バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

「IT:あいつ」の正体

 

 

 


アメリカを代表する世界的作家スティーブン・キング。「スタンドバイミー」「グリーンマイル」「シャイニング」など、半世紀近くベストセラーを刊行し、「ホラー小説の帝王」の異名を持つ彼の代表作から2017年に映画化された「IT」を読み解きます。

 

あらすじ

1989年、アメリカ中部の町で子供たちが行方不明になる事件が多発していた。主人公は、弟が雨の日に行方不明となり、友人たちと町の排水溝を調べている。調査に乗り気でなかった彼らの目に、「あいつ」の恐怖が見え始める。ペニーワイズと名乗るピエロは、見た人間によって最も恐いものに変化していた。恐怖に負けたら排水溝に引きずり込まれる事を悟った彼らは、「あいつ」と闘うことを決意する。

 

1:あの頃の、得体の知れない何か

この映画の主人公は15歳前後の少年たちです。そして映画自体が、少年たちの視点だけでなく、生きている世界を描いています。少年期の懐かしさを現すのでなく、思春期にしか分からない息苦しさの世界観なのです。いじめや仲間外れ、大人たちの無理解、セクシャリティへの違和感といった誰もが通ったはずの薄暗い青春時代を背景としています。

少年たちはクラスメイトからのイジメや親からの支配に怯えていますが、被害を加えるのは自分たちと同じ普通の人間です。その加害者たちも別の人間から被害を受けている。

日本国内でも毎年イジメ事件が発生していますが、自殺に至ったイジメ被害はごく一部であり、身体的には生きていても精神を破壊され、在るべき居場所を失った子どもたちはいくらでもいます。

イジメ事件は、見て見ぬ振りをしていた周囲も加害者だと指摘されるように、「悪役が明確でない」ことが特徴です。イジメの加害者は、自分もイジメられるのが怖くて被害者を殴っているのかも知れないのです。ここには被害者と加害者の二項対立を超える恐怖が構造されています。誰が敵で味方なのか?得体の知れない恐怖が蔓延している。その正体と対処法がわからないという難題に少年たちは向き合っているのです。

学校ではイジメがあり人種差別が蔓延し、大人たちは守ってくれない。現実の世界は在るべき姿から遠く、理不尽な世界から身を守るには信頼出来る仲間と結束するしかない。確かに世界が理不尽なのは大人たちの怠慢です。しかし「安全を確保するのが大人の責任だから自分は外に出ない」と自分を正当化しても、事態は何も解決しません。大人に成長するとは「危険な目にあうのは納得いかないけど、外に出るために自分が動くしかない」と自覚することなのです。

 

2:ペニーワイズの正体

恐怖のピエロ、ペニーワイズは子供たちにとって最も恐い対象に姿を変え、その恐怖心を喰らう存在です。原作においてペニーワイズ自身が「俺はお前の恐怖そのものだ」と語っており、ペニーワイズとは小さい頃の心傷(トラウマ)が具現化したものだと考えられます。

人間には外傷を治す能力と同時に、精神的ストレスを強制的に忘れる能力があります。心理的なトラウマは別の記憶に置き換えられ、当時の出来事は無意識領域に隠されています。しかしトラウマは心から完全に消えた訳ではなく、時に恐怖として表面化する。ペニーワイズが見えた時とは、自分の内なる恐怖との対峙でもあるのです。だからこそ、主人公たちは必死で逃げるのですが、やがて自分自身からは逃げられないと悟るのです。

 

3:父親殺しの通過儀礼

キングの代表作である「スタンドバイミー」は、少年たちが死体探しの冒険を通して線路の向こうの「死の世界」に旅立ち、「生の世界」に戻ることで大人に成長するという物語です。ホラー版スタンドバイミーと評される「IT」において、少年たちの成長は親殺しに示されます。

イジメ役のリーダーはペニーワイズから渡されたナイフで警察官の父親を殺し、ヒロインは、父親からの性的虐待から逃れようと、陶器で撲殺してしまいます。いずれも共通するのは、絶対的な父親の支配から逃れるために、自分の意思を示していることです。

子どもたちにとっての恐怖とは、ペニーワイズだけではありません。イジメをするクラスメイト、支配的で子どもを道具扱いする親たち、親から性的な目で見られることへの嫌悪と女性らしく成長する身体。本来守られるものから狙われているという恐怖があり、恐怖に打ち勝つためには「親を殺す」必要があります。

エディプスコンプレックスと呼ばれる、ギリシア神話のオディプス王物語を題材にした親殺しの成長物語は、多くの小説や漫画の共通テーマとなっています。自分の成長のためには支配的な親と対峙して「殺す」ことで、親を乗り越えて精神的な自立を果たす。物語の中で親は圧倒的な恐怖として立ち塞がります。

私たちにとって親とは、幼い自分を育ててくれた絶対的な存在です。しかしいずれは誰もが、親の庇護を離れて独り立ちしなければなりません。自立するとは親からの受け売りではない自分の考えを表明することであり、精神的な意味での「親殺し」を果たす必要がある。映画や小説で親殺しの構造が繰り返されるのは、私たちが大人になる上での通過儀礼だからです。

 

4:「あいつ」との対峙

映画の終盤において、主人公は弟に扮したペニーワイズと対峙します。自分が作った紙船で遊んで弟が排水溝に落ちたことから、罪悪感に囚われた主人公は弟の死を受け入れられません。頭では死んだと分かっていても、認めることがどうしても怖かった。だからこそペニーワイズは弟の姿で現れます。

正体を暴かれたペニーワイズは、次々と恐怖の対象に変化して襲いかかります。ペニーワイズは恐怖心を餌に成長する。逆に言えば、恐怖を感じなければ全く非力なのです。仲間を助けるために内なる恐怖と対峙した少年たちはペニーワイズを追い詰めて行き、井戸の底に突き落とします。

この物語のタイトル「IT」とは、殺戮ピエロを意味するだけでなく、もっと広い概念、「あいつ」としか言い表せない得体の知れない恐怖のことです。私たちは恐怖を乗り越えたことで大人になったけれど、恐怖自体が消えた訳ではない。原作では、大人になった主人公たちが「あいつ」が帰ってきたことを知る場面から、現代の戦いと少年期の戦いが交錯します。来年公開予定の次作では、大人になった主人公たちが再び「あいつ」と対峙します。内なる恐怖と対峙することが大人への成長の階段だとする「IT」は、大人にとっての暗黒童話であり、恐怖の本質を描いた物語なのです。