幽霊は生きている
「幽霊はいる」or 「幽霊はいない」、幽霊の存在をめぐる論争は、一般人から学者を巻き込んで未だに決着がつきません。ですが「幽霊は生きている」のです。
幽霊とは何か
幽霊とは、死者の魂がこの世に未練を残して彷徨っている。というのが一般的な認識です。
ですがこれは認識が逆なのです。死者の魂がこの世に囚われているのではなく、生きている人間の精神が死者に囚われているのです。
本題に入る前に、私たちは世界を逆さに見ているということを説明しなければなりません。
実世界と脳の世界
私達の視界に入った映像は光として、眼の水晶体で焦点を合わせてから網膜に映ります。実はこの時、映像は上下反転しており、私たちの目には地面が上で空に落ちそうな光景が映っています。
では何故上下は正常に見えるのか、これは脳の視覚野が映像を正立しているからです。人間の脳は感覚から得た情報を認識し易いように補正・加工しており、それが上手くいかないと、地平線の近くにある太陽や月は通常より大きく見えるような錯覚を起こすのです。「人間は世界を自分が見たいように見ている」そこを考察の起点とします。
幽霊と仏教
一般的な幽霊のイメージは、足がなく、髪が伸びきり、目が虚ろな女性です。これは「魂」が
「現在」にないことを現しています。仏教的な
解釈では、伸びきった髪は「過去への囚われ」
虚ろな目は「未来への絶望」、足がないのは
「地に足が付いてない=現実を生きていない」という意味です。仏教は葬式を取り行いますが、死者はもう死んでますからどう祀ろうと何も感じていません。葬式によって故人への未練を断ち切らなければいけないのは、後に残された生きている人間の方なのです。
大震災と幽霊
2011年3月11日、東北地方沿岸部を襲った地震と津波は多くの人命を奪いました。死者数15893名、行方不明2556名(2016年、警察庁)であり、津波に攫われた人々は震災から6年
経った現在でも見つかっていません。一方で被災地では、幽霊の目撃談が多数上がっています。(東北学院大学金菱ゼミ、2016)
行方不明となった人は、死亡が確定した訳では
ありません。残された家族は、生きて帰ってくるという望みを断ち切れないのです。これが
残された人々の意識を“生の世界にいないけど、死の世界に行ってしまった訳でもない人=「幽霊」が彷徨っている理由です。生きている人間に幽霊が意識されている。だからこそ感覚から入る情報を幽霊だと認識しやすいのです。
幽霊と向き合う
「幽霊」は脳が生み出した錯覚ではなく、概念なのです。科学的な見方が絶対に正しいとすれば、私たちは上下反転した世界で生きて行かなければなりません。
人間の意識は社会生活を営み易いように、実体が存在しない概念を多く作り出してきました。神、通貨、法律など私たちが当たり前だと思っている制度も根本的には実体のない概念です。
幽霊は他者の死を受け止めきれない心が生み出した概念ですが、生きている人間が幽霊に囚われていると、現在の自分を生きることが出来ません。葬式の本来の意味は死者と生者を切り離すことにありますが、そのためには行方不明者
の遺骨が遺族に返らなければなりません。残された人々にとって幽霊は生きているのです。
私たちに出来ることは幽霊を怖れることでも、
否定することでもなく、割り切ることが出来ない精神に寄り添うことなのです。