教材や英会話スクールは洋楽を

教材とすることで、音と英文法の構造を

脳に認識させる教育を行います。

 

歌と感情

歌には恋愛の内容が多い。これは今に始まることでなく、万葉集が編纂された奈良時代から

現代まで同じです。嬉しい、悲しい、悔しいなど私達の心は様々な感情を抱えていますが、感情が脳内にあるうちは、それらを言語化できていません。言葉として置き換える時に、初めて悲しい気持ちとして処理できるのです。仲間内で愚痴を言う、日記を書くなどの行為がストレス発散に効果的なのは、感情をモヤモヤと溜め込まずに言語化するからですが限界もあります。それは言葉自体に感情が入らないからです。どれほど悲しさや悔しさを抱えていても、

私達はその感情を誰かに伝えるために十分な言葉を知らないのです。どのように悲しいか、

どれほど悔しいかを言葉だけで言い表せない。

特に失恋するなど感情が表に立つ場面では、

怒りや悲しみ、自意識などが複雑に絡み合い、

脳内は激しく混乱しています。そこに音楽が入ると脳内は「悲しい音」「切ない音」を捉えます。その音程に相応しい歌詞が歌われている場合、人は「今の自分の気持ち」を歌っていると感じます。逆にカラオケで歌えば、言葉と音程で自分の感情を表現できる。音楽業界では

多くのアーティストに膨大な曲が歌われますが、その殆どは恋愛ソングです。歌は言葉に感情を載せることができるためであり、その構造は古代から今日まで続いています。

 

「語るように歌うこと」

歌とは音楽と言葉の複合体であり、本来は対人間のコミュニケーションであると述べました。

歌は個人の感情を表した内容が多いですが、

コミュニケーションとは一方通行では成り立ちません。本来は歌にも伝えたい相手があり、相手は和歌に対する返歌のように歌い返すことが理想です。だとすれば歌は個人の感情を一方的に吐露するのではなく、語りかけるように歌うのです。

 

「SUN」   作詞・作曲:星野源   2015

「君の声を聞かせて。

雲をよけ世界照らすような、

君の声を聞かせて。

遠い所も雨の中も、

すべては思い通り」

 

上記に引用した歌詞は、歌としての長所を備えており、特に乳幼児の音楽教材としても優れています。音域が狭く歌い易い、リズムが反復し覚え易い、言葉が明瞭であり発音し易い、という特徴を備えていますが、リズムが明るく楽しい曲であり、歌う方も聞く方も音楽が好きになれます。この歌の大きな特徴は「聞くために語っている」ことです。星野源氏はくも膜下出血で倒れた後、歌手として復活するために歌を書いています。ここで言う「君」とは、彼が尊敬していた故マイケル・ジャクソンを指しています。病気から「生の世界」に戻ってきた自分が、「死の世界」にいるマイケル・ジャクソンに「声を聞かせて」と語っている歌なのです。「聞く」ために「語り」、「語る」ために「歌う」。歌によるコミュニケーションは人の心を繋ぎます。