バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

臭いけど旨いもの

夏場は食品が腐り易く、家庭や飲食店が苦労する季節です。食料品の消費期限は余裕を持って設定されていますが、腐りかけた食品は細菌やカビが繁殖しています。

サルモネラO-157ウェルシュ菌などは食中毒の危険が高い上に、菌の毒素は加熱しても分解されない事もあります。危ない食品は安易に火を通さずに廃棄することをお勧めします。今回は何故食品は腐るのか、細菌発生の原理を解説します。

 

細菌学の父:パスツール

細菌とは自然界や他生物の体内に生息する目に見えない微生物であり、動物より植物の仲間です。顕微鏡の発明により細菌の存在は証明されましたが、19世紀まで細菌は空気中から自然発生すると考えられていました。

フランスの細菌学者ルイ・パスツール(1822〜1895)は白鳥フラスコの実験で、加熱処理した食品に空気中の雑菌が入らなければ食品中に細菌は発生せず、腐敗しないことを証明しました。彼は生物は自然発生しないという生物学の基礎原理を証明し、腐敗の原因は細菌汚染であることも証明しました。

医療現場にも病原体を消毒で遮断するという概念が導入されたことで、当時は死亡率30%と言われた外科手術は、死亡率5%以下に改善したのです。パスツール狂犬病予防接種の開発など医学分野でも大きな功績を残しています。

パスツールはある時、ワインが発酵せずに酢酸になってしまう原因解明を依頼されます。顕微鏡でワインを観察すると、通常のワインに酵母菌がいること、酢酸化したワインには乳酸菌がいることを発見しました。食品の化学変化は微生物によって発生する大発見だったのです。パスツールはワインや牛乳に低温殺菌法を用いることで腐敗や酸化を防ぐ技術を確立しました。

 

細菌と生物の腐敗

生物は生きている状態では、細胞内に様々な化学変化が起きており、細菌が侵入しても免疫細胞によって排除されます。口の中や腸内には大量の細菌が生息していますが、宿主生物が生きている限り細菌は生体で大繁殖はしません。

一方で、傷口を不潔な状態で放置すると外部からの細菌侵入を食い止められず、体内の免疫力が負けてしまうことがあります。これが敗血症であり、身体中に細菌の毒素が回るため致死率が高い危険な状態です。腐った組織は二度と戻らないため切り取らなければなりません。糖尿病性壊疽や蛇毒性壊疽で足先などの組織が腐ると、毒の巡りを防ぐために足を切断しなければいけないほど、腐敗とは死に近いのです。

 

生物が死んで腐敗するとは、食べ物が糞便になったと考えると分かりやすいです。便は体内に吸収出来ない食べ物の残りカスを排泄していると思われがちですが、実際には死んだ体内細胞の集まりであり、茶色なのは赤血球が死んだ色です。生体は蛋白質を分解した毒素を尿として排泄し、死んだ細胞を便として排泄するからこそ生きていられるのです。死んだ細胞は化学変化せず、免疫機能もありません。しかし栄養成分は豊富なため、便中の細菌は大繁殖し便を分解して土に還します。

死体も基本は同じです。生体活動の停止によって内臓や筋組織は消化酵素によって液状に溶かされます。そして活性化した体内の細菌によって食い尽くされます。

 

蝿と蛆の食事

蝿は腐った食品や死体に集る昆虫として嫌われていますが蝿は何故腐った物を食べるのか、それは独自の消化能力にあります。蝿は口吻というストロー状の器官から消化液を分泌し、食料を溶かしてから吸い込みます。そのため腐敗によってある程度分解が進んだ死体は、消化吸収し易いのです。

蝿や蛆は細菌に対して独自の抗生物質を持っており、腐った物を食べても生きられます。蛆の食性を利用して、糖尿病性壊疽にはマゴットセラピー(腐敗組織を蛆に除去させる治療)が行われています。

 

腐った食品は食べられるか

蝿などの昆虫に限らず、多くの生き物は腐った食料や排泄物を食べることが出来ます。野生環境では食料や水が得られる保障がないため、身体の免疫機能をあげて細菌や毒を含む食料や水でも吸収出来る体質になっています。

東南アジアの河川にはコレラ赤痢菌が大量にいますが、現地民は飲料水にできるほど抵抗力が強いです。現代人には腐った食品を食べるなど考えにくいことですが、日本は高温多湿の気候で食品は腐り易く、日本人は昔から食品の保存に悩んできました。細菌発生を防ぐために塩漬けや燻製、乾物などの保存方法が生まれましたが、それとは逆に敢えて食品に細菌を発生させる方法も使われます。それが「発酵」です。

 

腐敗と発酵

腐敗と発酵は、どちらも食品を微生物が分解する過程であり、人間にとって毒になるものが腐敗、人間にとって栄養となるものを発酵としています。発酵食品の内部は酵母菌や麹カビが大量発生している状態なので腐敗に進みません。

そのため味噌や酒類に消費期限はないのです。食品の冷蔵技術が進歩し、いつでも食料が手に入る現代においても、発酵食品は大量に生産されています。それは発酵で食品を分解することで、従来の食品にはない独自の旨味成分が発生するからです。

蛋白質は分解・合成することで様々なアミノ酸が出来ます。このアミノ酸が旨味成分であり、大豆の発酵食品である味噌や醤油、納豆などがあります。味噌と醤油は麹カビが発酵しますが、納豆は納豆菌が発酵します。納豆菌の発酵臭は腐敗と似ているため、臭くて食べられない人は多くいます。一方で好きな人には旨味成分が美味しく感じられます。

動物性蛋白質の発酵食品としてヨーグルトとチーズがあります。ヨーグルトは穀物が取れない中央アジア地域では特に重要な食品であり、ヒンドゥー教では神々への捧げ物として扱われます。乳糖を乳酸菌が分解して出来るヨーグルトは腸内環境を保つ働きが強く、パキスタンブルガリアなどの地域は高度医療がなくても長寿の人が多いです。

チーズは牛乳や山羊乳の蛋白質酵素で固め、青カビや白カビで発酵させた食品です。カビ臭さが強烈なチーズは好き嫌いの分かれる食品ですが、世界中に愛好家がいます。

魚類を発酵させた食品は腐敗と変わらないほど臭いが強烈であり、好む人や地域が限られるために一部にしか出回りません。くさやの干物や琵琶湖の鮒寿司などが知られています。スウェーデン産のシュールストレミングは世界一臭い缶詰として有名です。ニシンを乳酸発酵させた食品ですが、屋内で開封すると臭いが取れなくなります。

 

酒と酵母

米や麦などの穀物酵母菌で発酵させた食品が酒です。アルコールには脳を麻痺させて多幸感をもたらす作用があるため、人間にとって酒は大切な飲み物になりました。人類が麦の栽培を始めたのはビールを作るためだったとも言われるほど農耕と醸造の歴史は関係が深いです。

初期の酒造りは酵母菌の存在が知られていなかったため、穀物に天の恵みがもたらされるのを待つという状態でした。映画「君の名は」に登場する口噛み酒は米を咀嚼して唾液中のアミラーゼで分解し、空気中の酵母菌の着床させるという方法で造られます。

酒造りの始まりは酵母菌次第という神の頼みであり、そのため醸造した酒を地域の神社に奉納する慣習が現代まで続いています。酵母菌や酒樽の管理が進んだ現代でも、酒造りを完全にコントロールすることは出来ていません。