バカ田大学講義録

バカ田大学は、限りなくバカな話題を大真面目に論じる学舎です。学長の赤塚先生が不在のため、私、田吾作が講師を務めさせて頂いております。

孤悲の話

 映画「君の名は」の記録的ヒットにより、新世代の映像作家となった新海誠監督。今回は2013年に製作された「言の葉の庭」を解説します。

 

言の葉の庭

言の葉の庭

 

 

愛よりも昔、孤悲の物語

都内の高校生タカオは、雨の日には1限目の授業をサボり、新宿御苑の東屋で靴のデザインを描いている。彼は靴職人になる夢を抱えていた。ユキノは雨宿りに来る年上の女性。仕事をしている様子もなく、日中からビールとチョコレートを摘んでいる。梅雨の季節に二人は出会い、雨の日に時間を共有していく中で、互いに惹かれあっていく。ユキノは「人生を上手く歩けなくなった」と語り、タカオは「歩き出せるような靴を作ることが夢だ」と語る。

梅雨が明けて、二人が雨の日に会うことはなくなった。ある日タカオは、ユキノが高校に来ている場面に遭遇する。国語教師だったユキノは、学級崩壊と生徒からの中傷に耐え切れず、ストレスから休職中であった。味覚障害によりチョコレートとビールしか口に出来ない自分、出勤しようとしても恐怖で学校に行けない自分、既婚者と密かに交際していた自分、乱雑な部屋に帰るユキノは自分自身を許せず、社会から取り残された孤独を感じていた。自分を深く詮索せずに側に居てくれるタカオの存在は、

ユキノにとって救いでもあった。

晴れた日に再会した二人は、通り雨に逢いユキノの部屋に入る。タカオの作る食事に味覚が戻ってくるユキノ。今の時間が一番幸福だと感じる2人。タカオはユキノに告白するも、ユキノは教師と生徒という立場から一線を引く。ユキノの立場と心情を理解したタカオは、ユキノの部屋を出ていく。ユキノはこのままタカオと別れれば、自分は大切な支えを失うことに気づき、靴も履かずにタカオを追う。

階段の踊り場で呼び止めるユキノに対して、今度はタカオが一線を引くために拒絶する。「俺はあなたのことが嫌いでした。いい大人が昼間からビール片手に仕事をサボって。本当はあなただって、俺のことをガキだと思っているだろ。叶わない夢に縋り付いてるって、そう言ってくれよ!」

タカオは靴職人の夢を追いながら、誰も応援してくれないことに孤独を感じていた。彼もまた、靴を必要としているユキノの存在が救いだった。お互いを必要としながらも、「孤独の悲しみ」を抱えていると理解した時、2人は激しく抱擁し泣き合う。

結局2人はそれで別れたが、それはお互いが自分の道を歩く為であった。ユキノは故郷の高校で教壇に立ち、タカオはユキノのために第1号の自作の靴を作った。

 

言の葉の意味

「言」とはこの世界全体を意味しています。しかし全体といっても、人間一人が認識出来るのは自分が生きている空間と他者との関係性だけです。全体の中から自分が見えている世界を分節するために、個々の物や現象、自身の感情に名をつけていく。大きな樹から葉が伸びているようなイメージで個々の事象を名付けることが「言葉」です。

言葉は世界を理解する上では不可欠なものである反面、「言」の一部を切り取っているため、残りの要素が見えなくなります。映画の世界は雨の中の2人であり、外部の世界とは分節されている。本来は主人公2人の周囲では別の人間関係と物語が動いているのですが、「言の葉の庭=雨の中の東屋」の世界にいるのは2人だけです。背景の雨は外部の世界を隔離し主人公に焦点を当てる働きもありますが、外界との繋がりがない孤独な世界の心象でもあります。「自分の心には孤独の悲しみの雨が止まない」のです。

 

孤独の悲しみ

万葉集は奈良〜平安時代の和歌を編纂した書物です。当時の日本人は庶民から貴族に至るまで異性との関わりが限られており、和歌を交換することが唯一の交際手段でした。この時代は大陸から伝来した漢字を日本語に当てており、現代の「恋」にあたる言葉を「孤悲」と表現した和歌が27編あります。逢いたくても会えない悲しい感情、見えない相手を思う気持ちを言葉に託すことが「孤悲」だったのです。

和歌には表現手法として、掛詞が取り入れられます。意味が2通り取れるような内容を短い言葉に託すのですが、この映画自体が「淡い恋物語」と「言葉を介して他者に救われる」という2重性を持っています。

 

