ゲームは終わらない
個人間の利益を巡るゲームは終わりません。
人が金(給与や予算)を得た場合、「この金を誰に配って、自分がどこまで独占出来るか」という問題が必ずついてきます。
例えば「宝くじで100万当選した場合」、(最高賞は3億ですが、ここでは100万とします。)
この100万をどう使うか?
一見自分が全額使えそうですが、当選が知れ渡れば、周囲の友人、社内の同僚、親戚までが
「俺は散々世話したよな。金が余ってるならせめて奢れよ」と、あなたにたかってきます。
金を独占するのも一つの選択ですが、周囲との関係は確実に悪化します。「あいつは金に汚い」と言われ、絶縁するかもしれません。何故なら人間は「不平等な利益を独占すること」を決して許さないから。妻子がいる家庭を持つ人であれば、自分が独占など絶対に出来ません。因みに3億円当選すると、遠縁の親戚や学生時代の知人までもが「お金貸してくれ」とたかってきます。周囲との関係を維持するためには、友人には奢り、同僚や親戚には高級ギフトを贈る程度に金を使う必要があります。これが「利益の分配」であり、自分が最も得をしつつ周囲の人間が納得する分配比率を考えることが「分配ゲーム」です。
「分配ゲームの始まり」
原始時代の人間は、30〜50人程度の集団で部族社会を狩猟生活で生きていました。自分一人・自分の家族だけでは大型の獲物を捕獲出来ないし、猛獣から身を守れないからです。最も
初期の人間社会はこうして成立します。
男たちは狩猟で獲物をとってくるのですが、
この時に「狩に参加していない女性や子ども、長老たち」にも獲物の肉を分配しなければ
なりません。働かないメンバーに分配する必要はないと考えたいのですが、女性は家事・育児を行います。子どもは自分たちが年老いた時に狩をしてくれますし、長老たちは、自分たちが子どもだった時に養ってくれた大人です。
社会集団には個人の特性に応じた役割があり、自分が生き残るためには働かないメンバーも含めて、集団全体に食糧を分ける必要がある。「分配」は原始社会から始まり、年金や生活保護など現代の社会保障も、基本は「集団メンバーを生かすための利益分配」制度です。
「分配が問題なのだ」
人間は獲得した利益(金や食料)を独占する者を許しませんが、同時に集団に貢献しない者に
利益を分配することも許しません。(生活保護が
たびたび批判されるのはこのためです。)
両者に共通するのは、「自分が最大の利益を得たい」ことです。
得られた利益は限られます。おやつならケーキ1個、給与なら月給20万、国家予算なら80兆円
など、規模は違いますが個々の利益はそれ以上増えません。この限られた利益を家族で・社内で・省庁で分配するのですが、「分配ゲーム」
の渦中にいる人間は、「もっと食べたい・
賃金上げろ・予算増やせ」と自己利益の最大化
を目的にしています。そして利益が限られる
以上、取り分を多く出来た人間がいれば必ず
損をする人間がいるのです。