バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

頭が良いとは知識・身体・言葉である。

頭が良い人と聞いて、どのようなイメージを

持たれるでしょうか?大学教授や大手企業勤務といった肩書きから印象を持つこともあれば、仕事が早い、語学に堪能、知識が深い、指摘が的確、コミュニケーション能力が高いなどの

実務能力から感じることもあると思います。

自分も頭が良くなりたい、或いは頭が良いと思われたいと感じている方は多いと思います。

私自身もどうしたら頭が良くなれるか、日々思います。知識は多少ありますが、知識はその時々の場面で必要な行動をとるための「道具」であり、必要ない場面で他人に披露するなら

自慢するための飾りに過ぎません。例えば

人が倒れていた時などに必要なのは、救命処置の知識と「実践」であり、実践に繋がる知識を「知恵」と言います。実際の場面では、救命処置の方法は専門講習を経験しないと正確に

実施出来ませんし、現場にはAEDも止血帯も

ありません。ではどうするか?ないなら他人の力を借りるのです。スマートフォンのWEBサイトは自分のいる位置から近くに設置されてる

AEDを検索出来ますし、止血が必要なら周囲の

人にハンカチなどを借りても良いでしょう。

古代ギリシャの賢人ソクラテスは、「無知の知」=賢いとは「何かを知っている」ことではなく、「何を知らないかを知っている」ことであると述べています。このように「目的を果たすためには現状で何が足りていて、何が足りないか。足りない要素はどうすれば補えるか」を理解して実践する能力こそが「知性」です。

日常生活はイレギュラーな場面の連続です。料理の調味料が切れていたという些細な事から、トラブル発生で仕事が全く進まないという深刻な状況もあるでしょう。そんなときこそ「何が不足し、どう補うか」という視点が問われます。

 

「知識知」

具体的にどのような頭の良さがあるか、一つは知識知です。一般的な頭の良さのイメージである学力の高さを表しています。学力は細分化すると、記憶力、計算力、読解力、論理力、情報処理力、知識の体系化などがあります。学校で習うのはこのレベルですが、企業などで働く場合には、日常業務からの自ら問題を発見して解決する問題解決力、複数業務を優先順位を考えながら同時進行で行うマルチタスク能力、

ビジネスレベルの語学力などがあります。この能力を高く持つ人は、大学教授、弁護士、ビジネスマンなどの職業についています。重要なのは、知識を多く持つのは、学力の一部であるということです。例えば将棋のプロ棋士は最終学歴が中卒である方もいますが、頭が悪いとは誰も思いません。将棋は頭脳スポーツであり、棋士は百手先まで読む論理力を持つからです。

 

「身体知」

二つ目は身体知です。これは身体の使い方を知っているという意味で、スポーツや芸術活動で

鍛えられます。身体知の特徴は言語化が出来ないため、実際に経験することでしか身につかないこと、また、個人の体型バランスによって、技能の向上レベルとスピードに差が出やすいため、生まれ持った才能が有利な分野でもあります。ただし身体知は言語化出来ないため、一般社会に対して有用性を説明出来ない問題があります。サッカー経験者はサッカーの価値が分かるため引退後もサポーターになりますが、野球のファンにはなりません。絵画、音楽分野でも価値が分かる人しか作品が売れないためプロとして活躍出来るの人は極少数です。大人になる上で基礎体力を作ることは必須であり、身体を動かすことはストレス解消にもなります。また、技能が上達する感覚は達成感と自信に繋がるため、身体知は生きる上でとても大切なのですが、その分野に興味のない人には理解してもらえません。職業としてはスポーツ選手・指導者、芸術家やダンサー、タレント、料理人、大工や工場の職人、漁師などが該当します。机上の勉強が出来ないことは、頭の良し悪しを意味しません。身体を使うことが得意なら無理に進学するより、就職した方が良い成長が出来るでしょう。欧米ではドイツのようにマイスター(職人)制度が確立し、子どもが10歳で進学か職業訓練かを選択する国もありますが、EU諸国の中での安定した経済成長力をみるとドイツ式も選択肢に入れるべきです。

 

「言語知」

三つ目は「言語知」です。これはコミュニケーション能力の高さを表しますが、感情の推論能力(EQ)を含んでいます。感情の推論能力とは、言葉を介して相手の感情を理解出来るということ。現代社会は一つのプロジェクトを複数の企業が合同で運用しています。社内の人間関係で終わるのではなく、企業風土も立場も異なる相手と長期間協働するため、各企業は就活生にコミュニケーション能力を求めているのです。しかしコミュニケーション能力とは説明やプレゼンが上手いという意味ではありません。確かに働く上では説明が上手なことは有利ですが、生きること全体を考えた場合は全く足りません。何故なら「意識」とは「言葉と感情」が全てだからです。私たちの脳は「言葉」で思考し、「感情」で行動しています。そして両者は外部からの刺激で発生することを踏まえれば、人間は他人の言動に自分の生き方と感情を左右されるとも言えます。

 