言葉と心の2重性

タカオがユキノを「嫌い」だと言ったのは、ユキノの立場を踏まえて一線を引くために、本心とは逆の言葉を出しています。本当はユキノが好きだけれど、好きだからこそ相手を尊重しなければいけない。次にタカオは「叶わない夢に縋っていると言ってくれ」と話します。タカオは靴職人として自立することの難しさを感じています。そんな彼にとってユキノは靴を作る夢を応援してくれた唯一の人です。ユキノから否定されれば、彼はユキノのことも、夢を追うことも諦めがつく。これは彼の本心そのものなのです。前半は本心を偽り、後半は本心を現しているという台詞の2重性です。

一般に恋愛物語は、「愛してるよ」という言葉は愛する気持ちから出ています。ですが現実では、「愛してるよ」という言葉を、相手を都合よく繫ぎ止めるために使っていることは多いのです。言葉は心と一致してこそ意味があるのに本心を隠すために言葉が使われている。言葉は心を素直に映す訳ではなく台詞の意味を理解するためには物語全体を見る必要があるのです。

 

独りなのは自分一人ではない

タカオにとってユキノの印象は謎めいた大人の女性です。しかしユキノは「27歳の私は15歳の私と比べてちっとも大人じゃない」と感じています。ユキノにとってタカオは自分の夢に邁進する明るい好青年であり、かつての自分の姿でした。しかしタカオは、自分が叶わない夢に拘っていると感じています。彼らは自分にはない相手の魅力に惹かれているのに、相手にとっての自己イメージは全く異なる状態なのです。

これが「孤独」の世界です。タカオの言葉によってユキノは、夢に邁進する彼が、本心では孤独に苦しんでいたことを理解し、自分も社会から取り残された孤独に怯えていたと告白しています。

「孤独」とは自分を理解する人のいない悲しみです。ですが相手も孤独を抱えていたということを知れば、「孤独感を分かってくれる人」が出来ればもう独りではありません。ユキノは「私はあなたに救われた」と語ります。

これは心理の集団療法に使われる手法と同じです。精神疾患を抱えたていたり、犯罪被害にあった人や家族は、世間の偏見から誰にも心の傷を話せない孤独を抱えます。周囲の人から同情は貰えても共感してもらえない。ですが、同じような経験をした人であれば、本心から苦しみに共感してくれるのです。自分の体験は自分一人のもの、でも同じような苦しみを抱えている人がいる。自分の弱さを許してくれるという支えが、回復への力となるのです。 

2人は淡い恋をして別れますが、特に結ばれる必要はありませんでした。「言葉を介して救われた」経験が2人の孤悲を癒したからです。

障がい者と生きること

2016年7月26日、神奈川県相模原市の重度障がい者施設が襲撃され、19名の入居者が殺されました。あれから一年経過した中でも、事件は社会における障がい者の立場に重い宿題を残しています。それは容疑者の犯行動機に少なからず理解を示す人々が存在しているからです。

 

障がい者と健全者の立場

事件で犠牲になった方々は、匿名でしか報じられていません。その人たちには固有の名前があり人生があります。ですがそれを報道すれば遺族に対して「被害者が施設で生活しているのは家族が面倒を見きれないからだろ?結局障がい者を見捨てたのは同じだ」「生まれてから働くことはおろか一言も話してない、その人生に何の意味があるの?」などの意見が全国から殺到してしまうのです。

 

障がい者には障害年金や各種手当が保障されます。そして財源は健全者が労働して納めた税金から出ている。発展途上国には物乞いするために自分の手足を切断して障がい者に「なりたがる」人もいます。自らは働かずに社会保障だけ受け取る障がい者は、不当に富の分配を受けているフリーライダー(タダ乗り)だとする意見は確かに一理あるのです。

給与が生活保護の水準であったり、逆に高所得であるため大半を所得税に引かれる立場の人は、富の分配は明らかに不適切だと不満に思っています。彼らにとってフリーライダーは不当に得をしている人間であり、障がい者の福祉とは自分の富を削る口実に思えてしまう。「障がい者はいない方が自分たちの金と時間と労力を浪費しなくて済む」と考えている人々が、この社会には一定の割合でいます。

ですが、人々の障がい者に関する見解が対立しているだけなら話はまだ簡単です。本当は、私たち一人一人の中に、障がい者の権利を尊重する気持ちと、存在を否定したい・関わりたくない気持ちが対立しているのです。

 

容疑者の意見

「常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。」

 

上記したのは、容疑者が事件前に衆議院議長に送った手紙の内容です。文面からは、障がい者が生きていることは社会にとっての損失であり、社会の負担をなくすためには重度障がい者安楽死させる方が良いという内容になっています。この手紙の恐ろしさは人権を顧みないことではありません。「介助者の残酷な心理」を暴いているからです。

 

障がい者の権利と介護者の立場

生まれつきの重度心身障がい者は、精神発達が子どもの状態で止まっています。介助者が家族であっても施設職員でも、こちらの意思を汲んでくれることはありません。一次反抗期が始まった子どもに向き合うような状態が続いていきます。

