バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

戦争と経済と海賊の関係

「終わらない戦争」

今日の世界では戦争が続いています。国家は何故戦争をするのか、今回はその理由を経済との関係から考察します。

戦争についての国内世論はいわゆる「右翼」「左翼」思想に分かれます。他国からの武力攻撃が想定される場合、武力による反撃により和平が保てると考えるのが右翼的な思想、外交による平和的解決を求めるのが左翼的な思想であり、新聞各社は何方かの思想に基づいた主張を行います。両者は対立する意見ですがどちらが正しい以前の問題を抱えています。両者はあくまで「思想」であり、「現実」の問題には適用出来ません。そして戦争の「現実」とは金の問題なのです。

軍隊は存続させるだけで多額の費用を消費しそれらは生産性がありません。かといって軍事予算を削り、自国軍を解体すれば他国に対して丸腰になり、外交上は極めて不利になります。他国に主権を奪われても銃弾一つなければ、相手に従うしかないからです。

例えば太平洋やカリブ海の島国は領土に対して領海が広すぎること、国家財政が小さく国民も少ないため軍隊を常備出来ない問題を抱えています。そのためこれらの国々はアメリカやオーストラリアに主権の一部を委任し、代わりに国土と領海を防衛してもらっています。

国家の主権、領土、国民を他国の脅威から守るためには戦うべきと考えがちですが、戦う以上は勝たなければ死にます。しかし戦うと勝てるかは全く別問題である事が事態を複雑にしています。戦争とは大規模な国力の消耗合戦であり、どれだけ戦意があっても銃弾と食糧が尽きた時点で負けです。逆に言えば相手国にどれだけの脅威と憎悪があっても、自国に相手国に勝てるだけの兵器と戦闘員、戦争を終結させる見通しがなければ、戦争を始めてはいけません。孫子兵法書の中で自国の軍備と相手国の軍備を知ること、勝つ見通しが立たない軍備であれば戦争を避けるべきと繰り返し説いています。要するに国家と国民は、意思に関係なく戦争に巻き込まれて戦わざるを得ず、武器と食糧を買う金がなければ戦争することが出来ません。

戦争は個人や国家の意思を超えているのですが、ここで重要なのは戦争も平和も一国では実現せず「誰と手を組むか」にかかっていることです。戦争が起きるかは二国間の軍事と経済状況次第なのです。

 

「戦争の始まり」

考古学上の研究によれば、人類が戦争を開始したのは紀元前1万年前。それ以前の時代は氷河期であり、人間の絶対数が少なかったので武力衝突が起きなかったと考えられています。

当時の人類は狩猟生活から農耕・牧畜生活への

転換点を迎えていました。野生環境で食糧を探し求める狩猟生活は、食糧事情が常に不安定であり一つの土地に定住出来ないため、部族社会以上に集団の人口が増えません。対して家畜や穀物は備蓄出来るので食糧事情に見通しが

立ち、耕作に適した土地に定住するため村から都市へ人口を増やすことが出来ます。しかし食糧を備蓄した事で、それを他の部族に奪われる時代になりました。狩猟民族は食糧や財産を

殆ど所有しないため、命懸けで戦いを挑んでも

戦利品が期待できません。一方で農耕民族に戦いで勝利すれば、自分たちで食糧を生産しなくても略奪出来ます。初期の戦争はこのような形で始まったと考えられます。

 

「交易と海賊」

食糧を増産して自分たちが食べる以上の生産が可能になれば、部族間で食糧を毛皮や油と交換する「交易」が発展します。実は「交易」は

戦争を防ぐために有効です。二つの部族に交易と戦争の選択肢がある場合、戦争に勝てば相手の食糧を全て奪えますが、相手は飢餓で全滅するため、翌年には食糧を増やす手段がありません。しかし交易をすれば、一度に多くの成果はなくても、自部族を戦争のリスクに晒すことなく、翌年も次の年も食糧を増やす見込みが立ちます。二つの部族が交易のメリットを理解していれば、戦争よりも交易を選択し、部族間で同盟を結ぶことも可能です。しかし交易はお互いの需要と供給が一致しなければ起こりません。片方の部族が食糧を必要とし代償となる交換品を所有しなければ、戦争を選択するしかなく、その場合食糧を持ち交易を望む部族も戦争せざるを得なくなります。

 

