バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

ピカソの落書き

20世紀最大の画家パブロ・ピカソ。今日でも世界的な評価と人気があり、絵画1点に100億円以上の値がつくこともあります。子供の落書きにしか見えない絵をピカソは何故描き続けたのか。今回は絵画の見方を解説します。

 

青年期

パブロ・ピカソ1881年、スペインのアンダルシアに生まれました。美術教師の父親から絵画の英才教育を受けていたピカソは、8歳にはデッサンの技法を完璧に身に付けていました。当時から1日数点の絵を描き続けるほど絵画に夢中であり、彼にとって絵を描くことは呼吸すると同じくらいに当たり前でした。

14歳でマドリード美術大学に入学します。入学試験の課題は数点のデッサンを期限1ヶ月で提出することでしたが、ピカソは課題を1週間で描き上げ、それらの作品は入学者の中でも最高評価を受けました。ピカソは誰よりも絵を写実的に描けたのです。

初期の作品は写実的な人物画を青い背景で描いている事が多く、「青の時代」と呼ばれています。

 

芸術革命

フランスのパリに活動拠点を移したピカソは、そこでキュビスムという新たな表現に挑みます。キュビスムとは、3次元の物体を2次元の平面絵画に描き表すことです。立体的に描けば良いように思えますが、正面から描いた絵だと後ろ姿や側面を描いていません。対象を全方向から描くためには、正面、背面、上下左右の6点のデッサンが必要になります。この6点のデッサンを1枚の平面図に描き起こすのです。

 「地球儀と世界地図は何が違うか」

地球儀と世界地図はどちらも世界の全体像と位置関係を示していますが、地球が球体である以上、地球儀の方が正確に表現しています。

例えば地球の絵を描いた場合、画面にアメリカと東アジアは描かれても、背面に位置するヨーロッパやアフリカは描かれません。

それだと世界の全体像を描いたことにならないので、世界地図では正面と背面、左右から見た地球を、位置関係の比率を計算しながら一枚の面にします。しかしこれだと、上下に当たる北極と南極地域の縮尺が引き伸ばされています。

ここに立体を平面で表現する難しさがあります。もし人の顔の全体像を地図と同じように描いたら、頭と顎を上下に引き伸ばした絵になってしまうのです。立体を「正確」に描くとは、

私たちが見ている像とは大きく異なる。ピカソはそれを絵画で表現しました。

 

キュビスムの時代

ピカソは1907年、代表作である「アビニョンの娘たち」を発表しました。数人のモデルたちをあらゆる方向から写実的に描き、全方向から描かれた数点の作品を縮尺度を計算しながら1枚の絵画にまとめたのです。

この時代に描かれた人物は身体の各部位が様々な方向を向いており、どの方向から描いたのか全くわかりません。逆に言えば正面と背面、上下左右全ての側面が1枚の絵画に表現されています。「立体の本質を描く」ことを追求したピカソの表現なのです。

 

ピカソの価値

ピカソは亡くなるまで作品制作を続けました。対象の本質を表現するために様々な技法に挑戦し、彫刻や陶芸作品も多数制作しました。生涯の作品は5万点に上るともいわれます。

彼の作品は、「美術の価値とは何か」という難しい問題を提起しています。対象を表現するためにあらゆる技法を試したピカソの絵画は、多くが実験的な作品です。代表作は対象の本質を正確に表現していると評されますが、小さな作品や描き欠けのデッサンは対象表現としての価値が不明です。要するに「上手い絵」なのかが全く分からず、人々はピカソのネームブランドだけで絵を買い求めました。そしてピカソはそのことを誰よりも理解していました。

 

ピカソマーケティング

一般に芸術作品は製作者の死後に名声が高まるため、ゴッホやミレーのように生前は全く作品が売れずに生涯を貧困で過ごした画家は多数います。その中でも青年期から名声を得て、作品の総価格7500億円とも言われるピカソは、最も成功した芸術家でもありました。

その理由はピカソの商才にあります。芸術家は絵を描くことに意識を集中し、その絵が誰に売れるのかを考える事があまりありません。自己表現を突き詰めれば、いつか誰かが評価してくれるだろうというのが基本姿勢です。

一般市民に芸術を楽しむだけの経済的余裕がなかった時代には、芸術家の作品を買うのは国王や貴族、教会寺院だけでした。宮廷画家の作品が典型ですが、これらの絵画はスポンサーである王侯貴族の依頼で製作されています。依頼作品を作れば売れますが作品に自己表現はありません。19世紀になると一般市民にも裕福な人が現れ、自己表現の絵を描く画家と、絵を買いたい人を仲介する「画商」が登場しました。

ピカソは自己表現を追求すると同時に、表現した絵が誰に売れるのかを常に考えていました。画壇で評価されれば人々の注目が集まります。そこで絵を買いたい人を待つのではなく、人々が絵に何を求めているかを探っていました。画家と画商を兼任したことでピカソのネームブランドは確立し、絵の価値がよく分かっていない人々にも「皆が欲しがっている絵だから価値があるに違いない」と思わせることに成功しました。

 

ピカソというブランド

ピカソが自身のブランド価値を正確に理解していたエピソードとして、大富豪でありながらお金の支払いがなかったことがあります。生前のピカソはパリを中心に、欧米諸国に名を知られた有名人でした。彼が買い物の支払いを現金で済ませればお金が出て行きますが、小切手で支払うとどうなるか。

小切手にはピカソのサインが入っており、それ自体が一つの作品になっています。店のオーナーは小切手を現金化するよりも、所有するか転売することを考えます。するとピカソの口座からお金は出て行きません。彼は小切手にサインするだけでお金を支払う必要がなかったのです。

 

ピカソと落書き

対象表現を誰よりも追求したピカソは偉大な芸術家ですが、個々の作品にどれだけの価値があるのかが分かりません。鼻をかんだティッシュにサインしても、新たな表現手法として評価されるのですから。ピカソに始まる現代美術のテーマは、私たちの価値観をどれだけ揺さぶるかにあります。子供の落書きにピカソがサインしただけかもしれず、「こんな落書きになんの価値が?」というのが現代美術の見方なのです。