通常の育児ですらストレス過多になる親は大勢います。障がい者の介助はその何倍もストレスがかかる。家族も職員も介助者である以前に一人の人間です。嬉しいこともあれば、怒ることもあるのです。「いっそいなくなれば良いのに」と考えることは、介助者であれば当然に感じることなのです。犯人の主張は許せないのに、心の隅で共感している残酷な自分もいる。残された遺族と介護施設職員、そして多くの障がい者の家族は心が張り裂けることに苦しんでいるのです。

人間一人を介護するのは絶対に綺麗事では済みません。誰しも義理の親の介護はしたくないですし、実の親の介護すら出来ない場合も多いでしょう。障がい者の兄弟たちは友人にも家族に障がい者がいることを話せないことが多く、結婚などで離籍する場合もあります。

障がい者に生きる権利はあっても、その権利を保障するためには誰かが時間と労力を払う必要があります。それを家族にだけに負担させれば、家族は自分の時間全てを介護に費やすことになる。それを許容出来るかは当事者に委ねられているのです。

重度障がい児を自宅で育てる親もいますが、生まれてすぐに施設に預けて二度と面会しない親もいます。妊娠中に胎児に障害があると判明すれば、大半の親は人工中絶を選択するのです。彼らは残酷でも自分勝手だからでもありません。悩んで苦しんで、自分たちには介助出来る余裕がないとの結論に達しただけです。

事件が残した宿題は、社会と私たちの心に障がい者に対する思いやりと残酷さという矛盾する感情が存在することを浮き彫りにしました。ですが大切なのは気持ちではありません。残酷な気持ちを抱えながら、それを実行に移さなかった「行動」です。

容疑者は遺族に対して「嘆き悲しんでいるようで、何処かで安心しているだろ」と語ります。それならば多くの障がい者家族は、将来に不安を抱えながらどうして介助を続けて来れたのですか。愛情とは行動でしか示せません。悩みながらも介助を続けてきたということが、どんな意見にも勝る行動なのです。

お金が紙屑になる日

 

ジンバブエの悲劇

アフリカ大陸の南端、南アフリカ共和国の隣にジンバブエという国があります。アフリカ諸国は多民族が統治権を巡って内戦状態にある国が多い中で、1980年にムカベ大統領の下で独立したジンバブエ穀物の輸出と欧米資本の取り入れにより安定した経済成長を遂げ、医療や教育は高い水準を誇っていました。

しかし1992年、南アフリカアパルトヘイトを撤廃して、黒人と白人とアジア移民の民族融和政策を掲げます。それと対照的に、ムカベ大統領は黒人優位政策を掲げ、2000年には土地徴収法により欧米人から農場を取り上げました。

ムカベ政権はジンバブエ国益として、黒人たちが欧米の植民地支配を受けなければ、農場の土地や資源は本来自分たちの所有物だと主張したのです。こうして農場は黒人たちの所有地となりますが、黒人たちには穀物の栽培技術がありませんでした。かつてはアフリカの穀物庫と呼ばれたジンバブエの食料自給率は急激に悪化します。

一方で土地と財産を取り上げられて、ジンバブエを追放された欧米人たちは西欧社会にムカベ政権の無法を訴えました。次いで2007年には外資系企業の株式の半分を黒人に譲渡する法案が成立しています。それまでジンバブエに投資していた欧米人も、株式が没収される恐れがあるため資本を引き揚げました。

こうしてジンバブエは、保有する外貨が殆どなくなり、外国から商品を輸入することが出来なくなりました。その結果起きたのがハイパーインフレです。

 

ハイパーインフレ

インフレとは、お金の価値より物の価値が上がることであり、120円のジュースが150円に値上げされることです。国際為替市場において自国通貨の価値が下がると、同じ額でも購入出来る輸入品は少なくなるため、国内は品不足になります。

原材料が値上げされている上に、商品を必要とする人が多ければ、商品の値段は釣り上がる。こうして物価が上昇します。人々の給与は一定なので、物価が上がれば買える商品は減り生活が貧しくなります。

主なインフレの原因は経済政策の失敗により国債・為替市場で、通貨の価格が下落していることです。しかし、戦争や革命勃発、経済制裁で国家そのものが危うくなると、どの国も支払い不履行を恐れて貿易しなくなります。外国からのエネルギー資源や商品が全く輸入されず、国内が極端な物不足に陥ります。するといくら金を積んでも商品は足らず、物価は天井知らずに上昇する。これがハイパーインフレです。