北欧のバイキングは、紀元前から中世にかけてヨーロッパ全体の海を支配した海賊です。しかし彼らは普段農業をしており、自分たちで作れない生活必要品を手に入れるために交易と戦争を行なっていました。ここで重要なのはバイキングが「交易と海賊」の二面性を常に持っていたということです。交易は彼らに継続的な富をもたらしましたが、取り引き相手が交易価値のある品を用意しなかった場合には海賊に転じました。数百キロの航海をしてきたバイキングは航海自体にリスクと労力をかけており、手ぶらでは帰れなかったのです。この場合相手の所有物は全て奪えますが、そもそも取り引きが決裂した結果戦争になっているため、自分たちに必要な物品がありません。その為バイキングは戦争の帰路で、他の部族に立ち寄り、略奪品を銀や武器と交換したのです。このようにバイキングは交易商と海賊の側面を状況に応じて使い分けたのですが、いつの時代も海賊は略奪した財貨をどこかで換金する必要がある為交易相手を求めています。相手は国や都市、商人などですが、彼らは交易が成立している間は海賊に襲われることはありません。

大航海時代カリブ海の海賊はイギリスの支援を受けていました。当時のヨーロッパと新大陸の交易はスペイン王国が圧倒的優位であり、イギリスはスペインの独占市場を崩すために海賊と手を組んだのです。また16世紀の日本では、明国と朝鮮の交易に倭寇という多国籍海賊が関わっており、瀬戸内側では村上一族が海上の交易を独占しています。村上家は海賊上がりの交易商であり、後に村上水軍を擁する戦国大名となっています。交易には戦争が関わり、戦争には交易が関わっている。一見対立する両者を繋いでいたのが海賊なのです。

 

「交易と支配」

古代ギリシャ文明は地中海の海上交易により多数の島々に都市国家が発展しました。最大の国家アテネは、戦争によってギリシャ諸都市を自国の支配下に置いていきます。海賊は交易しなければ戦争ですが、都市国家アテネは交易するために戦争しました。目的は自国の経済圏の拡大です。

A国とB国があった場合、戦争よりも交易の方が持続的なメリットがあると述べましたが、両国には商習慣が違い、また相手国の需要に合う商品を出すとは限りません。最も困るのは通貨制度が違うため、支払いに使われる両国の通貨にどの程度価値があるのか分からないのです。これらの問題を解決するには相手国を武力で支配下に置き、自国の商習慣と通貨制度を使わせることが有効手段となります。アテネを始め、ローマ帝国モンゴル帝国が戦争を繰り返して支配圏を拡大したのも、交易路周辺の部族や都市国家を自国の経済システムに取り込むためだったのです。

この手段が欧米諸国では植民地支配に使用されます。植民地から一度に全て奪うのではなく、自国に必要な砂糖や茶葉を生産させて、自国に有利な経済ルールで貿易を行う。こうして富を蓄えた欧米諸国は、アフリカ大陸からインド、東南アジアを植民地支配し、19世紀後半には中国を残すだけになりました。

日本は江戸時代から鎖国政策をとっていたので欧米に有利な経済ルールで支配されることはなかったのですが、幕末の開国後には国内で流通していた金銀が国外に流出しています。明治政府は欧米に経済力で追いつくため、富国強兵政策をとります。経済圏を拡大するためには、日本の経済制度に他国を従属させる必要があるため、二国間外交で戦争と交易の選択肢があることを示す必要がありました。こうして朝鮮併合を手始めに、東南アジア各国を日本の経済システムに組み込もうとしたのです。

紀元前1万年前から現代に至るまで、人間社会は部族から都市国家を経て近代国家に発展していますが、交易が決裂した場合に戦争する構図は全く同じなのです。

 

「現代の戦争」

第二次世界対戦を経たヨーロッパ各国は、

近代兵器によって国土全体が壊れていました。

戦争の惨禍を繰り返さないためには、経済システムのあり方を、一国に従属させるのではなく、各国が対等な立場で一つの経済圏を作る以外にないと考えたヨーロッパは、EU:欧州共同体を作り、膨大な時間を費やして通貨制度を

共有することに成功しました。EU加盟国の国民は他国の土地も利用出来るため、国家間での戦争で得られるメリットがありません。中世から近代まで戦争が絶えなかった欧州は、国家間の相互不信が消失したため、軍備を大きく削減し、NATOなどに共同で軍備を提供しています。英国のEU脱退で各国は揺れていますが、