言語知とは「愛」を伝える能力

言葉が感情を呼び起こし、その人の生き方を変えるとはどういうことか、分かりやすいのは恋愛の場面です。新しい恋が始まった時などは、何気ない日々が輝きに満ちており、失恋の直後は絶望しか見えなくなる。特に若い女性は仕事や趣味に生き甲斐を見出せない場合、恋愛至上主義であることも多く生きる意味そのものが言葉と感情に左右されています。言語知が高い職業は、キャバクラ嬢などの水商売、占い師、心理カウンセラーなどですが、これらの仕事はいずれも恋愛絡みです。言語知の難しい部分は、伝える相手がいて初めて成り立つ能力だと

いうことです。もしも相手が自分より言語知に優れている=恋愛の駆け引きが得意な場合、自分の行動は相手に操られてしまいます。キャリアウーマンが不倫から抜け出せなくなる。ビジネスマンがキャバクラ嬢に貢いでしまうなど、頭の良い人が側から見れば愚かな恋愛に溺れることがあるのは知識知の高さと言語知の高さが無関係だからです。恋愛絡みで妊娠中絶、不倫、離婚などを起こし、長年かけて築いたものを一瞬で失う人々が社会に溢れています。自分の言葉と感情がどこに向かうのかは常に考えなければなりません。

 

「知識知教育と言語知教育」

コミュニケーションは双方が話を聞く状態でなければ成立しません。例えば立場が上の人の

叱責を理不尽と感じた時などは頭では理解しています。でも心の中では反発している。頭で聞いていても心で聞いていない場合、実際はコミュニケーションが成立していないのです。反対に素直な性格の人は笑顔で感謝と述べるなど、言葉と感情が一致しており、相手を心地よくさせる能力を持っています。この「相手を心地よくさてる」「相手の気分を害さない」「自分の感情を理解している」能力は言語知の高さの証であり、社会生活を送る上で極めて大切です。

「可愛いとは才能である」

どれほど仕事能力が高くても、不機嫌を当たり散らし、自分の我儘に周囲を巻き込む人と一緒に働きたくはありません。言語知の能力が欠落すると社会人として生きることが難しいのですが、この能力は個人の性格と深く関わっているため、コミュニケーションに苦手意識を持つ人が言語知を上げることは難しいのです。言語知は相手がいて初めて成立する能力ですが、そもそも人間は個々人によって物事の受け止め方や感情表現が異なるため、マニュアルが通用しません。学校の授業では対人関係構築について教わることがないのは、「コミュニケーションは教えることが出来ない」からです。子どもたちは集団生活の中で衝突と協力を繰り返しながら、自分で言語知を上げるしかないのです。言語知は相手を心地よくさせる、愛される能力だと述べましたが、相手の立場から見るとその人は「可愛い人」に見えます。女子グループのように集団内の緊密性が高く、言葉と本音が乖離し易い場面ではとても有効な才能です。勉強や仕事が出来なくても、「可愛いさ」だけで生きていける人がいますが、彼らは得をしている訳ではなくそれだけ言語知が高いのです。生まれ持った容姿と才能だからという理由で、可愛い人は嫉妬の対象になりやすいですが、それは誤解です。本来人間は誰もが「可愛いさ:愛される能力」を持っており成長する過程で忘れていくだけです。生まれたての赤子は自分一人では何も出来ませんが、大人にはない才能を持っています。それが「誰からも愛される=可愛い」ということ。この能力があることで、常に母親を初めとした大人たちに守ってもらえるのです。ですが言語知は相手がいて成り立つ関係上、もしも親の言語知が低く子どもが発するメッセージを受けとらない場合、子どもの言語知の発達はそこで止まります。乳幼児期の情操教育は

人格形成の基礎であり、幼少期の子どもが

伸ばすべきは言語知だけです。この時期に言語知が発達しなければ、社会人になっても相手の気持ちを理解出来なくなります。

「経済は感情で動く」

相手の気持ちを理解することは全ての職業で

重要ですが、この能力は女性の方が高い傾向にあります。男性は言葉を論理に使い、女性は言葉を感情表現に使うためです。言語知が特に必要な仕事に占い師や心理カウンセラーがいますがどちらの仕事も女性の就業率が高く、顧客も女性が中心です。一方でキャバクラ嬢やホステスなど水商売の女性の顧客は男性です。

水商売とは「酒を水で割って売る」仕事であり、売るためには男性をその気にさせなければ

なりません。疑似恋愛の雰囲気に酔わせることで論理的思考を緩め、原価に見合わない価格で

酒を買わせるのですが、水商売の女性たちは

男性をその気にさせるためには、相手の話を

頭と心で聴いて、相手を心地良くさせる必要が

あると理解しています。京都や金沢の料亭には芸妓がいますが、古来より商業が盛んな地域には花街が形成され、女性が水商売についていました。顧客は商売人の男性ですが、個人の金でお店に利用するケースは少なく、主に取り引き先の接待の場として使用されました。現代でも広告代理店や商社の社員が官公庁や顧客企業の接待の場として、会社の経費で高級クラブやキャバクラを使うという構造は同様です。理由は男性が酒の力を借りて女性を口説くのと同じで、人間は理屈ではなく感情で動いているから。どれだけ論理的に説明しても、最後に相手の心を動かすのは「この人と取り引きしたい」という感情なのです。