経済制裁を受けたジンバブエは、国内の品不足によって物価は急上昇しました。朝に買ったパンの値段が、夕方には2倍になっていたというエピソードもあります。2008年には商品価格を強制的に下げる法律が出来ますが、それでは企業の利益が出ないため、国内企業の撤退と倒産が相次ぎます。もはや品不足と物価上昇に歯止めがかからなくなり、2009年にインフレ率は2億%に達しました。100ドルのパンが2億ドルに値上がりしたという状況です。

通貨価値の下落に対応するためにムカベ政権は額面の大きな紙幣を発行しました。それが冒頭に載せた100兆ジンバブエドル札です。一見凄い金額ですが発行当時でも日本円にして30円程の価値です。ジンバブエ政府はその後500兆ドル札まで発行しましたが、結局自国通貨を放棄したため、ジンバブエドルは通貨としての価値を持たない紙屑になりました。

 

国家経済と通貨

一万円札には、一万円までの商品と交換する価値があるという認識を、私たちは当たり前としています。しかし一万円札の製造コストは30円もかかりません。なぜ紙券に1万円の価値があるのか、それは円の価値を日本銀行と政府が保証しているからです。

日本は外国に様々な製品を輸出し、資源を輸入する貿易大国です。その支払いは日本円で行われるため、外国も日本円を外貨準備高として保有しており、日本も他国の通貨を外貨準備として多数保有しています。このように両国間の通貨を持ち合うことでお互いの通貨の価値を担保しているのです。

 

通貨の価値と変動相場制

アメリカ合衆国の連邦準備理事会は、米ドルの価値を担保している機関です。貿易ルールや金融システムが整備される以前の世界貿易においては、各国の通貨にどの程度信用がおけるのかの格付けがなく、唯一確かな価値を持つのは金(ゴールド)だけでした。

そして連邦準備理事会の保管庫は世界一金を保有しており、ドル紙幣を金と交換することを保証したことで、米ドルは世界一信用出来る通貨となり、貿易市場の決済で最も使用されるようになりました。

しかし1971年のニクソンショック(米ドルと金の交換停止)により、通貨の価値はその国の経済力と貿易力、外貨準備高などで分析されるようになります。これにより為替市場では毎日通貨の価値が変わる変動相場制になりました。

関税の撤廃や特許権の制定など、資本主義国の間で経済協定を結ぶと、企業はその国と貿易や投資を行い易くなります。経済活動にはその国の通貨が使用されるので、貿易や投資の拡大は通貨の価値を上げます。日本が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)加盟を目指しているのは円の価値を上げる目的があり、逆にアメリカのトランプ政権は自国優先を掲げてTPPを脱退しています。

アメリカはシュールガスの開発が進み、他国からのエネルギー輸入の見通しが減りました。対ドルの貿易赤字が続くアメリカにとって、国際市場におけるドルの価値はある程度下がった方が輸出に有利ですし、2050年までに国内人口は4億人に達すると予測されるアメリカは、内需拡大によって経済ルールを自国優先にしても外国からの投資は見込めるからです。

 

日本円が紙屑になる日

冒頭でジンバブエの事例を挙げましたが、世界史を見るとフセイン体制下のイラク、旧ユーゴスラビア、旧ソビエト連邦第一次大戦後のドイツなど戦争や革命によって政府が崩壊した国は深刻なインフレとなり、政府による信用を失ったお金は紙屑となっています。1997年のアジア通貨危機の際にはタイ王国と韓国の通貨が暴落しており、南米アルゼンチンは1989年と2001年に国債債務不履行となりました。

日本でハイパーインフレが起きたのは、太平洋戦争の敗戦によりアメリカの占領下に入った時です。敗戦国である日本円の価値はなく、どの国も貿易しないため国内は極端な品不足になりました。米軍の物資を横流しした闇市が乱立し、国中に浮浪者と餓死者が溢れた時代です。それから70年、貿易大国となった現代の日本では円の価値は不変に見えます。しかし人口減少による内需の縮小と生産力低下、国家財政の半分を国債に頼っている財務状況で、為替市場における円の価値は低下しています。円安が進むことでアジア圏からの訪日外国人が増加する利点もありますが、石油を始めとするエネルギー資源を輸入に依存している日本経済の貿易赤字は拡大しています。

最大の問題は、国債を国内銀行だけで買いきれなくなり、国際市場での格付けが下がることです。日本国債を他国が買ってくれるうちは良くても、国債の発行残高は増える一方なのです。返す見通しが立たないのに借金を増やしていると評価されれば国債の価値は暴落し、円の価値も暴落する危険があります。

企業の株式の価値は企業利益によって決定し、株式市場で評価されます。企業が倒産すればどれだけ値段の高い株も紙屑になります。事情は国の通貨でも同じなのです。お金の価値を保証しているのはあくまでもその国の政府です。政府が崩壊したり他国から見限られればその国の通貨は価値がなくなる。過去には実際にあったことであり、これからの未来に起こらないとは言い切れないのです。