各国人の往来が活発化した現代では、EU加盟国間での戦争は考えられません。何故なら人々が外国で働き出せば、その国の人と結婚する機会が増え、両国の血を引く子どもが一般的になるからです。戦争を避ける手段は交易であると述べましたが、最も確実に同盟を結ぶ交易は人間自身でした。国王の娘を相手の王室に嫁がせ、両国の血を引く子供を次世代の王にしたのです。混血の子どもたちが社会を担う国で

戦争が起きることはないでしょう。

 

ソビエト連邦では、ロシアを中心とする共産主義経済システムを構築していました。ロシア側に有利なシステムですから、ソビエト連邦

ポーランドハンガリーなどの東欧諸国を

取り込む選択をとっています。共産主義の特徴は、需要に合うだけ生産するという発想のため、穀物や工業製品が過剰にならず他国と交易が出来ないことです。また、経済や金融、通貨制度が異なるため、資本企業が共産主義国で商売することができません。個人で旅行することすら難しかったのです。経済的に豊かになるには、多くの国をソビエト陣営の取り込む必要があるため、東西冷戦時代、アメリカとロシアは

正面衝突こそ回避したものの、朝鮮戦争ベトナム戦争において、自国側に付く陣営を軍事支援しています。ソビエト連邦が崩壊した後、ロシアは深刻な経済危機に陥りました。その後プーチン政権下で天然ガスの輸出により経済は拡大し、輸入元であるEUとも足並みを揃えていた時期もありますが、チェチェン共和国グルジアクリミア半島への軍事侵攻など、武力を使用してロシアの経済圏に周辺国を取り込むという発想が変化していません。

 

アメリカが太平洋戦争後に行ったことは、日本を自国の経済に従属させることでした。日本側にとっては不利でしたが、食糧と武器が底をついていたので選択肢がありません。日本の再武装を恐れたGHQは軍部を解体し、公職追放

行いましたが、日本の市場を独占したかったので日本人全体に対しての占領政策は寛大になりました。天皇制を存続させ、極東軍事裁判

有罪判決がでた軍部関係者も多くが公職に復帰しています。その内の一人、安倍総理大臣の祖父である岸信介総理大臣は、日米安全保障条約の締結者として知られます。アメリカとの軍事同盟は戦争嫌悪になっていた国民の反発を

招き、安保闘争と呼ばれる政争になりましたが、この時点での岸信介氏の判断は評価出来ます。戦争を避けるには他国と交易を強化以外に

ありませんが、自国の軍隊を持たないと交易を決裂する手段がないため他国経済のルールに従うしかないのです。日本は朝鮮戦争時に警察予備隊が発足し、現在は自衛隊となっていますが、仮に軍備を持たずにロシアや中国と交渉した場合、北朝鮮と同じ国家になっていた可能性が高いのです。結局はどの国と手を組むかという話であり、経済システムが通用するアメリカと同盟を結ぶ以外の選択肢がなかったと思われます。アメリカは現代でも中東地域で戦争を展開していますが、その理由は相手国が反米的だから。例えばサウジアラビアは女性の人権が極めて抑圧された国として非難されていますが、親米路線をとっており米軍基地も置かれているため国際的な経済制裁を何も受けていません。

イラン共和国はイスラム革命後に反米路線に転じたため経済制裁が最近まで続いていましたが、女性の就業率が欧米並みの国です。

イラクやシリアも反米路線を掲げる国であり、

経済制裁によって交易の手段が封じられていました。放置しておくと周辺国に軍事進行しかねないため、アメリカはイラク戦争を始めてフセイン体制を倒し、親米的でアメリカ寄りの政権樹立を目指しています。

 

中国は共産党一党独裁政権ですが、経済開放路線に転じてからは、外資企業を積極的に誘致しており、現在はアフリカ諸国への経済進出を活発化させています。中国の特徴は、資本主義国を無理に自国制度に取り込まないことです。香港や青島が中国に返還された後も、独立特区として自治権を認めていますし、台湾との関係も良好です。現在の台湾(中華民国)はかつては共産党と内戦していた国民党が築いた国なので民族は同じです。経済・軍事大国となった中国にとっては自国に統一しても良さそうですが、

今のところその動きはありません。人民解放軍は年々軍備を強化していますが、ロシアと異なり具体的な武力進行がありません。これは外交の場で、交易と戦争両方の選択肢を示し、自国に有利な経済ルールを承認させるためと思われます。