バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

神様のpresent:クリスマス・キャロルの時間論

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クリスマス・キャロル

英国の文豪チャールズ・ディケンズの代表作、

訳者は「花子とアン」の主人公、村岡花子

あらすじ:

ケチで人間嫌いのスクルージ老人は、ある年のクリスマスの夜、かつての相棒マーレイの亡霊

から最悪のプレゼントを贈られる。それは3体の精霊に伴われ、自らの過去、現在、未来と

向き合うことだった。過去の青春と恋に燃えていた自分、現在の自分と周囲の人々の関係、

未来には孤独死する自分、過去と向き合い、

未来を変えるには、現在を生きるしかないことに気付いたスクルージは、生き方を悔い改め

人々に金銭と笑顔で奉仕する人生を歩む。

 

解説:スクルージは何故改心したのか。

クリスマスというタイトルが示すように、物語はキリスト教の教えにより悪人が改心する説教訓話ですが、この物語のポイントは過去、現在、未来という時間軸にあります。

ディケンズが物語を書いた19世紀のイギリスは

産業革命による機械化、資本主義発祥の地であり、ロンドンは急速に工業化が進んでいました。資本を所有する資産家が貧しい労働者を

日給で雇っていました。冒頭でスクルージは、助手のボブ・クラチットが家族とクリスマスを祝うために早退することを、給与泥棒だとして批難します。この時点でスクルージの時間概念は、「日給」即ち、1日、1時間の単位を高く売り、安く買うことの差額で金を蓄えること、

豊かさの概念は出来るだけ多くの金銭を持つ

ことです。これが資本主義であり、現代でも

豊かな人とは金持ちであり、人は時給が良い

仕事を選ぶという構図は同じです。資本主義社会に生きる労働者はこの認識を当然として生きていますが、この概念の最大の問題点は金儲けを肯定することではありません。「自分の時間」を「単位」として他人に売ることにあります。私たちは金がなければ食べていけないのですから、金がなければ自分の時間を金に代える

しか生きる方法がありません。どの仕事を選ぶかの選択肢があるだけです。豊かになるためには金を蓄える必要があり、金を蓄えるには収入を多く支出を少なく、出来るだけ自分の時間を他者に売り、物を安く仕入れる必要があります。製品の大部分は人件費なので、物を安く仕入れるとは他人の時間を安く買うと同じことです。時間=金、豊かさ=金持ち、ですがこの図式だと豊かさ=(自分の)時間を多く持っている

、貧しさ=(自分の)時間が少ないという式も成り立ちます。金銭を蓄えることを生き甲斐とするスクルージですが、彼は老人であり人生の残り時間は少ないのです。スクルージの改心は

豊かである自分が時間旅行を経ることで、見方を変えれば貧しいと気付いたことにあります。

時間軸の変容:

それまでの時間軸は、時間は一定の速度で一方向に流れ、単位で区切った時間を金に代えることでした。金を十分所有していれば働かなくて良い、即ち自分の時間を自分で使えるのですが、全財産を使ったとしても私は1秒前の過去にも、1秒後の未来にも行けません。ここに過去と未来という異なった時間軸が出てきます。

若き日のスクルージは恋と青春に燃えていました。この時点でのスクルージの時間軸は自分のものとして体感する時間です。過去の自分と現在の自分は時間の捉え方が全く違う。過去の自分が時間軸を維持していれば、現在の自分のように卑屈な人格にはならないはずです。ここで示されているのは、時間は自分の予想通りに一方向に流れているのではなく、現在を基軸として何通りもの未来がある「現象」であるということです。

現在の意味:

現在の精霊はキリストの姿で現れます。そしてスクルージに街の人々、クラチット一家のクリスマス、甥のクリスマスを見せます。彼らは粗末なご馳走を食べながらも楽しく過ごしてます。この時点での時間軸は、現在という時間を他者と共有して生きるです。クリスマスは大切な人にプレゼントを贈る日とされていますが、

英語でpresentとは「現在」を意味しています。新訳聖書には、「主はあなた方に必要なものは既に与えている」と記されていますが、神が全ての人間に等しく与えたもの、それが「今」という時間です。私たちには、神から与えられた

「今」を自分で使う自由を持っている。それを

金に代えたり自分で使ったりするのですが、

ここで大切なのは、与えられた時間は「現在」

だけであり、過去も未来も与えられないということ、「現在」と次の「現在」の自分は厳密には異なるというです。

未来の意味

未来の精霊は死神の姿であり、スクルージ

墓に落とそうとします。物語の冒頭は相棒マーレイの死から始まり、スクルージも老人です。即ちスクルージの未来は死ぬ以外にないこと

を表しており、周囲の人々はこれまでの仕打ちを晴らすために彼の遺産と屋敷、死装束まで

奪ってしまいます。ここでスクルージは、自分の時間は残り少なく、豊さを感じるためには

残りの人生で溜め込んだ金銭を放出するしかないことを悟るのです。

再び現在の意味

現在の時間に戻ったスクルージは、生きる喜びを噛み締め、周囲の人々に与え続け、時間を

共有する人生を送ります。何故彼は自分の金を与えても幸福でいられるのか、それは自分主体の時間を取り戻したからです。私たちは自分の時間を売って生きていると言いましたが、それは自分の時間が他人主体になること、他人の興味が自分と被ってくれればやり過ごせますが、自分が嫌なことに時間を使われても、「早く終われ」としか考えません。自分の時間が睡眠を削るほどなくなれば、確実に精神のバランスを壊します。労働者に適度な休息が義務づけられ、うつ病患者に長期休養が必要なのは心身を休める以外に、時間を自分主体に戻すという意味があります。そして自分主体の時間は他人が入らないので時間に追われることがありません。バカンスの合間、恋人との甘い時間、趣味に打ち込む時、このような時間を体感している時、私たちの意識では時間が経つのを忘れています。時間感覚のない神から与えられた「現在」、それを一番身近に感じるのが、家族や友人と過ごすクリスマスなのです。