 

 

 

 

 

105歳の先生

7月18日、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が亡くなりました。享年105歳、その生涯は波乱に満ちながら最後まで現役の医師であり続け、理想の医療を追求していました。

 

聖路加勤務時代

1911年、山口県に生まれた日野原先生は、京都帝国大学医学部を卒業後、1941年に聖路加国際病院に循環器内科医として勤めます。

当時は戦時中であり、聖路加のある中央区江東区は激しい空襲に晒されました。この時の戦争体験が後の災害医療構築に影響しています。1951年にアメリカ留学し欧米の最新医療を身につけた先生は、循環器や電解質理論を専門に臨床と研究を行うだけでなく、予防医療の考え方をいち早く着目し、高血圧や糖尿病など「成人病」と呼ばれていた疾患を、生活習慣の乱れが病気をもたらす「生活習慣病」であると提唱しました。

またチーム医療の重要性に着目し、聖路加看護大学の学長を勤めるなど、看護師の育成に力を注ぎました。現在も看護学生向けに出版された教科書の多くは日野原先生が編集しています。

 

よど号事件

1970年に福岡の学会出席のために日野原先生が乗った飛行機「よど号」は、日本赤軍にハイジャックされました。先生は機内で乗客の診察にあたりながら、4日後に韓国の金浦空港で解放されています。自分が死の瀬戸際にいた経験は、医療に対する先生の考えを大きく変え、それ以来の先生は与えられた命をどう生きるかについて思索と創作を続けます。この頃から医学書以外にも、一般向けの書籍出版が増えています。

地下鉄サリン事件

聖路加国際病院の新館を建設するにあたって、先生はまず、隅田川に面した敷地を高層ホテルと高層マンションに貸し出しました。これにより土地の賃料が数億円単位で入り、病院の経営が安定します。また全国から患者が訪れる聖路加国際病院にとって、患者の家族が病院近くに滞在する施設としてホテルが必要でした。

新病院のデザインとして、1階部分に広大なロビーと礼拝堂を設置しています。先生は東京大空襲を経験しながら十分な医療を行えなかったという思いから、災害時には大規模応急施設として機能するように広大なロビーを計画しています。当初は広大なスペースが無駄になっているという意見が大きかった新病院ですが、1995年に事態は動きます。

3月20日、地下鉄日比谷線霞ヶ関日比谷駅間で発生した地下鉄サリン事件は乗客6000人以上が未知の化学兵器のテロ攻撃を受けた前代未聞の事件でした。神経ガスは呼吸機能を止めてしまうため、救命は一刻を争います。被害を受けた乗客は築地駅から地上に出て、多数が聖路加病院に搬送されました。日野原院長は通常診療を停止し、ロビーフロアを応急施設として患者を無制限に受け入れました。結果として多くの人々に迅速な治療が行われ、聖路加病院の災害対応は高く評価されます。

 

命の授業

晩年の日野原先生は診療を続ける傍で、全国の小中学校に出張し、命とは何かを語り続けました。命とは生きている時間であること、時間を誰かのために使うことは尊いこと、医療とは自分の生きる時間を使って、他者の生きる時間を

伸ばすことなのだと。

先生は80年近く医療を行なっていますが、それは長年に渡って日本の医療を牽引してきたという意味にとどまりません。日本の戦争、過激派の闘争、宗教テロという「殺人を正当化する人間」に関わってしまう人生の中で、医師として生きる道を模索していたのです。

先生とは「先に生きる人」です。激動の時代に生きながら、医療とはどうあるべきか、自分は声高な正義を叫ぶ人間と何が違うのか、生きることと死ぬことの意味を身をもって示していました。

日野原先生、ご冥福をお祈りします。

 

話し合う技術

営業マンの交渉から夫婦の会話に至るまで、私たちは様々な場面で意見を調整するために話し合っています。ですが双方が納得いく結論を得ることは難しい。何故なら私たちが話し合う目的は、双方が妥協することではなく、相手を自分の意見に合わせるためだからです。

 

話し合いの前提

話し合いを始める前に、そもそも両者はどこを目指しているのでしょうか?例えば営業マンと顧客の関係では、前者は商品の販売利益を上げることが目的であり、そのために商品を売る、高く売る、多く売る、保障コストを下げるなどの思惑を持って交渉します。

対して後者は出費を下げることが目的であり、安く買い叩く、高ければ買わない、必要量だけ発注する、代金支払いを引き延ばすなどの思惑を持っています。両者は正反対の目的を持っておりそのままでは交渉が噛み合いません。

