バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

知性とネットワーク:集合知の概念

「知識が不要となる働き方」

近年AI(人工知能)の進歩は著しく、後10年後には半数の仕事がAIにとって変わられるとの予想

もあります。その様な状況で人間に残る仕事は

何か、私たちはどう生きるのか?

現時点でも知識知においてコンピュータに勝てる人間はいません。計算能力で電卓に敵わないと考えれば分かり易いでしょう。大切なのは計算能力で電卓に勝つことではなく、電卓を使いこなして自分の計算能力を拡張することです。教育現場においても以前から暗記中心の勉強が問題視されています。スマートフォンから情報を何でも検索出来る時代に、いずれ忘れる知識を詰め込むことの意味はどこにあるか。知識の集積はコンピュータに任せて、人間は膨大な情報から必要なものを選択する分析力を学ぶべきとする意見が強くなっています。AIの長所は情報処理能力であり、数万人分のデータを瞬時に解析出来ること。このことは言語知の分野でもあてはまります。言語知は様々な人々との会話を繰り返してのみ発達する能力ですが、AIが全世界の携帯端末からの会話パターンを解析出来れば、一人が人類全員と言葉を交わしたと同じ状態になり、AIの言語知は桁外れに向上するとも考えられます。

 

「残る仕事、消える仕事」

人間の知能は知識・身体・言葉であると述べましたが、基本的にどの能力も単独ではAIに置き換えが可能です。しかし、一つの能力だけが飛び抜けている、或いは三つの能力が揃っている人間は社会の中で少数派です。一般人の能力は身体知と知識知(看護師、美容師、警察官、消防士など)、知識知と言語知(教員、記者、営業マンなど)身体知と言語知(俳優、保育士、介護職など)の組み合わせで成り立っています。そしてAIは作動目的が異なるプログラムを同時に動かせない為、二つの能力を組み合わせた職業にとっては代わることは難しいと考えます。

 

「第4の能力:集合知

コンピュータネットワークは、物理的な場所を必要としないため、無限大の情報に端末一台で

アクセス出来ます。しかしコンピュータはネットワーク上の情報を検索出来ても、情報をコンピュータに入力するのは人間が行わなければなりません。言い換えれば、web上の膨大な情報は個々の人間によって書かれた物なのです。

知性とは何を知っていて、何を知らないかを理解する能力だと述べましたが、自分の知らない情報をオンライン上で検索して調べると同時に、自分が知っていてオンライン上にまだ書かれていない情報を発信することも出来ます。

wikipediaは世界中の人が情報を検索すると同時に、自ら保有する情報を書き加えることで誕生したオンライン百貨辞典であり、多くの人が

知識を持ち寄って作り上げる、誰もが利用できる巨大な知識の集まりが「集合知」なのです。

身近な集合知としてクックパッドが挙げられます。料理を作る時にレシピ本を参照した場合、

レシピを考案した著者は一人であるため、料理のパターンが限定されています。家にあるだけの材料で料理を作るにはクックパッドでレシピを検索したほうが断然便利ですが、その検索したレシピは、一般の人が自分の得意料理を投稿したものです。

数学理論上、知人に知人の紹介を6回繰り返すと、全世界の人間誰でも知り合いになれるという法則があります。この理論に基づいて造られたのがFacebookであり、私達の人間関係の幅は格段に広がりました。

私達一人一人に持てる情報は脳の容量しかなく、思考パターンも一つしかありません。謎に満ちたこの世界の雨粒のようなものです。ですが雨が集まり川となり、やがて大海になるように、知とは多くの先人たちが解明したこの世の理に自分が一行を加える作業なのです。自分で分からないなら全世界の知恵を借りる、分かったら今度は自分が知恵を貸す。コンピュータネットワークの発展により現れた集合知は、私達の能力と可能性を大きく進展させます。

 

バカ田大学が目指すもの」

私はバカ田大学を、いつでも誰もが学ぶことが出来るオンライン講座として開設しました。

方針として、

1:学費を一切とらない、

2:小学生から高齢者まで学力に関わらず

    理解出来るエントリを投稿する。

3:学ぶことの楽しさを知って欲しい

4:投稿の質を高める事を目的とし、

  アクセスの集客は目指さない

5:特定の人物、団体への中傷、

    私自身のプライバシー公開は行わない

と掲げています。私自身無知な未熟者ですが、

サイトを訪問していただける皆様とともに

成長してまいりたいと思っております。