バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

王族は辛いよ…サウード家の受難

サウード家のアラビア

現代の王政国家は、国王を国家元首と定めつつも、国政は国民議会が決定し、首相がトップを務めています。しかし21世紀の今日でも、王族が国政を担い、国家の立法、行政、財産を独占している国があるのです。それが中東のサウジアラビアです。 

中東のアラビア半島は紀元前3000年頃に誕生したメソポタミア文明(現在のイラク)を中心にとして、エジプトやエチオピアとの交易路として発展しました。半島全体が砂漠地帯であり農業が出来ないため、人々は遊牧民として暮らしてきました。中東地域はヨーロッパとアジア、アフリカ地域を繋ぐ文明の十字路であり、古代から現代まで戦争が絶えません。軍事・交易要所の支配を巡って様々な国家が領土を取り合っています。

古代イスラエルで誕生したナザレ派の教義がキリスト教としてヨーロッパに伝道されるのに対して、6世紀に成立したイスラム教は中東全域から北アフリカ、インドに伝道しました。イスラム教の開祖である預言者ムハンマドは、支配領域を広げるなかでアラビア半島の交易都市であったメッカを制圧し、イスラム教の聖地としました。コーランには一生に一度のハッジ(メッカへの巡礼)をイスラム教徒の義務と定められているため、メッカは国際的な宗教都市となります。イスラム教の伝統を守るために、メッカは自治権を持った独立都市であり、アラビア半島を支配する勢力が代々の守護者となりました。そして20世紀になってメッカの守護者に就いたのがサウード家です。 

サウード家は18世紀からアラビア半島を戦闘支配して交易を担う有力部族でした。19世紀にアラビア半島全体がオスマン帝国(現在のトルコ)の領土になると、部族の力は弱体化し、他部族との争いで消滅しかけます。若き族長アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードは、オスマン帝国解体を目論むイギリスの支援を受けて各地を奪還し、他部族を従えることに成功しました。1932年にサウード家のアラビア王国が成立し、アブドゥルアズィーズは初代国王に就任します。

イスラム圏では一夫多妻が認められており、アブドゥルアズィーズ王は側室も迎えたため、第2世代の王子だけで50人近くいるとされています。アブドゥルアズィーズ王の死後、歴代の国王は彼の息子たちが就任しており、2015年に就任した7代目国王サルマン・サウードは、初代国王の25番目の息子です。

 

油田の発見と石油王の誕生

サウジアラビアの成立初期、経済の中心は交易による利益であり、農業が出来ないサウジアラビアは外国に売るものがない貧しい国でした。この土地に石油があることは古代から知られていましたが、原油の状態ではランプの灯り以外に使用価値がなかったのです。

やがてアメリカを中心に自動車や工業エンジンの燃料としてガソリンの需要が起こり、人工繊維やプラスチックを石油から合成する研究が進むと、工業の中心として石油は不可欠な資源となりました。第一次世界大戦で登場した戦車や軍艦などの近代兵器の燃料となったことで、石油の確保は戦争の勝敗を左右するようになります。

1950年代に原油をガソリンや軽油に精製するプラントの開発、油田探索と石油採掘の技術が進歩しました。有望な油田を探すには高度な技術と莫大な費用がかかりますが、石油が出れば採掘コストはさほどかかりません。各国は石油の採掘権を国有化したことで、豊富な石油埋蔵量を持つ中東地域はオイルマネーで潤います。

サウジアラビアは世界第2の石油埋蔵量があります。そして石油を輸出するためにアメリカと手を結びました。1950年代に新生イスラエルが国家として成立すると、周辺のイスラム諸国は猛反発し、第4次まで中東戦争が起こっています。アメリカは戦争拡大を防ぐとともに石油を確保するため、イランとサウジアラビアに同盟関係を持ち掛けます。

1979年のイラン革命によって、イランは徹底的な反米路線を取り、欧米諸国に石油の販路を失います。イランはイスラムシーア派の国であり、スンニ派サウジアラビアにとっては宿敵でした。ここでアメリカと手を組めば、イランの国力は低下し自国は石油の販路を独占出来る。サウジアラビアは聖地を抱えるイスラム教国でありながらアメリカと同盟を結び、自国内にアメリカ軍基地を設置する二重外交を国策としたのです。

石油販路を独占したサウジアラビアは、石油価格を有利に交渉することで巨額の利益を手にします。1980年代にかけて先進国に石油製品が溢れるようになると、石油の生産調整を外交上の武器として持ち出し、国際社会での発言力を増していきます。