話がまとまるとは、どちらかが相手の言い分を呑んで妥協したということです。交渉とは意見や利害の対立する相手との戦いであり、決して楽しい話し合いではありません。交渉を優位に進めるとは相手の思惑を読んで弱点をつけるかに掛かっていますが、仮に自分の主張を通した場合はどうなるか。

自分としては優位に立ったと思いますが、相手にとっては「負けた」という感情が残ります。少なくとも自分に良い印象は持ちません。話し合いは双方の利害や思惑が食い違いが出た時に調整するための手段ですが、片方の主張に合わせた形で意見がまとまると、もう片方は負の感情を抱えたままになります。店と客のように、二度と会わない関係であれば問題ありません。しかしこの関係が長年の取引先であったら、或いは夫婦間であったらどうでしょうか。

明らかに意見のパワーバランスが偏っており、両者の関係は支配する側と支配される側になっています。そこには「利用関係」があるだけで、「信頼関係」がないのです。

私たちは意見が対立した時には話し合いが大切だと言います。そして「話し合い」がまとまるとは、自分の意見に相手を説得することだと、

大抵の人は考えているのです。

「話し合い」が上手くいかないときは、相手が聞く耳を持たないからだと考えがちですが、その相手はあなたから精神的に支配される感覚が嫌だからこそ抵抗しているのです。

私たちが話し合う目的が相互理解ではなく、意見の服従になっていることは良くあります。話し合いの前提として、相手を自分の意見に引っ張らないこと、目的はお互いの理解にあることを双方が確認して話し合う必要があります。

 

防災省をつくろう

7月6日に九州北部を襲った豪雨は、未だに被害の全容が掴めず、被災者を救助している現在進行系の災害になっています。

日本は世界の地震・火山の4割が集中しているといわれる災害多発国です。近年だけでも、

雲仙岳噴火:平成3年6月、死者43人

阪神淡路大震災:平成7年1月、死者6433人

三宅島噴火:平成12年6月、死者なし

有珠山噴火:平成

中越地震:平成16年10月、

能登半島地震:

東日本大震災:平成21年3月、死者15893人

御嶽山噴火:平成24年10月、死者57人

広島市多発土石流:平成26年8月、死者73名

伊豆大島土石流:平成25年、死者39名

熊本地震:平成29年3月、

が発生しており、歴史を下れば関東大震災(大正12年:死者10万人、東京、神奈川壊滅)、宝永の富士山噴火(1700年:江戸に火山灰が積もり、記録的な冷夏による飢饉発生)など、首都圏が全滅する規模の災害が100年単位で繰り返されています。この国に生きる限り災害から逃げ場は

ありません。

 

災害対策

自然災害において、事前予測がある程度確立しているのは大雪と火山噴火だけです。地震・気象予測はまだまだ途上であり、地震や豪雨、土砂崩れはいつ何処で発生するか分かりません。

例え予測が確立しても、出来る事は事前に住民を避難させるだけであり、命は守っても生活基盤は破壊されます。

台風に原子爆弾が無効であるほど、気象エネルギーは膨大です。地震や火山のエネルギーも、人類が制御出来るエネルギーとは桁違いであり自然災害そのものを封じる手段はありません。現在の技術水準で可能なのは、災害の兆候から被害を予測し、行政単位で住民を避難させること、避難住民の生命と生活を守ることです。

 

災害対策の難しさ

日本は災害に遭うたびに、災害対策の課題を検討し、体制を進化させてきました。東北地方沿岸部は、明治時代・昭和初期にも津波被害で壊滅していますが、当時は国や自治体が救護することはなく、生き残った住民たちは自力で復興するしかありませんでした。

平成に発生した阪神淡路大震災によって防災行政の大切さが認識されます。それ以来大規模災害の発生時は内閣府に対策室が設置され、現地の情報を収集しながら自衛隊ハイパーレスキュー赤十字医師団、自治体職員を迅速に派遣する体制をとっています。

被災地住民の必要性は日を追うごとに変化します。生命の安全と家族の安否から始まり、持病薬の確保、避難所の安全とプライバシー、自宅の状況と生活の再建、金銭問題、ペットの保護

などの問題が降りかかります。

被災地の自治体は住民の要望に応えるためにフル稼働しますが、自治体職員もまた被災者なのです。彼らは住民のため情報を収集しますが、本当は自分の家族の安否を確かめたいのです。必要なインフラが壊れている中で慣れない業務が押し寄せる、自分の家族の行方すら分からない状況は、職員たちの心身を削ります。

災害復旧には地域の実情に通じた地元職員が必要です。ですがその人たちがオーバーワークになってしまうのです。災害対策には実労を災害に慣れない地元自治体に委ねるのではなく、災害時の行政運営に慣れた専門家集団を派遣した方が効率的ではないか、その様な見解から防災省構想が出て来ました。

 

防災省の構想

日本は毎年台風が上陸し、数年に一度は巨大地震の被害が出ています。災害の復旧に当たるのは第一に地元自治体であり、そこに防衛省消防庁国土交通省気象庁、他県の自治体職員、団体職員、企業の出向、報道メディア、民間ボランティアが集まります。

この方たちは確かに復興支援としてやって来ていますが、本来別々の組織で働いており、仕事のやり方も目的も全く異なります。地元自治体は各団体と情報を共有しながら災害状況に応じて仕事を割り振るのですが、そもそも自治体職員は、各組織の仕事内容を知らず、集まった組織は地域の実情を知らないために、先ずは相互理解の時間がかかります。

災害復旧は人命救助から電気水道などのライフラインまで、迅速な対応が求められます。しかし道路と通信が寸断された地域に持ち込める物資と人員は限られます。

この限られた資源を何処に優先配分すべきかが問題ですが、被災地は役場が被害を受けている場合もあり、全てが大混乱な状況です。ここに地域の実情と災害対策の両面に通じた組織を派遣し、臨時の行政府を立ち上げる。これが防災省の仕事です。

 

兵庫県の取り組み

1995年に阪神淡路大震災を経験した兵庫県は、全国から自治体職員が応援に駆けつけ、災害復旧にあたりました。その時の経験から兵庫県は各地の災害にいち早く県庁職員を派遣しており、防災ノウハウの蓄積や兵庫県医療センターによる災害医療対策も行なっています。災害発生時の迅速対応と自治体の機能をまとめて供給する取り組みは大きな成果を上げています。

この取り組みを国を中心に行うために、現在は内閣府に臨時で設置される災害対策室と復興庁を常設の省庁に改変し、各省庁や全国の自治体、防災研究所で構成される新たな組織を立ち上げるのです。

 

防災省の仕事:平時

平時の防災省は地震などの災害シュミレーションを繰り返し、自治体に対して地形や地盤、都市の構造と人口構成によってどのような被害が出るか、どの様な対策が必要かを周知します。

自治体は独自の防災計画を策定することが可能になり、いざ災害が発生しても、シュミレーションに基づいた行動マニュアルに沿って自治体と防災省が協働出来ます。

また、自治体や企業の防災担当者の講習受講、小中学校への防災教育、木造家屋密集地域などのハザードマップ作成、災害医療や災害通信、災害物流システム、気象・地震発生の研究を行います。

 

防災省の仕事:災害発生時

災害発生時には、衛星写真の解析により各地の大まかな被害を予測します。そして被災地に有人ヘリコプターを飛ばし、そこから子機としてドローンを飛ばします。集められた映像は省庁の中央コンピュータで解析し、熱反応などでどこに生存者がいるかを調べます。その間に自衛隊とレスキュー隊、GMAT(災害医療チーム)を編成して高速ヘリで現地に派遣します。

防災省は事前に各自治体と、首長の要請がなくても第一陣復旧チームを派遣する協定を結んでおきます。これまでは自治体からの要請と内閣府の出動命令で救助隊を派遣していましたが、防災省の対策室には大臣以外にも、代理で出動命令を出せる役職が常駐しており24時間体制で運営します。これによりいつ何処で大規模災害が発生しても3時間後には救助が来る体制を作ります。

第2陣としてその地域の実情に詳しい行政職員と、公衆衛生班、電気・通信・水道・交通などのインフラ復旧班を派遣します。被災地に近く使用可能な空港までは空路を使い、そこから先は災害用車両に乗って陸路を通ります。道路が寸断されていると足止めになるため、急勾配や水上を走れる特殊車両が必要になります。

この時に主要道路が何処まで通れるか確認し、物資の輸送ルートを確保します。道路が寸断された箇所は狭い道を大きく迂回しなければなりません。救援物資の輸送と被災者の避難を優先させるために、個人車での利用は制限します。

被災地に到着した第2陣は、現地職員と交代して行政を代行します。この時に現地対策本部を設置します。これで防災省から逐一指示を受けなくても現場の判断で各地の避難所に物資と救護員を送り、具体的な被災状況を調べます。そして被災地への支援の優先順位を決めます。

被災地には全国の自治体や個人から大量の支援物資が送られますが、それがその時のニーズに合っていないことが問題視されます。例えば古着などを支援物資として送ることは意味がありません。被災地は水が不足しているので身体を洗えず、洋服の着替えも少ないからです。もし現地で使わない物が大量に送られたら、限られた物流に無駄が出てしまいます。それを防ぐためには、支援物資の中身が何であるかを明記させると同時に、物資を防災省の各支部で仕分けしてから一斉に送る必要があります。