アメリカと同盟を結んだことに対しては、イスラムの教えに反するという意見が国内外から沸き起こりました。日本のような民主制国家であれば米軍基地の撤退要請も出ますが、軍事と警察を独占していたサウード家は、反対派の意見を完全に潰し、政権の中枢を側近たちで固めました。国民に対しては王政を批判する人物を逮捕すると同時に、税金を撤廃、教育や医療、住居を無償で提供するなど、オイルマネーをばら撒いて反発を抑えました。こうしてサウード家は21世紀になっても国家の政治、財産、情報を独占する石油王となったのです。

 

サウード家の内紛

サルマン国王の個人資産は300億ドル(およそ3.5兆円)とも言われますが、そもそもサウード家がどのような形態の資産を持っているのか情報がない上に、国王は国家予算を個人口座に移せる立場にいます。サウード家が世界有数の大金持ちであることは間違いなく、国王が来日した際には、都内の高級ホテルと高級ハイヤーは全て王族関係者に使われました。

湯水の如くオイルマネーを使ってきたサウード家ですが、2017年から国政を巻き込む内紛状態になっています。きっかけは、サルマン国王の第7王子ムハンマドの皇太子就任でした。ムハンマド・サウードは、従兄弟にあたる旧皇太子を退けて新皇太子に就任し、サルマン国王とともに閣僚や大企業重役の汚職摘発を始めました。逮捕者にはサウード家の身内も多く、これまで政治的にも特権階級とされてきた王族が逮捕されたことは国内外に衝撃を与えました。

何故国王は身内の王族を逮捕しているのか、それはムハンマド皇太子を次期国王にするために、有力候補者を排除しているというのが大筋の見解です。

これまで王位継承は、初代アブドゥルアズィーズ国王の息子たちに行われ、王位継承権は国王の弟たちにあります。しかしサルマン国王は80歳を超えており、弟にあたる王位継承者も国政から引退しています。次期国王は第3世代から選出する必要があるため、サルマン国王は、ムハンマド皇太子を擁立しているのです。これまでの王位継承を変更すれば当然サウード家内部から不満が出ます。特に前国王の息子である王子たちは、自分こそ正当な王位継承権があると主張します。第3世代の王子は200人以上、第6世代まで誕生している現在では、サウード家は1万人を超える大家族なのです。

中枢にいる王族だけでも数百人おり、王位継承争いが起きれば収集がつかなくなります。潤沢なオイルマネーがあるサウジアラビア政府の財政は、ある意味でどんぶり勘定であり予算の横領と私物化が当たり前です。財源は豊富な上に国民は税金を払っていないため、国家予算を可視化する必要がなかったのです。王族であるサウード家の閣僚は特に、国家予算と個人資産の区別がつかない状態で、最も国庫を私物化していたのはサルマン国王自身でした。国王は息子に王位を継承させるため、サウード家を敵に回しているのです。

 

サウジアラビアの改革

サウード家の内紛は、国王と皇太子が権力強化のために暴走しているように見えますが、サルマン国王は国政に危機感を抱いており、改革を進めるために行ってもいます。これまでサウジアラビア産油国の中心として発展しましたが、埋蔵石油の枯渇説は度々取り沙汰されており、石油が尽きれば経済は機能停止します。実際には今世紀中に資源が枯渇することはないとされますが、石油産業に依存しているサウジアラビアの経済基盤は意外と弱く、需要不足で原油価格が低迷すれば採掘コストが採算を超えてしまい年間で数兆円規模の赤字となります。

採掘技術の進歩でアメリカのシェールオイル採掘やカナダのサンドオイル採掘が可能になり、北米からの石油需要と投資が減っています。一方でサウジアラビアの石油採掘は年々コストが上がっており、原油価格を維持しなければ石油を掘るだけ損失が出てしまうのです。

2015年にイランはアメリカとの国交を回復し、核開発放棄と引き換えで経済制裁を解除されました。莫大な埋蔵量のイラン石油が国際市場に出回れば、サウジアラビアは石油価格の主導権を取れなくなります。これまでの石油政策全てに逆風が吹いている状況であり、サウジアラビア政府は脱石油経済を推進することになりました。サルマン国王の訪日も新たな産業を興すために日本と経済協定を結びに来たのです。

これまでは厳格なイスラムの教義を法律としてきたサウジアラビアですが、ムハンマド皇太子の主導で2017年に女性の自動車運転を解禁し、公共機関での女性の雇用を始めました。今後の政策として観光ビザの発給を検討しています。毎年世界中のイスラム教徒が巡礼に来るサウジアラビアですが、巡礼ビザはあっても観光ビザがなく、世界で最も行きにくい国でした。サウジアラビアが世界に開かれた国に変わるかは、サルマン国王がサウード家の内紛をどの様に収拾するかにかかっているのです。遠い国のお家騒動が、石油を使っている私たちの日常を動かしている。世界は意外な場面で繋がっているのです。