第3陣として現地で手に入らない物資と、各自治体職員、金融機関や企業の代表、建物解体や土建技術を持つ民間人を陸路で派遣します。現地到着は災害発生から2-3日後になります。人命救助は終わっており、行方不明者の捜索と二次災害の防止、被災者支援が主な仕事です。

被災者は自宅の被害状況によって、二次災害が治れば自宅に戻る、避難所である体育館や公民館に留まる、2-3ヶ月で元の生活に戻れるなら仮設住宅か近隣自治体の公営住宅に移る、戻る見通しが何年も立たないなら他地域に移住する、など選択肢が分かれます。疲労が蓄積した被災者は環境が悪い場所に長くいるべきではありません。第3陣の支援は被災住民の実情を汲み取って適切な居住環境を仲介することです。

 

防災省の仕事:海外派遣

国内は平時であっても、外国で地震やハリケーンが発生していることもあります。現地で国際貢献が出来れば国家間の関係強化になります。大きな災害は経済活動も停止するため、国際為替市場でその国の通貨は暴落するのが普通です。そんな時に外国の救助隊が駆けつければ、その国は国際社会から見捨てられていないという証になるため、通貨暴落を抑えることも出来るのです。他国と災害研究の情報を共有することも大切です。

 

 

 

 

 

 

 

良い人と都合良い人

私たちは様々な人間関係の中で生きています。仲良い人もいれば嫌いな人もいるでしょう。人の悩みが根本的には対人関係に行き着くことを踏まえれば、良い人たちに囲まれて生きて生きたいものです。ですが「良い人」とは決して好感が持てる人を指す訳ではありません。私たちに本当に必要な人は誰なのでしょうか。

 

人間関係はgive & take

人間関係は基本的に労力の交換ゲームなのです。自分の予定や意見に相手を合わせた場合、相手はやりたい事を犠牲にしています。それ故に次回は自分が相手に合わせる必要があります。

奢ってもらったら次回は自分が奢る。交渉で言い分を通したら、次回は自分が折れるなど相手が自分のために負担しているコストを何らかの形で返す必要があります。もちろん言葉で謝礼することも欠かせません。
そうしなければ、相手は2度と自分の労力を使おうとはしないでしょう。「あいつは何かしてもらって当然だと思ってる」という印象を持たれるからです。しかし中には、労力を返さないいで良いと言う人もいます。それが都合の良い人です。

 

都合の良い人

意中の恋人であったり上司であるなど、「相手からの印象を良くすれば自分を認めてくれる存在」がいると、人間は自分の意思や感情を捻じ曲げても、相手と良好な関係を維持しようとします。

良い人に思われたいという心理が強く働く場合は半ば相手の言いなりになりますが、その状態がエスカレートするほど、あなたは相手にとって負担した労力を返さなくて良い人になります

本来、友人や恋愛関係で金銭の貸し借りは禁忌です。お金とはその人の労力を数字に現したものですから、返済がなされるまでその相手との関係は労力の「貸し」になっています。ここで返済を迫らずにさらに「貸し」を行えば、借りた人間は返す必要性を意識しなくなります。そして「相手に尽くす」労力は、借金の返済を迫らずにいくらでも追加融資すると言っていると同じなのです。

これが都合の良い人であり、この状態は相手から人間として認められるどころか、いくらでも利用出来ると足元を見られているだけなのです。

 

良い人

私たちは客観的に良くない行動をとっても、自分にとっては正しいと考えているため、自分一人では思考を修正出来ません。

仕事の上司や友人などあなたの周囲の人があなたを叱るのは、「自分は相手にどう見えているか」を自覚させるためです。これは叱る立場の人にとっても恐いのです。相手が言葉の意味を理解して行動を改める保証はないし、場合によっては逆恨みされるかもしれません。それに自分が間違っている可能性もあるのです。

それでも叱るのは、短期的には損害でも長期的には利益になると信じているからです。 

表面的に優しい言葉をかけてくれる人が良い人ではありません。何故なら問題は何一つ解決していないから。現状を肯定されることで、問題から目を背ける癖に拍車をかけてしまうこともあります。

 

自分が借金を抱えていたとして、「まだ金を借りられるよ」と言う人がいますか?いるならその人は金融機関の回し者です。友人や家族であれば「早く返済しろ」と言うのが普通です。

私たちは、勉強も仕事も恋愛も、出来ればやらずに済ませたいタスクに追われています。それらを先延ばしたい気持ちも分かります。ですが先延ばしを肯定して問題解決を避ける言葉は優しさではありません。

良い人とは「自分がどう思われるかは相手に委ねるから、自分は正しいと思ったことを言わなければいけない」と、利害関係から一度離れて相手の利益を考えている人です。

世界は自分が見たくない領域も動いています。私たちは都合の良い人と付き合いたくなりますが、良い人と向き合うべきなのです。